戴冠――聖女が王になる夜
王になる話です。
復讐で進んできたヒマリが、
初めて「これから」を選びます。
王都の鐘が鳴った。
――敗者ではなく、王を迎える音として。
夜明けの光が、戦火の名残を引きずる街に、
ゆっくりと差し込んでいく。
傷ついた将兵。不安げに物陰から様子を伺う住民。
その中で王城だけは、異様なほど整えられ、静まり返っていた。
まるで、この瞬間のためだけに。
玉座の間には、貴族、将軍、文官、神官、そして兵士たちが、
身分も派閥も越えて、厳粛な沈黙の中に並んでいる。
その中央、赤い絨毯の先。
玉座の前で、ヒマリは立ち尽くしていた。
白と深紅を基調とした聖女王の装束。
ひどく綺麗で――ひどく、自分に似合っていない気がした。
(……なんで、こうなったんだっけ)
ほんの数か月前まで。
自分は、ゴミ捨て場に捨てられた女子高生だった。
聖女として召喚され、役に立たないと切り捨てられ、
魔物の巣に放り込まれ、生き延びるために必死に戦った。
あの頃、頭にあったのは、
ただ「生きたい」という気持ちだけ。
それがどうして今、
こんな場所に立っているのか。
「――聖女ヒマリ」
大司祭の声が、天井に反響しながら静かに響く。
「汝は王都を解放し、民を救い、
この国を圧制から引き戻した」
「ここに、錫杖と王冠を授ける」
差し出された王冠を見た瞬間、
ヒマリの喉が、かすかに鳴った。
(……重そう)
場違いな感想が、ふと浮かぶ。
けれどその奥で、もっと重い何かが沈んでいた。
復讐。
最初は、それだけだった。
ジギスムント王を殺す。
この理不尽な世界を、ぶち壊す。
それだけが、生きる理由だった。
でも――
最前列で、フェルマーがこちらを見ていた。
責めるでもなく、縋るでもなく、
ただ、覚悟を問う視線。
『君は、もう楽になる道を選べない』
クルスの声が、脳裏に蘇る。
(……知ってるよ)
復讐者でいる方が、ずっと楽だった。
怒って、壊して、殺して、終わり。
そこには未来も、責任もなかった。
でも――
王になるということは、
間違え続ける役目を引き受けるということだ。
誰かを救えば、
誰かを見捨てる。
正しい選択なんて、どこにもない。
それでも。
ヒマリは、王冠に手を伸ばした。
頭に載せられた瞬間、
その重みが首から背骨を通り、心の奥へ沈み込む。
(……逃げられない、ね)
ほんの少し、怖くて。
ほんの少し、泣きたくなる。
それでも、顔は上げる。
無数の視線が突き刺さる。
ここで逃げれば、この全てが崩れる。
ヒマリは、ゆっくりと口を開いた。
「……私は、ヒマリ。
ただの女子高生で、聖女とか……王とか、
本当は、こんな場所に立つ人間じゃない」
小さく笑う。
でも、その声は震えていなかった。
「たぶん、これからもいっぱい間違える」
「正しいことなんて、分からない」
一歩、踏み出す。
「それでも……ここまで来ちゃったのは、
私が、生きたいって思ったからで」
王冠に触れる。
まだ、重さに慣れない。
「いまは、復讐のためじゃない。
ただ……この国に生きてる人たちが、
もう一回、自分で未来を選べるようにしたいだけ」
静寂。
「だから私は、この玉座に座る」
まっすぐ、前を見る。
「逃げない。
間違えるかもしれないけど……それでも、前に進む」
「みんなの力を借りて、この国を私が治める。
ちゃんと、守る」
そして、静かに続けた。
「……それが、私の答え」
沈黙。
誰も動かない。
(全部、守れるなんて、思ってない)
それでも。
(それでも、やるしかない)
――そのとき。
最初に変化が起きたのは、玉座の間の衛兵だった。
腱が切れ、動かないはずの兵士の指が、わずかに動く。
誰かが息を呑む。
ざわめきが、静かに広がっていく。
光が、生まれた。
ヒマリの胸の奥から。
溢れ出す。
それは復讐でも、怒りでもない。
ただ――
「私と共に……生きて」
光が広がる。
玉座の間を満たし、
廊下を抜け、
王都全体へ。
帰らぬ父に泣く子供が、息を吸う。
呼吸を止めたはずの兵士の胸が、わずかに上下する。
光は誰も選ばない。
敵も味方も、貴族も平民も。
ただ生き残った者を包み込む。
やがて光が収束し、
ヒマリはゆっくりと目を開けた。
(責任、だ……)
助けた命の数だけ、選択を迫られる。
守ると決めた分だけ、
失敗したときの代償が増える。
それでも。
ヒマリは顔を上げた。
貴族たちの視線は、
恐怖、警戒、期待、打算――
あらゆる感情を孕んでいる。
そして。
膝を折る音が、波のように広がった。
兵士も、貴族も、神官も、
次々と頭を垂れていく。
その中心で。
ヒマリは、ただ一人、立っていた。
(……ほんと、人生って、何が起きるかわかんない)
処分場で死にかけていた女子高生が、
王になるなんて。
笑えない冗談だ。
でも。
(やるしか、ないんだよね)
ヒマリは、小さく息を吸い、
ゆっくりと玉座へ歩き出した。
戻る場所は、もうなかった。
ここで一つの区切りです。
復讐の物語は一段落、ここからは統治の物語になります。
ヒマリの恋バナも入ったり入らなかったり。




