救済という名の混乱
ロンデル公国国境付近にて、
小規模ながらも戦闘が発生します。
――ロンデル公国・国境警備隊駐屯地。
黄昏時。
空にまだ夕日が残り、地平線が赤く染め上げていた。
最初の咆哮が響いたのは、その時だった。
「――来るぞ!!」
見張りの兵が叫ぶ。
次の瞬間、地面が抉れた。
森から黒い巨体が、土煙を上げて突っ込んでくる。
街の西門付近が、騒然としていた。
兵士たちが、武器を手に走り
市民が、建物の中へ逃げ込んでいる。
戦場は、門の外――街道沿い。
ロンデル警備兵、二百。
旧王都軍の駐屯兵、八百。
だが、動いているのは前者だけだった。
「おい、手伝え!!」
怒鳴る警備兵に、王都軍の指揮官は眉一つ動かさない。
「我々の任務はロンデル市街の治安維持だ。
西門外は管轄外となる」
「そんな理屈を言ってる場合か!」
だが、返答はない。
王都軍は距離を保ったまま、戦場を観察していた。
その間にも、魔物は迫る。
魔物は三体。
だが、一体一体が大きかった。
四足の獣型。
体高は馬の倍ほど。
皮膚は黒く、人の顔のような魔力が滲み出るように光っている。
「かかれっ! 退くな!」
指揮官の声が飛ぶ。
前衛の一角が文字通り吹き飛ばされ、悲鳴と共に血飛沫が舞う。
盾列が慌てて並ぶが、遅い。
「ぐあああああ!!」
盾が紙のように砕け、
兵士たちが弓なりに折れ曲がりながら数メートル先まで飛ばされる。
骨が折れる音、肉が裂ける音が連続して響く。
「魔術班!! 拘束を――」
魔術師の詠唱が始まるが、二体目が背後から飛びかかり、
魔術師を丸ごと咀嚼するように飲み込んだ。
異界獣ガルガンチュア。
四足の巨体にも関わらず、地面を滑るように接近する。
「くそ……!」
指揮官が歯を食いしばる。
恐ろしく強い。どこから湧いてきやがった。
(こんな魔物、見たことない……!)
兵は必死に応戦する。
槍を突き立てる。
刃は通る、だが、浅い。
咆哮の個体が口を開いた。
空気が歪む。
不可視の衝撃が走り、残りの魔術師たちをまとめて吹き飛ばした。
陣形はすでに崩壊寸前。
――終わる。
その空気が、場を覆い始めた時。
魔力を纏った、小さな人影が、
上空から降下してきた。
着地の衝撃で、土煙が上がる。
煙が晴れた時。
そこに、少女が立っていた。
細い身体。
黒髪が、風に揺れる。
白光を背にして、降り立つ。
だが、その周囲の魔力密度が、
戦場全体を一変させた。
兵の一人が、顔を上げる。
「……なんだ……?」
次の瞬間。
地面に展開された、巨大な円。
白光の魔法陣。
それが、戦場全体を包み込む。
異界獣が、止まった。
うめき声を上げながら、
痙攣を始め、脚が沈む。
まるで、見えない何かに押さえつけられているように。
「……嘘だろ」
誰かが、呟く。
ヒマリは、戦場を一瞥した。
三体の魔物。
苦戦するロンデル軍。
ガルガンチュアが唸る。
だが、動けない。
白光の圧が、それを許さない。
胸の奥が、わずかに軋む。
一瞬だけ、思考が揺れる。
(また、何人か間に合わなかった……)
「――遅れて、ごめん」
小さく、そう言った。
誰に向けたものかは、分からない。
兵か。
死者か。
それとも――自分自身か。
ヒマリは、手を上げた。
白光は焼かない。
収束し、縛る。
光が包み込むように、異界獣の動きを奪っていく。
「……すごい……」
兵の一人が、呆然と呟く。
違う。
これは力ではない。
制御だ。
ヒマリは、ゆっくりと歩いた。
戦場の中央へ。
その足取りは、震えていた。
それでも止まらない。
ガルガンチュアが、最後の抵抗を見せる。
腕を振り上げる。
だが――
届かない。
白光が、その動きを途中で止めた。
ヒマリの目が、ほんのわずかに揺れる。
恐怖はある。
だが、それ以上に――
決意がある。
「……終わりにする」
彼女は、静かに両手を上げた。
浄化の光が、収束する。
音もなく、静かに。
「……っ」
一体が、抵抗した。
強引に足を動かそうとする。
ヒマリの眉が、わずかに動いた。
魔力が、増す。
魔物は、膝をついた。
三体とも。
そのまま、ヒマリが指を一本立てた。
魔物の体から、黒い霧が抜けた。
まるで、魂を引き抜くように。
三体が、崩れ落ち
灰のように、消えていく。
戦場に、静寂が戻る。
誰も、すぐには動けなかった。
ヒマリは、その場に立ったまま、動かなかった。
やがて、小さく息を付く
緊張と恐怖で膝がわずかに揺れる。
振り返り
兵たちを見る。
疑念が織り交ざった感謝。
ここに現れた意味を図る目。
ヒマリは、それを正面から受け止めた。
「……私は、ヒマリ」
静かに、名乗る。
「王として、ここに来たわ」
嘘はない。
だが、それだけでもない。
「あなたたちを、守る」
短い言葉。
だが――
戦場には、十分すぎた。
誰かが、膝をついた。
それが、一人、二人と増えていく。
歓声はない。
まだ、そこまで軽くない。
だが――
拒絶ではない空気が、確かに生まれていた。
ヒマリは、目を閉じた。
ほんの一瞬だけ。
(……これでいい)
そう、自分に言い聞かせるように。
その時、王都軍の指揮官が歩み寄る。
「……助力には感謝する」
硬い声だった。
ヒマリは振り返らない。
代わりに、ロンデルの兵へ視線を向ける。
「あなたたちが持ちこたえたから、住民は守られた」
指揮官は、低く舌打ちをする。
「我々は、三日後にサンドランドへ引き上げる。
ジギスムント王の命令だ」
「……何もしなかったくせに」
「この街の守りは――」
「私が引き受ける」
ヒマリは、迷わず言った。
指揮官が、かすかに眉をひそめた。
「……本気で言っているのか」
「本気よ」
ヒマリは、街の方を見た。
建物の影から、市民たちが覗いている。
怯えた目で。
疑いの目で。
「虐殺した女が、守りにくるわけない。
信じられないのは当然ね」
ヒマリは、静かに続けた。
「でも、王都軍がいなくなった後、
次に魔物が来た時、誰が戦うの」
無慈悲な女だと、布告に書いてあった。
第四軍を焼き尽くした、魔王だと。
だが今、目の前で見たのは――
三体の魔物を、静かに制圧した少女だった。
街の反応は、割れた。
「助けてもらえるなら」
「いや、罠かもしれない」
「第四軍のことを忘れたのか」
「でも王都軍は、もういなくなる」
まとまらない。
それでいいと、ヒマリは思った。
そう、自分に言い聞かせるように。
41話目にしてヒマリの初・単独戦闘回となりました。
貴重です。
ヒマリは途中まで馬車で移動しておりましたが
異変後、飛行魔獣ドラムで現場に急行してます。




