最大の投資先
商人国家は、感情では動きません。
――けれど、未来への投資は時に理屈を超えます。
北部都市群・中央議事堂。
夕日が高窓から差し込み、巨大な円卓を赤く染めていた。
朝から続いた議論は、すでに半日を超えている。
それでも議場を満たす熱気は衰えなかった。
八都市の代表者たちの議論は、
少しずつ一つの結論へ傾き始めていた。
――サンドランド。
砂漠国家でありながら海へ進出し、
新造船団を完成させつつある新たな覇者。
その独占契約が生み出す利益は、あまりにも大きかった。
「現実を見ましょう」
海路統括補佐ネリィが立ち上がり、
藍色の髪を揺らしながら地図へ指を伸ばす。
「王都ブリュードとの交易は山越えが必要。
物流速度、積載効率、維持費――どれを取ってもサンドランドが上よ」
静かな声だった。
それでも議場の隅々まで、よく通る。
「感情で商売はできないわ」
「その通りだ」
「北部が生き残るなら海しかない」
「ロンデル公子なぞ、高値で引き取らせればいい」
賛同の声が次々と上がり、
議場の空気はゆっくりとネリィへ傾いていく。
陸路代表主席ペトラは、大柄な身体を椅子へ預けたまま腕を組み、
黙って議論を聞いていた。
やがて日が完全に沈む頃、低い声が議場に響く。
「ジギスムントは偉大な王だった。
サンドランド独占契約、大いに結構」
ネリィがわずかに笑う。
「なら――」
「今まではな」
ペトラは表情一つ変えない。
「ブリュードを追われた今、奴には焦りが見える。
アレクシス公子が我々の手にある以上、木材調達にも必ず支障が出る」
「それは……」
「利益だけ追う商人は長く勝てん」
重く低い声が議場へ響く。
「本当に儲ける奴は、裏切らん相手に張る」
その一言に、議場が静まり返った。
その時だった。
議場の扉が静かに開き、一人の文官が足早に入ってくる。
「報告です」
一礼し、息を整えてから告げた。
「保護したロンデル公子ですが、高熱が続いております。
右腕欠損、右目損傷の影響で、意識も安定しておりません」
円卓が小さくざわめく。
「ですが……傍にいる少女が話しかける時だけ、反応を示しております」
「ヒマリ女王に似ているという、例の少女か」
誰かがつぶやく。
「はい。公子の傍を離れず、治療にも付き添っています」
沈黙を破ったのはネリィだった。
「情は美談になる」
冷え切った声だった。
「でも商売も国も、それじゃ回らない」
円卓を見渡しながら続ける。
「今もっとも勢いのあるヒマリ女王が、
たった二人のために山脈を越える?」
誰も答えない。
「そんな判断をする王がいるなら、一度お目にかかりたいものね」
静かな冷笑が広がる。
誰もが同じ考えだった。
その程度の理由で、王が国を空けるはずがない。
「議論は出尽くしたようだな」
ペトラは懐から契約印を取り出した。
コトリ。
小さな音が円卓へ響く。
その一枚へ全員の視線が集まる。
「主席として、俺は張る」
低い声が議場を貫いた。
「ヒマリ女王が山脈を越えて来た時、
北部都市群は王都ブリュードと最大同盟を結ぶ」
「本気か!?」
「リスクが大きすぎる!」
「一人の王へ賭ける気か!」
ネリィも眉を寄せる。
「そこまで感情的になるなんて意外ね」
だがペトラは小さく笑った。
「違う」
即答だった。
「これは商売だ」
その眼光が鋭く光る。
「命を懸けて迎えに来る王は――契約も裏切らん」
誰も口を開けなかった。
「国だけ守る王は多い」
「だが、人を見捨てない王は少ない」
代表たちを静かに見渡す。
「そんな王は、臣下からも民からも見捨てられん」
議場の空気が変わる。
「今回救われるのは二人かもしれん」
「だが、それを見た兵士も、民も、商人も忘れない」
ペトラは静かに言い切った。
「――あの王は、迎えに来る王だと」
代表たちの表情が変わる。
「……確かに」
「そこまでして来る王なら」
「長期同盟には向いている」
「ブリュードを切るには早いか……」
一人、また一人と頷き始めた。
ネリィは深く椅子へ身を預け、小さく息を吐く。
「仮に来たとして」
細い瞳がペトラを射抜く。
「ヒマリ女王は王都を空けることになる。それは国家として正しい判断?」
誰も答えなかった。
ペトラも沈黙したまま。
やがてネリィは肩をすくめる。
「私は反対よ」
そう言ってから、目に皺を溜めて小さく笑った。
「でも……来るなら、一度見てみたいわね」
ペトラも口元だけで笑う。
「来なければ?」
議場の誰かが問う。
ペトラは迷わず答えた。
「その時は、俺の商才が鈍ったということだ」
「商人として潔く負けを認めよう」
再び議場が静まり返る。
この場の誰も知らない。
その頃ヒマリは、すでに山脈越えの準備を整えつつあることを。
北部都市群の議会はひとつの結論を得ました。




