政略結婚は断れない
フェルマーの策は、政略結婚でした。
ヒマリの反応は、ヒマリらしいです。
ヒマリが公宮に荷物を運び終える頃には、夕方だった。
貴賓室の椅子に沈み込む。
疲れている。
体ではなく、頭が。
ロナ公妃の目が、まだ残っていた。
怒りと冷静が、同時に宿った目。
許していないが、切り捨てもしない目。
(あの人は、強い)
そう思った。
でも、嫌いではない。
それが、余計に疲れた。
出発前、王都での会話を思い出す。
「ヒマリ、今度は先に話す」
フェルマーが、ロンデル公国・外交接触案を紐解く。
またスクロールだ、とヒマリは思った。
「聞くわ」
「ロンデルと、婚姻を結べ」
ヒマリは、三秒、固まった。
「……いやいやいや、ちょっと待って。
婚姻って、あの……結婚の、あれだよね?」
ヒマリは、ぱちぱちと目を瞬き
フェルマーの細面の表情を見た。
いつもの、感情を排した顔だ。
だが、その目が、わずかに真剣だった。
「政略婚だ」
「いや、そういう意味じゃなくて……
私、まだアレクシス公子と会ったこともないし、
好きな食べ物も知らないんだけど」
「では、聞けばいい。
その後でアレクシス・フォン・ブリューテ公子と、
正式な婚姻関係を結ぶ」
「……フェルマー、あなたは本当に、
私の人生をサラッと動かすよね」
「必要な判断だ」
「分かってるけど……心の準備くらいさせてよ」
「現状を整理する」
フェルマーは、構わず続けた。
「現在、我々の敵は二つある」
フェルマーは、指を一本立てた。
「サンドランドのジギスムント。
外交と婚姻で包囲網を作りつつある」
二本目。
「そしてロンデル。
表向き中立だが、感情はヒマリに向いていない。
公妃は実権を持ち、動き次第では敵になる」
フェルマーは、指を下ろした。
「このまま放置すれば、
ジギスムントがサンドランドから動いた時、
ロンデルが呼応する可能性がある」
「……それは」
「二正面作戦だ」
ヒマリは、黙った。
「南からジギスムント。
北からロンデル。
その間に挟まれれば、
魔王城の結界圏外での戦闘を強いられる」
「また、次の保険があるでしょう」
「そう都合よく考えるな」
フェルマーは、静かに言った。
「ジギスムントは、学ぶ男だ」
ヒマリは、ため息を付いて、窓の外を見た。
夕暮れの空が、赤く染まっている。
嫌なタイミングでフェルマーから魔導通信が入った。
「出たくないなぁ」
ヒマリは仕方無く、魔石に魔力を注ぎ込む。
「ロンデル公国内で従者を置き去りに、単独戦闘を行ったそうだな。
少しは賢くなったと思っていたが、向こう見ずのままなのか?」
「うっ、ごめんなさい。でも、国境沿いだからギリギリセーフっていうか
緊急事態だったの」
「どう考えてアウトだ。それで、会談の結果はどうだったのだ?」
ヒマリは手短に内容を伝えた。
「そうか、最低限の対話は成立したな」
フェルマーは、続けた。
「そして、アレクシス公子だ」
「……まだ、何も話せてないわよ」
「好意的だ。明らかに」
ヒマリは、何も言わなかった。
フェルマーは、構わず続けた。
「明らかに君を守ろうとしている、ロナ公妃の怒りから」
「それは……仲裁であって」
「感情がなければ、そうは動かない」
ヒマリは、黙った。
「公子の好意を利用するのは
気が進まないかもしれない」
「……そうね」
「だが」
フェルマーは、言葉を選んだ。
「対等の関係を持ちかけることは、利用ではない」
「対等?」
「ロンデルに、傘下ではなく同盟を提案する」
ヒマリは、フェルマーを見た。
「ジギスムントは、ロンデルを従属させた。
だからロナ公妃は、
今度はヒマリの傘下に入るのかと疑っている」
「……会談の時も、そう言っていた」
「だから、違う形を示す」
フェルマーは、書類を開いた。
「婚姻は、対等の証だ。
吸収ではなく、連携。
ロンデルの独立を保証した上で、
共に敵に当たる」
「それを、ロナ公妃が信じると思う?」
「君が説得する必要はない」
内側から、囁き声が聞こえる。
『君は優しいな』
クルスが笑った。
『だから、奪われる』
(……何を)
『主導権だよ』
一瞬、ヒマリの心拍が跳ねた。
『正直であることは美徳だ。
だが――勝つための手段ではない』
(分かってる)
『アレクシスは扱いやすい。
崇拝する人間は、制御しやすい』
(それは……)
ヒマリは、その言葉を途中で止めた。
(扱いやすいとか、制御とか、
そういう話じゃないでしょ)
『分かっている。
でも、フェルマーはそう考える』
次の瞬間、フェルマーが言った。
「アレクシス公子を通じて、公妃を取り込めばいい」
ヒマリは、クルスの言葉を思い出した。
(……正確だ、この人)
「公子の好意を利用するのは気が進まないかもしれない」
一拍。
「だが、それを使わない理由にはならない」
(……違う)
ヒマリは、思った。
(フェルマーは、正しいことを言っている。
でも、アレクシスを道具として見ているかもしれない。
私は、そうしたくない)
「フェルマー」
「なんだ」
「一つだけ、条件がある」
フェルマーは、沈黙した。
「婚姻を進めるなら、
アレクシス公子に、正直に話す」
「……何を」
「政略だということ。
私が、魔王城と融合し完全に自由ではないこと」
フェルマーは、眉をひそめた。
「それは、リスクがある」
「分かってる」
ヒマリは、静かに言った。
「騙して結んだ同盟は、必ずどこかで崩れる。
それは、ジギスムントが証明してる」
フェルマーは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐いた。
「君は本当に……」
フェルマーは、一瞬だけ言葉を止めた。
わずかに、迷ったように見えた。
「やりにくい主だ」
ヒマリは、わずかに笑った。
「あなたがいて、よかった」
「褒めているのか、けなしているのか」
「褒めてる」
「分かった」
フェルマーは、何かを決意した。
「正直に話す、という条件で進める。
ただし、話す内容と順序は、私と事前に確認すること」
「それは構わない」
「そして」
フェルマーは、宣言する。
「王都の守りはシュルツに任せ、
ロナ公妃への説明は、私が行く」
「……私じゃないの?」
「君が行けば、また感情的になる。
両方が」
ヒマリは、何も言えなかった。
「君は、アレクシス公子と話せ。
私は、ロナ公妃と話す」
「役割分担ね」
「そうだ」
フェルマーは、通信を切った。
一人になったヒマリは、天井を見た。
(婚姻)
その言葉が、頭の中で
まだ落ち着かない場所にある。
クルスが、静かに囁いた。
『君は、アレクシスのことを
どう思っている?』
(……まだ、よく知らない)
『正直だ』
(あなたが言う?)
クルスは、答えなかった。
ヒマリの心拍数が、
平常より、わずかに高かった。
次回、アレクシスとドキドキデートです。




