勝つためではなく
魔王城から放たれた砲撃によって、王都の城壁が崩れ始める。
城壁の上。
ヒマリは、崩れた防壁の向こうを見つめていた。
黒い流れが、王都へ入り込んでいる。
無数の黒い蟻の群れ。
それは生き物の群れというより、
巨大な意思を持った災害のようだった。
「ヒマリ、蟻とは言え魔物であれば、浄化は有効ではないか?」
フェルマーが問いかける。
ヒマリは錫杖を握ったまま答えた。
「やっている。でも……おかしい」
白い光が広がる。
蟻の群れへ触れた瞬間、何匹かが霧のように消滅した。
しかし、消えた数よりも、増える数の方が圧倒的に多い。
「蟻でしょう?
本来なら単純な生物のはずなのに……」
ヒマリは眉を寄せた。
「欲望が、絞れない」
「あの一匹ごとに自分の意思があるとでも?」
「信じられないけど――」
白い光の中で、黒い蟻の群れが蠢いている。
「飢え、恐怖、逃げたいという本能
……いくつもの感情が絡み合っている」
一瞬、ヒマリは言葉を失った。
「まるで……人間みたい」
「厄介ですね」
フェルマーの魔導眼鏡に、複雑な術式が流れていく。
「ですが、一定の効果はあります」
彼は蟻の群れを見つめた。
「弱った個体は、結界に触れることで消滅しています」
「追い出せる?」
「一匹ずつなら可能でしょう」
フェルマーは間を置いた。
そして、城壁の下を見る。
黒い波が、石畳を覆っていた。
「ですが……問題は数です」
ヒマリは錫杖を握り直した。
再び浄化術式を展開する。
白い光が壁となり、蟻の群れを押し戻した。
しかし、光の外側では別の群れが進み続けている。
終わりが見えない。
「クルス」
『見えている』
「どうすれば止まる?」
返事はすぐには来なかった。
わずかな沈黙。
どこか遠くで悲鳴が上がった。
『……魔王城のコアへ直接干渉するしかない』
「コアは、私が取り込んだはずじゃないの?」
『その後の問題だ』
クルスの声が低くなる。
『ヒマリが取り込んだ部分とは別に、魔王城に残されたシステムがある……。
それが今、完全自律稼働している』
一拍。
『僕の演算すら、押されている』
ヒマリは遠くを見る。
夜空の向こう。
黒い外壁を持つ魔王城。
一斉砲撃を終えた無数の砲塔が、今も静かに動いている。
(次は、どこを撃つ?)
城壁か。
市街地か。
それとも――。
「ヒマリ様!」
兵士が駆け寄ってきた。
「南区画でも蟻の群れを確認しました!」
「南?」
「地下水路から侵入しています!」
ヒマリの表情が変わる。
地上だけではない。
地下からも侵入している。
「東区画もです!」
別の兵士が続ける。
「市場の地下から大量発生!」
報告が重なる。
王都の至る場所から、蟻が湧いている。
フェルマーは術式を書き換えながら呟いた。
「崩れた城壁だけではありません」
「地下水路、建物の隙間、壁の亀裂……侵入経路が多すぎます」
「塞げる?」
「土嚢で塞ぐとしても、すでに侵入した蟻が多すぎる」
淡々とした返答だった。
だからこそ、重かった。
ヒマリは王都を見渡した。
揺れる灯りの下で、人々が逃げ惑っている。
兵士たちは必死に避難を誘導していた。
その足元を、黒い波が静かに広がっていく。
(止め方が、分からない)
初めてだった。
敵の姿は見えている。
なのに、どこを攻撃すれば終わるのか分からない。
『ヒマリ』
クルスの声が響く。
『この状況なら、魔王城を優先するべきだ』
「被害が出ているのに?」
『このまま防ぎ続ければ、先に君の魔力が尽きる』
ヒマリは黙った。
『コアへ直接干渉する。
それが唯一の解決策だ』
「勝てる?」
短い沈黙。
『……君らしくないな』
クルスの声が少し柔らかくなる。
『もう、君は決断できるはずだ』
王都の悲鳴が遠くで響く。
黒い蟻の波が、また一段広がった。
ヒマリは錫杖を握り直す。
(選ばなければならない)
王として。
誰かを守るために。
何かを捨てる覚悟を持って。
その時。
「……ヒマリ」
フェルマーが静かに呼んだ。
「分かってる」
ヒマリは顔を上げた。
「でも、今すぐじゃない」
「え?」
「今夜は守る」
錫杖を構える。
「コアへ向かうには情報が足りない」
ヒマリは魔王城を見つめた。
「今の状態で飛び込めば、魔王城を止める前に
――私自身が取り込まれる」
フェルマーは一瞬だけ目を細めた。
そして、静かに頷く。
「承知しました」
「では、今夜の方針を」
ヒマリは王都を見る。
「結界のサポートを受けながら浄化を波状展開に切り替える。
蟻の拡散を少しでも遅らせる」
「市民は王城区画へ避難」
「兵士は蟻の密度が低い区域を優先して防衛」
フェルマーが確認する。
「完全な撃退は?」
ヒマリは短く答えた。
「諦める」
一瞬。
フェルマーの表情が固まった。
だが、ヒマリは続けた。
「今夜の目的は勝つことじゃない。
朝まで、持たせること」
フェルマーは深く頷いた。
「分かりました」
ヒマリは城壁から飛び降りた。
石畳へ着地すると、すぐに錫杖を掲げる。
白い光が広がった。
蟻の群れを押し止める、一時的な防壁。
いつか崩れる壁。
それでも。
今夜は、これしかない。
(クルス)
『いる』
(魔王城に残った魔物たちは避難させて)
少し間があった。
『……君は優しいな』
(敵だったとしても、今は違うから)
クルスは小さく息を吐いた。
『ヒマリ』
「なに?」
『君の限界値は把握している』
わずかな沈黙。
『ぎりぎりまで働くつもりなら……せめて倒れる前に休め』
ヒマリは少しだけ笑った。
「お気遣いありがとう」
そして、再び王都へ向かって歩き出す。
夜は、まだ終わらない。
魔王城は静かに輝いている。
その内部で。
何かが、ゆっくりと人形を作り始めていた。
今までのヒマリであれば、すべてを守りいく。
そんな彼女の成長も描けた回になっています。




