交易という名の停戦
昨夜の襲撃を受け、北部都市群は重大な決断を迫られます。
報復か、それとも新たな道か。
襲撃から一夜が明け。
ペトラの執務室には、ヒマリ、ノリス、ペトラ、ネリィの四人が集まっていた。
重い沈黙を破るように、ペトラが静かに口を開く。
「刺客は捕縛した」
ヒマリが顔を上げる。
「生きてるの?」
「ああ。口も割らせた」
ペトラは一拍置き、小さく息を吐いた。
「……方法は聞かないでほしい」
その一言で十分だった。
商人国家にも、表に出せない仕事はある。
北部都市群で暗殺未遂を起こされた以上、
ただで放免することなどあり得なかった。
「……分かった。続けて」
「首謀者はジギスムントだ。刺客は王家直属の影術士だった」
「やっぱり」
「それだけじゃない」
ペトラは真っ直ぐヒマリを見る。
「アレクシス公子の失われた目と腕。
どうやら、ジギスムントが保管しているらしい」
部屋の空気が凍りつく。
ノリスが息をのむ。
ヒマリは表情を変えなかったが、錫杖を握る指先にだけ力が入った。
「……義眼や義手に使える組織が残っているということ?」
「そうだ。適合する組織がなければ魔術的な接合は難しい。
それを知って、切り札としているのだろう」
ネリィが静かに呟く。
「交渉材料、ということね」
ペトラは黙って頷いた。
◆
ヒマリは窓の外へ目を向ける。
朝の港では船が行き交い、市場には人々の声が満ちていた。
ペトラは静かに口を開いた。
「北部都市群として宣戦布告をしてもよいぞ。
一度、強い態度で臨むべきだ」
「もっと、いい方法があるわ」
盤面を読み切る男が、盤面の外へ手を伸ばした。
追い詰められた相手は、何をするか分からない。
それよりも――。
頭の中に、一枚の地図が広がる。
北部都市群とサンドランドを繋ぐ海路を
王都も巻き込んだ、大陸規模の交易圏として再生する。
富が循環すれば、戦争の動機が薄れる。
「サンドランドにも海路を開放しましょう。
北部都市群にも、王都にも。
空路も絡め、全部を繋げる」
ネリィの目が、鋭くなる。
「……独占を手放すということ?」
「すべて、共有する」
一拍置いて微笑む。
「ネリィ、あなたの海路は今、年でどれくらい稼いでる?」
「……それを聞いてどうする気?」
「その数字が十倍になるとしたら?」
沈黙。
ネリィの目が細くなる。
「誰かが独占するより、全員が使える方が、最終的に富は大きくなる」
ヒマリは続けた。
「リスクはある。それでもブリュードはやる」
ネリィは、しばらく黙っていた。
「……計算させて」
「もちろん」
ペトラが小さく笑う。
「先行投資だな」
「うん。今度は大陸全体への投資」
ペトラが僅かに眉を動かす。
「だが……本当に報復はしないのか?」
「出来ない」
ヒマリは迷わず答えた。
「追い詰めすぎた敵は危険だから。昨夜、それを思い知らされた」
ペトラは眉を寄せたまま、静かに頷く。
ヒマリは港を見つめたまま続ける。
「ただ、条件は一つ」
静かな声だった。
「アレクシス公子の目と腕を返してもらう」
ノリスの肩がピクリと震えた。
「引き受けよう」
ペトラは力強く頷き、そして問いかける。
「……交渉には、こちらが上位として強い態度で臨むが、
ジギスムントは応じると思うか?」
「応じるよ」
ヒマリは以前、天幕で会った時の鋭利な瞳を思い浮かべた。
「彼は合理的な人だから、出口があるなら選ぶ」
ペトラは深く頷いた。
一方、ネリィは窓の外を見つめたまま動かない。
(商人でもない女王が、大陸規模の交易圏を描く)
しかも、その構想には無理がない。
自分はノリスなら利用できると思っていた。
だが違った。
(この女王の隣にいる者は……誰も動かせない)
その事実が、初めてネリィを恐れさせた。
◆
その日の午後。
アレクシスの病室。
ヒマリは昨夜の襲撃から、ペトラとの交渉まで、
何一つ隠さず話した。
話を聞き終えたアレクシスは、小さく微笑む。
「……ヒマリさんらしいですね」
「そう?」
「戦わない道を選んだ」
「必要なら戦うよ」
ヒマリは少しだけ苦笑した。
「でも、今じゃない」
アレクシスは静かに頷く。
「僕のために、海路を開放するんですか」
「あなたのためだけじゃない」
ヒマリは真っ直ぐ答えた。
「でも、その理由の一つではあるかな」
アレクシスは目を伏せる。
「……ありがとうございます」
「ジギスムントとの交渉はこれからよ。
ペトラさんなら上手くやってくれると思う」
話しながら、ヒマリは小さく欠伸をした。
『ヒマリ、睡眠が不足している』
(あの騒動の後で眠れる訳ないでしょう。
クルスの言い方って、とても腹が立つ時があるわ)
「どうしました?」
「あっ、少し寝不足みたいで、えへへっ……」
ヒマリは照れ笑いをして、外の景色に目を向けた。
港ではギーレ港に向かう船が錨を上げ始めていた。
ヒマリは争う理由そのものを減らす道を選びました。
譲れない条件も、しっかり突きつけます。




