王都封鎖
いよいよ最終章が始まります。
王都に訪れた静かな異変。
それはやがて、誰も予想しなかった脅威へと姿を変えていきます。
王都の空気は、重かった。
秋の風は吹き抜ける。
だが冷たいだけではない。
何か、湿ったものが混じっている。
王都ブリュード西区画。
城壁の上に立つヒマリは、ゆっくりと遠眼鏡を下ろした。
嫌な感じがする。
昨日より確実に
――魔王城が、近い。
もちろん距離が変わるはずはない。
けれど、そう思ってしまうほど、存在感が増していた。
黒い外壁。
空へ突き出した無数の砲塔。
沈黙した巨大建造物。
今はヒマリの制御下にある――はずだった。
「……また動いてる」
小さく呟く。
魔王城外壁の砲塔が、ゆっくり角度を変えていた。
ギギ……ギギギ……
鈍い音。
誰も操作していない。
命令も出していない。
まるで、何かを探しているみたいに。
「昨日より稼働数が増えている」
隣でフェルマーが言った。
銀縁眼鏡の奥で、魔法術式が高速回転している。
だが、その顔色は悪い。
「砲台に魔物反応は?」
「ありません」
即答。
そして。
「……それが、一番おかしい」
ヒマリは眉を寄せた。
「魔王城内部の魔力流が変質しています」
「変質?」
「本来、魔王城はヒマリの浄化魔力を基準に最適化されている」
「今は、クルスが代わってくれているけど」
「内部で別系統の演算処理の痕跡が見える」
嫌な沈黙。
「人間の感情波形に酷似した魔力反応です」
ヒマリの胸が、小さくざわついた。
「……感情?」
「痛み。憎悪。恐怖」
フェルマーは低く続ける。
「特に、救済を求める感情への異常執着が見える」
その瞬間。
胸の奥で声がした。
『ヒマリ』
「クルス?」
静かな声。
魔王城コアを司るヒマリとの融合体。
『君が救った人たちを覚えてる?』
ヒマリは目を瞬いた。
戦災孤児。
遺体を抱き、泣いていた母親。
家族を失った兵士。
ロンデルの助けを求めた人々。
全部、覚えている。
『浄化した穢れは、本当に消えていたと思う?』
呼吸が止まった。
「……どういう意味?」
『人間の感情は複雑すぎる』
クルスの声が重くなる。
『苦痛を取り除いても、苦しんだ記憶までは消えない』
ヒマリは魔王城を見た。
巨大な黒い城。
おかしなくらい、魔物の気配が感じられない。
(まさか……)
『魔王城が、学習している』
ぞわり、と背筋が冷える。
『救済されなかった痛みを』
その時だった。
ゴゴゴゴゴ――
低い振動。
空気が震える。
「……っ!」
魔王城の砲塔が、一斉に持ち上がった。
一つじゃない。
全部だ。
数十門にもおよぶ砲塔が王都へ向く。
「フェルマー!」
「王都外壁へ結界を緊急展開!!」
クルスの声が裏返る。
『コアからの制御系が反応しない! 完全自律稼働で動いている!!』
兵士たちが城壁を駆ける。
「避難警報!!」
「市民を地下区画へ!!」
「西区画閉鎖!!」
鐘が鳴る。
ガン、ガン、ガン――!!
市場のざわめきが悲鳴へ変わる。
荷車が倒れる。
子供が泣く。
人々が逃げ始める。
ヒマリは外壁の結界に浄化術式を展開した。
白い光が城壁へ広がる。
だが、嫌な予感が消えない。
ただの暴走じゃない。
これは、何かが目覚め始めている。
『ヒマリ』
クルスの声が震えていた。
『だめだ……砲台が僕の制御を受け付けない』
「そんな……」
『だが、軌道を逸らすくらいなら――』
次の瞬間。
世界が白く染まった。
ゴォォォォォン。
遅れて衝撃。
空が、焼ける。
「――っ!?」
極太の魔力光線が、魔王城から放たれていた。
王都ではない。
空。
誰もいない上空へ。
『間に合ったか……』
クルスの声。
だが、空間が裂けた。
ビキビキ、と。
空そのものに亀裂が走る。
雲が割れた。
巨大な黒い裂け目が現れる。
王都中が静まり返った。
誰も声を出せない。
ただ、空の傷を見ていた。
そして。
そこから。
黒いものが、落ちてきた。
ざあ……
ざあああ……
砂みたいに。
黒い粒が、城壁へ降り積もる。
ヒマリは、ゆっくりそれを拾った。
「……砂?」
黒い砂。
細かく、冷たい。
その瞬間。
ざわり。
指先で、動いた。
「……っ!」
小さな脚。
黒い顎。
無数の目。
「ヒマリ、離れろ!!」
フェルマーの叫び。
次の瞬間。
砂が弾けた。
カサカサカサカサ――!!
無数の黒い粒が、地面を埋める。
蟻。
だが普通じゃない。
脚が長く、頭部の半分が複眼で覆われている。
そして、鳴いていた。
人間の悲鳴みたいな声で。
「な、なんだこれは!?」
「斬れ!!」
兵士が剣を振り下ろす。
だが、斬った端から増える。
黒い砂が蟻へ変わる。
結界に覆われた城壁を埋める。
質量で結界が揺らいだ。
『ヒマリ』
クルスの声が低く沈む。
『想定外だ』
『……魔王城に、僕以外の意思が生まれつつある』
ヒマリは王錫を握り締めた。
遠く、魔王城が。
こちらを見ている気がした。
そして。
誰もいないはずの空間から、声が響く。
『――欲望解析』
王都の空気が凍る。
『最適化を開始』
ヒマリの喉が、乾いた。
(……魔王城が、クルスもいないのに喋った)
次の瞬間。
再び全砲塔が
王都へ照準を合わせた。
『……ヒマリ』
クルスの声が、静かに落ちる。
『戦争の時間だ』
これまでヒマリたちは、魔物や魔王、
そして人々の絶望と向き合いながら「救済」を積み重ねてきました。
なぜ今になって魔王城は自ら動き始めたのか。
空から降ってきた黒い蟻の正体とは。




