女王が持ってきた新しい道
山脈を越えてきたヒマリ女王。
迎えに来た――ただそれだけの行動が、
北部都市群に新たな選択肢をもたらします。
重厚な木扉が静かに閉じられた。
長机を挟み、中央にはヒマリ、
その向かいにはペトラとネリィが腰を下ろしている。
窓の外では、ドラムの低い鳴き声がかすかに響いていた。
しばらく誰も口を開かなかった。
山脈を越え、本当に飛行魔物で現れた女王。
しかも、それはただの奇策ではない。
北部都市群が数か月もの間、答えを見いだせずにいた問題へ、
一つの現実的な可能性を示していた。
やがて沈黙を破ったのはネリィだった。
「……まず確認させて」
その目は、商人そのものだった。
「あなた、本当に飛行魔物の定期運用を考えているの?」
ヒマリは静かに頷く。
「はい」
「でも飛行魔物は数が少ないし、気性も荒い。
長距離飛行には訓練も必要よ」
ネリィは指を組みながら淡々と続ける。
「餌代もかかるし、積める荷も船には遠く及ばない。
象徴としては優秀でも、基幹交易を担うには力不足だわ」
鋭い指摘だった。
ペトラは口を挟まず、ただヒマリを見つめる。
どう答えるのかを見極めようとしていた。
ヒマリは少し考え、落ち着いた声で答える。
「おっしゃる通りです。大量輸送の代わりにはなりません」
その言葉に、ネリィの眉がわずかに動いた。
否定もしない。
誇張もしない。
「木材や鉱石を大量に運ぶなら、海路には敵いません」
一拍置き、ヒマリは続ける。
「でも、『止まってはいけない物』なら運べます」
ペトラが静かに目を細める。
「医薬品、希少素材、魔導部品、契約書や緊急外交文書。そして――」
ヒマリは二人を見つめた。
「木材不足で造船が止まりそうな都市へ、
最低限必要な資材を届けられます」
ネリィの思考が止まった。
造船三都市。
シュヴァルツ。
ミュール。
そして港湾加工区。
ロンデル崩壊以降、慢性的な木材不足に苦しみ続けている地域だ。
船台は止まり、補修は遅れ、海路そのものが細り始めている。
だからこそ北部都市群は、
サンドランドとの独占契約に心を揺らしていた。
飛行魔物は海路を置き換える存在ではない。
しかし物流を止めないための「止血」としてなら、
十分な価値がある。
(……なるほど)
ネリィは理解した。
これは代替ではない。
海路を補完する第二の物流網だ。
依存先を一つ増やす。
それだけで交渉力は大きく変わる。
「さらに」
ヒマリは続けた。
「飛行魔物の育成方法も共有します」
ネリィが目を見開く。
「技術まで?」
「はい。私が浄化した魔物なら、人に慣れやすく、
安全に育成できると思います」
「わかってるの?
人が乗れる飛行魔物なんて、交易以外にも幾らでも使い道がある」
「だから、王都で独占してはいけないのです」
迷いのない返答だった。
「今回、私が通ってきた安全な飛行ルートも共有できます。
王都だけのものではなく、北部都市群と共同で運用できる
航路にしたいと考えています」
(選定したのはクルスだけど……)
その一言だけは胸の中へしまった。
部屋は再び静まり返る。
ネリィは頭の中で条件を一つずつ積み上げていく。
飛行魔物の頭数、繁殖性、育成費、積載量、航続距離。
海路との併用や季節変動まで計算へ組み込み、利益を弾き出す。
そして計算を重ねるほど、一つの結論へ近づいていった。
(……勝てる)
いや、違う。
(依存しなくて済む)
その価値は、利益以上に大きかった。
商人国家にとって、依存は支配を意味する。
今、目の前にはジギスムントの盤面を崩せる可能性があった。
ペトラが静かに立ち上がる。
「なるほど」
低く穏やかな声だった。
「君は希望だけではなく、現実も持ってきた」
ヒマリは少し照れくさそうに笑う。
「まだ未熟な案です。
でも、困っている人がいるなら、今できることを持って来ました」
その言葉に、ネリィは小さく息を吐く。
(単身で来たのは、自信だけじゃない)
(勝算があるから、一人で来たわけか)
同盟のためではない。
迎えに来た、その途中で。
困っている人を見つけたから、手を差し伸べた。
それだけなのに。
結果として、それが最も強い交渉札になっている。
(……商人として、一番やりにくい相手だわ)
理屈だけでは読めない。
それでいて、決して甘くもない。
ペトラはネリィへ視線を向けた。
「北部都市群として結論を出そう。
異論はがあるなら、この場で言ってくれ」
短い沈黙。
やがてネリィは肩をすくめ、小さく笑った。
「……海路だけの時代じゃないってことね」
一拍置いて、ヒマリを見る。
「その提案なら、北部都市群は選択肢を持てる」
それは敗北を認める言葉だった。
同時に、商人として最も合理的な判断でもある。
ペトラは満足そうに頷く。
「では――北部都市群は、ヒマリ女王へ協力する」
その宣言は静かだった。
だが、その重みは誰よりも理解していた。
同盟ではない。だが――
政治。
交易。
保護。
すべてを含めた正式な後ろ盾となる。
ヒマリは深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
その声だけが、少し震えていた。
ペトラは静かに微笑む。
この王が本当に欲しかったものは、同盟でも交易でもない。
「……では、ご案内しましょう」
ヒマリが顔を上げる。
「案内?」
「二人が待っています」
その一言で、空気が変わった。
ヒマリの指先が錫杖を強く握る。
「……私によく似た子は」
少しだけ声が震える。
「元気……ですか」
ネリィは初めて柔らかな表情を浮かべた。
「さあ」
小さく笑って肩をすくめる。
「本人に聞けば?」
ヒマリの瞳が少しだけ潤む。
「……はい」
静かに立ち上がる。
錫杖の音が応接室へ響く。
山脈を越えてきたその足は、もう迷わない。
ヒマリは、影と公子が待つ場所へ向かって、まっすぐ歩き始めた。
そして次はいよいよ――。
山脈を越えてきた女王と、ふたりの再会です。




