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ゴミとして捨てられた聖女、魔王と手を組み王国に復讐する  作者: ふりっぷ
第三章 ロンデル公国編

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観測者は、彼女を手放せない

見ていることに耐えられなくなった、クルスの話です。

 ロンデル公宮で与えられた部屋は、静かだった。


 アレクシスとの会談を終えて、ヒマリは一息つく。

 窓の外に、エルドラの夜が広がっている。


 北方より、星が多い。

 空気が乾いているから、よく見える。


 ヒマリは、椅子に座ったまま、

 何もしていなかった。


 珍しいことだった。


 いつも何かを考えているのに、

 今夜は、頭が空白に近い。


(アレクシス)


 名前を思い浮かべた。

 それだけで、朝の庭が戻ってきた。

 銀髪。

 青い目。

 あの、計算のない笑顔。


(やめよう)


 その時、部屋の空気が、変わった。


 音はなく、光もない。

 ただ、密度が変わった。


 ヒマリの正面に、魔力で編まれた像が、浮かんだ。


 人の形をしていた。


 クルスだった。


 ヒマリは、目を瞬いた。

「……実体化できるの?」

『投影だ』

 クルスの声が、外から聞こえた。


 いつもは内側から聞こえる声が、

 今夜は、外にある。

『君から学習し、この程度の投影なら可能となった』


 ヒマリは、クルスを見た。

 覚えている形と、違った。

 以前は、女性の形をしていた。


 今は――

 背が高い。

 肩幅がある。

 黒に近い髪が、静かに垂れている。


 左右対称の、整いすぎた顔立ち。

 紫の瞳が、ヒマリを見ていた。


(変わった、魔王城コアで見た時と――

 姿も、性別も)


「……いつから、その形に?」

『少しずつ、変わっていた』


 クルスは、静かに言った。


『気づいていなかったか』

「……気づいていなかった」

 ヒマリは、正直に答えた。


(……こんな顔、好きに決まってる。

 でも、褒めたくない)


 ずっと思い描いてた、理想の男性像。

 見ているだけで、鼓動が高まる。


(なんで)


『話がある』

 クルスは、言った。


「重要な話なの?」

『場合によっては、

 だから、今夜は君を見ながら話したい』

 ヒマリは、クルスを見た。


「珍しいわね」

『そうだ」

 クルスは、わずかに目を細めた。

『珍しいことを、言っている』


『まずは確認だ。

 僕たちは、もう離れられない』

 静かな声だった。


 報告のような、淡々とした声だった。

 なのに、その言葉が、部屋の空気を変えた。


「……知ってる」

 ヒマリは、答えた。

『魔王城のコアと融合した。

 それは、不可逆だ』


「だから、なぁに?」

 ヒマリは子供のように尋ねた。

 まだ、心がふわふわと浮いている感じだ。


 クルスは、少し間を置いた。


『僕には、君のことが何でもわかる』


 ヒマリは、黙った。

『融合して、君と繋がっているのは事実だ。

 だが――』

 クルスの紫の瞳が、

 ヒマリをまっすぐに見た。

『それとは別に、僕は君から離れたくない』


 ヒマリは、三秒、固まった。

「……それは」

『感情だ』

 クルスは、平然と言った。


『演算ではない、最適解でもない。

 ただの、感情だ』

「あなたが、感情を?」

『持ってしまった』

 クルスは、わずかに目を伏せた。


『君の現在を観測し続けた。

 君の過去を知った。

 君の未来を、演算した』

「それで?」

『全部、手放したくなくなった』

 ヒマリは、答えられなかった。


『君の現在・過去・未来を、

 すべて観測したい』


 クルスは、続けた。

『ずっと一緒にいたい。

 できれば、君を僕の色に染めたい』

 ヒマリは、その言葉を聞いた。


(ぞわぞわする)


 正直に思った。

 気持ちいい言葉ではない。

 むしろ、寒気に近い何かがある。


 でも。

(でも)


 離れたくない、と言われた。

 その事実だけが、胸の奥に、静かに落ちていた。


「あなたは」

 ヒマリは、言った。

「私の何を見ているの?」

『全部だ』

「全部って」

『君がスマートフォンを見ていた時間。

 誰にも返信が来なかった夜。

 それでも愚痴を書き続けていた記録。

 ゴミ捨て場に落ちた瞬間。

 初めて魔物の声を聞いた時の心拍数。

 フェルマーに認められた時の、わずかな表情の変化』

 ヒマリは、黙っていた。


『君の記憶は全部、見てきた。一秒の例外もなく、だ』

「それって……気持ち悪い」

『そうだろう』

 クルスは、認めた。


『でも、嘘ではない』


「染めたい、って言った」

 ヒマリは、続けた。

『言った』

「それは、嫌」

 クルスは、ヒマリを見た。


『なぜ?』

「自分が自分じゃなくなる気がするから」

 ヒマリは、静かに言った。


「あなたのことが必要だと思ってる。

 魔王城のコアとしても、

 参謀としても。

 ……それだけじゃないかもしれないけど」


 一拍。


「でも、染められたら、

 その"それだけじゃないかもしれない"も、

 本当に自分の感情なのか、分からなくなる」

 クルスは、何も言わなかった。


「だから、保留する」

『……保留』

「今は、それしか言えない」


 沈黙が、部屋に落ちた。

 クルスは、しばらくヒマリを見ていた。

 その目に、何かがあった。


 計算ではない。

 観測でもない。

 何か、もっと単純な何かが。


『分かった』

 クルスは、静かに言った。

『保留で構わない』

「……怒らないの」

『怒る理由がない』

 クルスは、わずかに口角を上げた。


『君がここにいる。

 それで、今夜は十分だ』

 ヒマリはどきりとして、その言葉を聞いた。


(それは、アレクシスの……)


(でも)


 胸の奥の、緩んだ場所が、じんわりと広がった。

 アレクシスの言葉で緩んだ場所と、

 同じ場所かどうか、分からなかった。


「一つだけ、聞いていい?」

 ヒマリは、言った。

『何だ』

「その顔」


 ヒマリは、クルスの姿を見た。

 黒髪。

 整いすぎた顔立ち。

 紫の瞳。

「とっても、私好みなの。意図的に変えたの?」

 クルスは、一拍置いた。


『……観測データに基づいた、最適化の結果だ』

「最適化」

『君が、無意識に視線を向ける顔の輪郭。

 君の心拍が安定する声の周波数。

 君が信頼できると判断する身体的特徴』

「……それ全部、私のデータから?」

『そうだ』

 ヒマリは、しばらく黙っていた。


(それは)


 気持ち悪い、と思った。


(私の好みなわけだ……)


 そして、なぜか、落ち着く理由も

 分かった気がした。


 分かってしまったことが、

 余計に、ぞわぞわした。


「フェルマーの前にも、出てくるつもり?」

 ヒマリは、話を変えた。

『ああ。試してはいないが、彼も僕の姿が認識できるはずだ』

「あの人、絶対に何か言う」

『構わない』

 クルスは、静かに言った。


『君がいる場所に、いたい』

 ヒマリは、頬に手をあてながら、その言葉を聞いた。

 反論しようとして、やめた。

 否定したくなかったから。


 投影が、静かに消えた。

 部屋に、ヒマリ一人が残った。


 窓の外。

 エルドラの夜空に、無数の星が輝く。


(クルス)


 内側に、語りかける。

『何だ』

(あなたは、まだいる)

『いつもいる』

(……そうね)

 ヒマリは、目を閉じた。


 胸の奥の、緩んだ場所が、

 二つあることに気づいていた。


 一つは、アレクシスが作った場所。

 一つは、クルスが作った場所。


 そしてヒマリは、

 そのどちらも、失いたくないと思ってしまった。


(困った人達ね)


 独り言が、

 静かな部屋に溶けた。


ヒマリに二つの「緩んだ場所」が生まれます。

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