クルスの独断
ヒマリが苦しんでいる間に、
クルスも布石を打ちます。
魔王城・コアルーム。
制御室の扉が、内側から封鎖されていた。
ヒマリは知らない。
フェルマーも知らない。
クルスだけが、知っていた。
スクリーンに、ロンデル公国の地図が広がっている。
都市の配置。
王都軍の駐屯地。
魔王城旧魔物の残存分布。
クルスは、それを静かに見下ろしていた。
「……整理しよう」
誰もいない部屋で、声に出す。
ヒマリの習慣が、移ったのかもしれない。
「ジギスムントは布告を出した。
ロンデルの感情は、今、怒りに振れている」
スクリーンに、観測データが流れる。
ロンデルの人心反応ログ。
フェルマーが見ていたものと、同じ映像だ。
ただし――
クルスの目には、別のものが見えていた。
「ヒマリを虐殺者としてロンデルに行かせる訳にはいかない。
聖女はロンデルにとっての救済者であるべきだ」
クルスは、指を動かした。
魔王城深層の、旧魔物管理区画へアクセスする。
そこには、ノリスが魔王だった時代に
制御できず放置された魔物たちが眠っていた。
フェルマーの異世界召喚の実験体、本能だけで動く個体群。
数にして、十七体。
「……使える」
クルスは、慎重に計算する。
条件は三つ。
一、ロンデルの都市部は狙わない。
民間人への被害は最小に抑える。
二、王都軍が「迎撃できる」規模に留める。
ヒマリが救済に動ける余地を作る。
三、魔物の出所を、追跡できないよう処理する。
「第三条件が、最も難しい」
魔王城の魔物だと知られれば、
ジギスムントの「自作自演」という布告に
根拠を与えてしまう。
だから――
「ロンデルと王都の国境付近、
旧街道沿いの野生化区域から誘導する」
既に野生化した魔物が徘徊している区域がある。
そこへ誘導すれば、出所の特定は困難になる。
「完璧ではない。
フェルマーなら七割の確率で気づく」
クルスは、一拍置いた。
「だが、そこまでだ。
この作戦の有用さに気付けば、追及はしない」
そして、ヒマリには百パーセントで気づかれたくない。
だから、先に動く。
ヒマリが知った時には、もう結果が出ている。
(君のために動いている)
クルスは、そう記録した。
自分でも、その言葉が
完全に正確かどうか、分からなかった。
魔物の誘導を開始した。
旧街道沿いに、魔力の糸を通す。
気づかれないよう、極細に。
魔物たちが、ゆっくりと動き始める。
目的地は――
ロンデル公国・国境警備隊の駐屯地。
都市ではない。
兵士がいる場所だ。
「ロンデル公国には今一度、無力さを味わって貰おう」
民間人が死ねば、ヒマリは動揺する。
それは、今は不要だ。
兵士が苦戦していれば、ヒマリは救いに行く。
そして、彼女は救済者となる。
クルスは、そこまで計算して、
ふと、手を止めた。
(……私は、彼女のことを)
どれだけ知っているのだろう。
その時、ヒマリの心拍がわずかに跳ねた。
理由は、誰にも分からない。
クルスは、その波形を指でなぞった。
誘導の作業は、続いている。
手は動いている。
だが、視線は心拍の波形に、留まったままだった。
(これは、演算上の確認だ)
そう記録した。
夕暮れ前、魔物の誘導は完了した。
ロンデル公国・国境警備隊の駐屯地に、
三体の魔物が接近しつつある。
残りの十四体は、待機状態に置いた。
段階的に使う。
異界の魔物だ。
一度に動かせば、ヒマリが疑う。
クルスは、制御室の封鎖を解除した。
何事もなかったように、
通常の観測業務に戻る。
スクリーンには、ロンデルの地図。
各都市の人心反応ログ。
同じ頃。
ヒマリを見送ったフェルマーが歩いていた。
外交案の書類を抱えながら、ふと足を止める。
魔王城の方角を、一瞬だけ見た。
何も変わっていない。
異常はない。
だが――
(……結界石が僅かに揺らいだ)
フェルマーは、そのまま歩き続けた。
今は、ロンデル公国の対応が先だ。
制御室の中で、クルスはその様子を眺めた。
「七割」
小さく、呟いた。
「少し、甘かったかもしれない」
だが、修正はしなかった。
クルスは、悪いことをしているつもりがないんですよね。
ヒマリを虐殺者としてロンデルに行かせたくない。
救済者として迎えられてほしい。
それは本当のことだと思います。
でも、ヒマリには黙っている。




