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ゴミとして捨てられた聖女、魔王と手を組み王国に復讐する  作者: ふりっぷ
第四章 北部都市群編

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北の商人たち、それぞれの算盤

北部都市群――。

利益で動く商人国家にも、それぞれ譲れない“算盤”がある。

 北部都市群・主席執務室。


 深夜を回った議事堂は、静まり返っていた。


 かつて議会では怒号と利害が飛び交っていた円卓も、

 今は冷えた石の匂いだけを残している。


 その中で、ただ一室だけ灯りが消えていなかった。


 陸路代表主席――ペトラの執務室である。


 港湾収支、造船進捗、交易記録――。


 机の上には赤字の印が並ぶ報告書が山のように積まれていた。


 ペトラは一枚を手に取り、小さく息を吐く。


「……三割停止、か」


 視線の先にあるのは、シュヴァルツ造船区の損失報告だった。


 原因は単純だ。


 ロンデル公国の崩壊による木材不足。


 たったそれだけで、北部都市群の経済は目に見えて鈍り始めていた。


 窓の外には夜の港が広がっている。


 本来なら、この時間でも眠らない場所だ。


 金槌の音。

 怒鳴り合う職人たちの声。


 波止場を駆け回る荷車。


 北部の夜は、交易の音でできている。


 だが、今夜だけは違った。


 止まった船台が月明かりの下に黒く沈み、

 まるで墓標の列のように並んでいる。


(……ロンデルの穴は深いな)


 椅子へ身体を預け、机の上の一枚の契約書へ目を向ける。


 砂色の封蝋。


 サンドランド王国。


 差出人――ジギスムント。


『独占海路契約』


 木材供給の再開、海路優遇。

 関税緩和。


 一見すれば理想的な条件だった。


 だが、ペトラの目は細くなる。


(依存は、支配の入口だ)


 サンドランドは砂漠国家。


 本来、木材とは無縁の国である。


 その国が今、ロンデル公国のギーレ港を押さえ、

 北方海路そのものを握ろうとしている。


 狙いは物流の支配。


 一度依存すれば終わる。


 価格を吊り上げられても逆らえず、

 契約を盾に譲歩を迫られても逃げ場はない。


 商人国家にとって、一国依存は毒だった。


 だが、それ以外の選択肢も乏しい。


 ペトラは壁の地図へ視線を移した。


 王都ブリュードは山脈の向こう。


 遠く、輸送効率も悪い。

 冬になれば山道は閉ざされる。


 合理だけを考えるなら、選ぶ理由はなかった。


 それでも、サンドランドに対抗できる可能性を持つ

 国があるとすれば、そこしかない。


 ペトラは静かに目を閉じた。


(……来い、ヒマリ女王)


(商人の算盤を狂わせる王なら、俺に答えを見せてみろ)


 部屋の灯りが、小さく揺れた。


     ◆


 同じ夜。


 港湾区画・倉庫街。


 海風が吹き込み、錆びた鎖が耳障りな音を立てていた。


 薄暗い倉庫の一室。


 一本だけ灯された明かりの下で、

 ネリィは椅子へ深く腰掛け、向かいの男を見つめていた。


 相手はサンドランド商船の船頭。


 しかし、その眼差しは商人ではなく、

 誰かを監視する者のものだった。


「議会での発言は確認しています」


 男が低い声で切り出す。


「独占海路契約を推したそうですね」


「ええ。否決されたけど」


 男の眉がわずかに動いた。


「……ジギスムント様は成果を望んでおられます」


「義理は果たしたわ」


 ネリィは即座に言い返す。


「契約通り働きかけた。それ以上は約束していない」


「そんな建前が――」


「私が約束したのは働きかけだけ。結果じゃない」


 短い沈黙が流れる。


 やがて男は別の書類を差し出した。


「では、別件です」


「聞くだけ聞くよ」


「北部都市群で異界由来の人物を保護しておりませんか?」


 その一言で空気が凍った。


 ネリィは微動だにせず男を見返す。


「……さあね。北部都市群に城壁はない。

 人の出入りまで管理できるほど暇じゃないもの」


「隠し立ては御身のためになりませんぞ」


「心配していただいて、お優しいこと」


 ゆっくり立ち上がり、机へ両手を置く。


 海のように冷えた視線が男を射抜いた。


「……それとも、脅しかしら?」


 男は答えない。


 その沈黙を見届けるように、ネリィは静かに続ける。


「私は利益で動く。でも、信用を売るほど安くない」


 声は穏やかだった。

 それでも、一言ごとに刃のような鋭さが宿る。


「保護を求めた人間を売れば北部都市群の信用は死ぬ。

 信用が死ねば商売も終わる」


「そんな損失取引をするほど、私は安い商人じゃない」


 男は小さく笑った。


「では、もっと分かりやすい利益を提示しましょう」


 懐から新たな契約書を取り出す。


「油田権益を一割、お渡しします」


「随分と値を吊り上げてきたわね」


「これは北部都市群への提案ではありません。

 副主席個人への権益です」


 ネリィは答えず、窓の外へ目を向けた。


 暗い港。


 脳裏に浮かぶのは、

 血まみれになりながら公子を抱えていた少女の姿だった。


 少し前の自分なら、迷わず契約書へ手を伸ばいしていただろう。


(……これが、ペトラの言う焦りなのかもしれないわね)


 やがてネリィは男へ向き直り、わずかに口元を歪めた。


「ジギスムントに伝えて」


「『新婚くらいは政略を忘れて、アリシア姫を大切になさい』って」


 男は舌打ちしながら立ち上がる。


「ギーレ造船所で建設されるのは交易船だけではない。

 後悔されるなよ」


     ◆


 翌朝。


 北の淡い朝日が石床を静かに照らしていた。


 ペトラは夜通し書類と向き合った疲れを隠したまま廊下を歩く。


 その先から海色の外套が近づいてきた。


 ネリィだった。


 二人とも徹夜だ。

 顔を見れば、それだけで分かる。


「昨夜、サンドランドの使者が来た」


「内容は?」


「公子の引き渡し要請」


 一瞬だけ空気が張り詰める。


「もちろん、とぼけておいたわ」


 ペトラは小さく息を吐いた。


「……そうか」


「意外だった?」


「いや」


 首を横へ振る。


「お前は損得勘定を間違えない」


「褒めてるの?」


「事実だ」


 二人らしい、短いやり取りだった。


「本当に焦ってるみたい。脅しまがいのことまで言い始めた」


「当然だ。知らぬ間に公子をさらわれたのだからな」


「でも、公子を売れば北部都市群の信用は終わる」


「保護を求めた相手を引き渡す商人国家など、誰も信用しない」


 ペトラはわずかに口元を緩めた。


「海の連中も、たまには良い判断をする」


「陸の連中より現実的なだけよ」


 そう言い返したあと、ネリィの表情が少しだけ真剣になる。


「……もし、ヒマリ女王が来なかったら」


 ペトラの歩みが止まる。


「北部都市群は、どこまで動ける?」


「武力応戦は難しい。八都市すべての合意が必要だ。

 戦を嫌う都市も少なくない」


「つまり、私たちにできるのは外交と交易だけ」


「ああ」


 ペトラは朝日を遮るように帽子へ手を添えた。


「だが、公に庇護を宣言すれば中立ではいられなくなる」


「……ジギスムントが、それを口実に攻めてきたら?」


 しばらく沈黙が流れる。


 やがてペトラは静かに答えた。


「その時は、商人を辞める」


 ネリィが目を見開く。


「……本気?」


 迷いなく頷く。


「主席である私が責任を取れば議会は折れる。

 新しい主席が選ばれるまで契約も止まる。その間だけでも時間は稼げる」


「時間?」


「女王が来るまでの時間だ」


 ネリィは言葉を失った。


 そこまで賭けるのか。


 まだ来るかも分からない一人の王へ。


「……馬鹿ね」


「よく言われる。だが、俺はこうしてのし上がってきた」


 ペトラは小さく笑う。


「正しい未来を選んでな」


 ネリィは黙った。


 そして気づけば、小さく呟いていた。


「……辞任なんて、させないわよ」


 ペトラが横目で見る。


「主席の座が惜しくはないか?」


 ネリィは答えない。

 ただ、小さく笑みを浮かべた。


 合理では説明できない期待を隠すように。


 商人には、それぞれ譲れない算盤がある。


 そして今、ネリィの算盤もまた、

 利益だけでは弾けない数字を数え始めていた。

北部都市群側の商人たちのお話でした。


同じ“利益”を見ていても、

ペトラとネリィでは「何に投資するか」が違っています。

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