女王、前線へ
帰ってきました。
戦場に。
王都ブリュードは、燃えていた。
戦闘の音は途絶えている。
一戦終わった後の奇妙な静けさが支配している。
夜明け前の空は、戦火と魔力の余波によって灰色に濁り、
朝と夜の境目すら曖昧になっている。
焼け落ちた城壁。
崩れた石畳。
黒く焦げた建物の隙間を、治癒魔導士たちが慌ただしく駆け回っていた。
瓦礫の下からは、未だ救助を求める声が聞こえる。
それでも、街は沈黙していた。
次の襲撃を、ただ怯えながら待っている。
「……焼けた匂いが、まだ消えてない」
ドラムから降り立ったヒマリは、無意識に呟いた。
胸の奥が、重い。
パタゴニアの王都決戦で勝ったはずだった。
ジギスムント王を退け、戴冠もした。
――なのに。
戦争そのものは何も終わっていない。
「戦況は?」
玉座の間へ歩きながら、ヒマリが問う。
隣を歩くフェルマーが、淡々と報告した。
「初戦で異界魔物を迎撃。第二軍はサンドランド方面に釘付けだ。
北門は囮で、ノリスの撤退後再封鎖済み。
——ただしノリスの迎撃に当たった西区は被害が大きい。
兵力不足が深刻だ」
「……間に合った、ってこと?」
「いいや」
フェルマーは即答する。
「押し返しただけだ」
玉座の間に広げられた巨大な地図には、
王都周辺の被害状況が赤く刻まれていた。
北門、防衛再編中。
西区、守備隊壊滅率四割。
民間避難、継続。
補給線、不安定。
そして――南方戦線。
「ジギスムント王の軍勢が南から」
ヒマリが呟く。
「ノリスの異界魔物が西から……苦しいわね」
フェルマーが頷いた。
「王都決戦で退いたとはいえ、
ジギスムントはまだ生きている。こうなることはわかっていた」
ヒマリは、静かに地図へ視線を落とす。
この王都は、防衛に向いていない。
人口密集地。
民間人が多すぎる。
城壁が崩れれば、そのまま市街地戦になる。
そして今の王都には、それを耐える余力がない。
「……市街戦を選ぶわけにはいかない」
短く言った。
フェルマーが顔を上げる。
「兵の損傷はさらに拡大するが……」
「城壁を崩されたら終わりよ。籠城は選ばない」
数秒の沈黙。
そして、フェルマーは小さく息を吐いた。
「正解だ」
眼鏡の奥の視線が、僅かに鋭くなる。
「戦力差で籠城を選ぶようなら止めるつもりでした」
「王都の民は、戦意が低い。
支配者が変わることに抵抗がない」
「……奪われたことがないから?」
「ええ。ジギスムントは民から嫌われてはいなかった」
ヒマリは苦笑する。
だが、否定はしなかった。
「ただ」
フェルマーが地図を指差す。
「第二軍だけでは牽制が限界です。
シュルツが少しずつ兵を回しているが、兵力差は覆せない」
「ノリスの軍勢に、どう対応する?」
ヒマリは迷わず答えた。
「私が行く」
「私と、あなたで止める」
「正気か?」
珍しく、フェルマーの声が強くなる。
「中枢で指揮が取れなくなる上、君が捕らわれたら終わりだ。
女王が自ら前線に出る必要は――」
「あるわ」
ヒマリは視線を上げた。
その瞳に、迷いはない。
「私は、魔王で、聖女で――今は王なの」
「どれも、途中で放り出せない」
静かな声だった。
けれど、揺るがなかった。
フェルマーが言葉を失う。
その時だった。
――空気が、震えた。
次の瞬間。
王都全域に、警鐘が鳴り響く。
耳を裂くような警報音。
玉座の間へ、伝令兵が飛び込んできた。
「緊急報告!」
「南西方面、魔力反応急上昇!」
息を切らしながら、叫ぶ。
「異界魔物の召喚が始まりました!」
一瞬、空気が凍った。
フェルマーが舌打ちする。
「……来たか」
ヒマリは、奥歯を噛み締めた。
予想より早い。
いや――最初から狙っていたのだ。
王都北門から王国軍を拘束しながら、
徐々に移動して異界魔物を流し込む。
ジギスムントを牽制しながら二正面。
しかも、ノリスは容赦なく市街地狙い。
王都で最も嫌な形。
「ドラム、飛行準備」
ヒマリは即座に踵を返した。
「南西外縁へ向かう」
「ヒマリ!」
「もう時間がない。一緒に来て」
振り返らず、ただ、短く言う。
「これ以上、好きにはさせない」
玉座の間を飛び出した、その瞬間。
遠くの空が、黒く染まった。
空を覆う異界の裂け目。
そして、その中心を旋回する――黒翼。
王都上空を覆う、災厄の影。
魔王の黒翼が、沈む月光を遮った。
第二波が、始まる。
ヒマリがまた無理を始めます。




