背負いすぎた代償
ヒマリが倒れます。
彼女が倒れても、世界は止まりません。
今回は、フェルマーの話です。
ロンデル公国は、静寂を取り戻していた。
それは、泣き声すら、もう尽きてしまった後の沈黙だった。
焼け落ちた城壁、崩れた街路、煤に染まった石畳。
瓦礫の隙間には、未だ回収しきれぬ遺品が埋もれている。
風が吹くたび、灰が舞った。
ヒマリは、一人で歩いてく。
誰も声を掛けられなかった。
護衛兵も、側近も、ただ沈黙のまま彼女の背を見守る。
王が今、何を見ているのか。
誰も、想像したくなかった。
瓦礫の陰から、小さな影が顔を出す。
幼い少女だった。
痩せ細った腕。汚れた頬。
けれど、その目だけは――ヒマリを見ていた。
ゆっくりと頭を下げる。
助けに来てくれた人を見る目だった。
ヒマリの胸が、痛む。
(……間に合わなかった)
何度目か分からない言葉が、心の底に沈んでいく。
クルスは言っていた。
王都防衛とロンデル救援の両立は不可能だと。
だから王都を守れ、と。
ヒマリも理解していた。
理解した上で、選んだ。
――王都を。
その結果が、これだ。
「……私の、判断ミスだ」
誰にも聞こえない声が、灰の中へ落ちた。
王である以上、誰かを守る選択は、誰かを切り捨てる決断と同じ。
分かっていた。
だが、分かることと、耐えられることは違う。
◆
仮設指揮所は、半壊した議会堂を改修して作られていた。
議事堂に向かう途中に、先程の子供が駆け寄ってきた。
「ヒマリ様、これ!」
子供が、焼け焦げた木片を差し出す。
「おうちの柱なんだ。
また建てるから、残しておきたいの」
「偉いわね。私も頑張るから――」
言い終えた瞬間、ふいに視界が揺れた。
足元が、わずかに沈む。
「……ヒマリ様?」
護衛兵が一歩前へ出る。
「大丈夫」
即答だった。
けれど、壁に触れた指先が、小さく震えている。
ヒマリは気づかれないよう、そっと手を離した。
(まだ、倒れられない)
今、止まれば。
この子たちの目が、絶望に変わる。
そんな気がした。
ヒマリはその日から、休まず復興会議を始めた。
「食糧供給路に残っている魔物を殲滅」
「浄水施設を最優先。疫病は何よりも危険よ。
あと、孤児保護施設を設立。税は五年間免除で」
矢継ぎ早に飛ぶ指示を飛ばす。
王都直轄予算の切り崩し、仮設住居の建設。
医療班の追加派遣。
合理的で、素早い。
政治的に見れば、ほぼ完璧だった。
だが、完璧であろうとするほど、ヒマリ自身は削られていく。
「……ヒマリ様、少し休憩を」
「後で」
短く返す。
目は、書類から離れない。
眠ると、夢を見るからだ。
崩れる王宮。
通信越しに聞いた、アレクシスの声。
『あなたが選んだ道を、僕は信じています』
その言葉が、胸を抉る。
(私は……本当に、最善を尽くした?)
答えは出ない。
止まった瞬間、後悔が追いついてくる。
◆
三日後。
夜明け前でも仮設指揮所の灯りは、消えていなかった。
机の上には、書類の山。
床にまで広がる報告書。
その中央で、ヒマリは静かに署名を続けていた。
ペン先だけが、規則正しく動いている。
だが、指先は震えていた。
「……陛下」
側近の声。
返事はない。
「ヒマリ様!」
強く呼ばれ、ようやく顔を上げる。
焦点が、合っていなかった。
「……何?」
乾いた声。
「もう三日です。お休みください」
「……まだ、終わってない」
その瞬間、ペンが、床に落ちた。
次いで――
ヒマリの身体が、崩れる。
「――陛下!!」
◆
「過労と極度の精神疲弊です」
医師は静かに告げた。
「魔力循環障害も起きています。このままでは生命に関わる」
室内が、凍りつく。
「回復には?」
フェルマーが問う。
「最低二週間。完全回復は数ヶ月単位です」
沈黙。
王不在。
それは国家機能停止を意味する。
フェルマーは、静かに言った。
「……私が代行する」
誰も異論を挟まなかった。
◆
復興は止まらなかった。
フェルマーは、ヒマリの政策を寸分違わず引き継ぐ。
だが、彼はそこに冷徹な精密さを加えた。
物流経路を組み替え、
冬を越すための住居計画を書き直す。
疫病を防ぐため遺体の処理を急がせ、
配給の横流しは容赦なく処罰した。
そして、民の不安を抑えるための情報統制。
「フェルマー様なら、この国は立ち直れる」
そんな声も増え始める。
だが、彼自身の目は、復興ではなく――戦場跡へ向いていた。
◆
ロンデル旧内城跡。
瓦礫の奥に、崩れた魔術陣があった。
フェルマーはしゃがみ込み、刻印をなぞる。
(……高度すぎる)
魔物が構築できる水準ではない。
しかも、街の急所だけを正確に潰している。
浄水施設、補給拠点。
避難経路。
すべて、復興が困難になる場所だった。
(……偶然ではない)
地下水路も同じ、破壊があまりに正確だ。
魔物の大規模襲撃ではない。
国家そのものを壊すための高度な戦術。
「……誰かが、最適な失敗を作った」
フェルマーは、静かに呟く。
ヒマリが見た復興資料も確認した。
異常はない。
むしろ、完璧だった。
だからこそ、怖い。
復興まで含めて、最適化されている。
(……誰が)
脳裏に、一つの名前が浮かぶ。
だが、口には出さなかった。
ヒマリが、信じている。
あの少女が、誰より頼っている相手。
(……まだだ)
証拠が足りない。
今、疑念を向ければ、ヒマリは壊れる。
◆
夜。
ロンデル西部、医療棟。
眠るヒマリの額には、薄く汗が滲んでいた。
夢の中でも、戦っているのだろう。
時折、苦しそうに眉を寄せる。
フェルマーは、そっと毛布を掛け直した。
「……君は、十分すぎるほど背負った」
小さく呟く。
その時、室内の空気が揺れた。
「ヒマリに何の用だ?」
低い声。
フェルマーが顔を上げる。
そこにいた。
黒衣。
長い髪。
整った顔立ち。
――男に演算粒子の波が揺らめく。
フェルマーは目を細めた。
「……なるほど」
静かに眼鏡を押し上げる。
「魔王クルスは女性だったはず」
クルスが沈黙する。
ほんの一瞬。
「ヒマリのために最適化した」
当然のように言う。
「男の姿の方が精神安定効率が高い」
フェルマーはため息をついた。
「いや、そういうことを聞いているのではない」
クルスの目が細まる。
「君は――魔王クルスなのか?」
空気が止まった。
少しだけ、クルスが視線を逸らす。
初めてだった。
迷うような顔。
「……そうだ」
淡々と。
「魔王城コアとしてヒマリと融合してから、
ずっとヒマリの中にいる」
フェルマーは黙った。
言葉は間違っていない。
だが。
(答えていない)
長年の勘だった。
研究者の勘。
そして、教師の勘。
「そうですか」
フェルマーは、それ以上追及しなかった。
代わりに言う。
「ひとつ忠告を」
クルスに視線を合わせる。
「彼女は馬鹿なほど、人を信じます。
嘘をつくなら、最後までつき通しなさい」
クルスが初めて黙る。
フェルマーは続ける。
「半端な真実が、一番人を傷付ける」
静寂。
そして、クルスは僅かにヒマリへ視線を落とす。
「……分かっている」
だが、その声は少しだけ弱かった。
分かっていて、それでも言わずにいる。
それがフェルマーという人物の結論なのだと思います。




