死兵と聖女の戦場
決戦の続きです。
前話から引き続き、第四軍の話です。
夕暮れの戦場。
王都平原に、低い角笛の音が響いた。
それは進軍の合図ではない。
死兵を前へ押し出すための、強制の号令だった。
第四軍が、動き出す。
ロンデル公国の兵で編成された部隊。
王国に降った敗残兵たちだ。
だが彼らの背後には、すでに退路はない。
逃げれば――
家族が死ぬ。
ジギスムントは、裏切りを計算に入れていた。
兵たちは知っている。
この突撃は、勝つためのものではない。
生き残るための唯一の選択肢なのだと。
鎧は古く、剣は欠け、補給は途切れている。
指揮系統も、フェルマーの策で半壊していた。
それでも――進む。
血走った目で。
歯を食いしばり。
誰かを恨む余裕すら失って。
ただ、前だけを見て。
【魔王軍本陣】
ヒマリは、その光景を見下ろしていた。
第四軍の隊列が、乱れながらも前進してくる。
そのすべてが、死を覚悟した顔をしていた。
「……止まらないわね、ロンデル公国軍」
ヒマリは、唇を噛む。
本来なら、ここで――寝返るはずだった。
フェルマーが仕込んだ瓦解策は機能している。
ジギスムントに恨みも持っていたはず。
――条件は、揃っていたのに。
「……おかしいわ」
ヒマリの声が、震える。
第四軍の先頭に立つ兵士たちの顔が、投影越しにも分かる。
血走った目。
逃げ道を探す者の顔じゃない。
覚悟を決めた死兵の顔だ。
「人質だな」
フェルマーが、歯を食いしばる。
「家族を王都に拘束している。
前線で功を立てれば解放――そう条件を突きつけた」
低く、絞り出すような声だった。
「……私が仕込んだ離反工作を、
人質で上書きしたか」
自分の策が潰された悔しさより、
その方法への怒りが、滲んでいた。
ヒマリの胸が、ひくりと跳ねた。
――それで、進んでいる。
家族は、裏切れない。
だから、進む。
「……っ」
「補給なし。援軍なし。
突撃させて、魔王軍の戦力を削るための捨て石となった」
淡々とした声。
だが、冷静さの裏に憐れみが滲んでいた。
ヒマリは、指を握りしめた。
(寝返るかもしれないって……思ってた)
どこかで、信じてしまっていた。
兵たちが剣を捨て、投降する未来を。
【第四軍、死の行進】
旗は裂け、鎧は補修の痕だらけ。
補給の遅れは明らかで、隊伍も乱れている。
それでも――進軍の速度だけは、異様に速かった。
「後軍が囲まれ、救援を求めております」
「どの道、我らは進むしかない。
逃げれば、王は人質を処刑する」
戦場に生まれる一瞬の沈黙。
「前面に活路を見出すのだ。
それだけが、家族を守る道だ」
「魔王軍を打ち取れ!」
「ヒマリの首級を上げるのだ!」
鬨の声が、戦場に響く。
それは、絶望と決意の混じった咆哮。
【魔王城・本陣】
頭の中で、クルスが囁く。
(撤退してもいい。君の優しさも、限界だろ)
(止めるなら方法は一つだ、全滅させるしかない)
「……撤退なんてできるわけないでしょ」
第四軍は、目前に迫る。
「本陣が見えたぞ!生きて故郷に帰ろう!!」
その声は、狂気に近い。
怒りではない。
絶望が、喉を引き裂いているだけだ。
ヒマリの視界が、わずかに揺れた。
(……私が、決めるの?)
第四軍を助けるため、魔王城に籠城するか。
それとも――
「ヒマリ」
ノリスが、前に出る。
黒衣が風に揺れ、
魔王としての威圧が、戦場全体を覆った。
「もう、十分よ」
その声は、静かだった。
だが、空が応えた。
雲が渦を巻き、
赤黒い魔力が、上空に集束する。
ヒマリが、はっとして振り返る。
「ノリス、待っ――」
遅かった。
魔王ノリスは、上空から火球を落とした。
一つではない。
二つでもない。
雨のように。
逃げ場を塞ぐように。
第四軍の隊列に、爆炎が叩き込まれる。
ゴガァッッ。
悲鳴と断末魔が入り混じり
鎧が溶け、地面が抉れる。
ノリスは微塵も容赦しない。
「あなたが何もしなければ――私が背後から崩壊させる」
次の瞬間、魔王は霧と共に消えた。
爆炎に紛れ、第四軍の背後へ転移。
陣形も組めず、火球の直撃を受けながら、
それでも第四軍は突撃を繰り返す。
ヒマリは、両手を前に出した。
武器を持っていない手を。
「……聞いて」
その声は、戦場に不釣り合いなほど静かだった。
次の瞬間、浄化の魔力が広がる。
「これは……」
「痛みが……消えた?」
傷口の熱が引いていく。
肺を焼くような呼吸が、わずかに楽になる。
狂気に濁っていた視界が、ほんの少しだけ澄む。
ヒマリの声が、今度は確かに届いた。
「戦わなくていい」
ざわめきが走る。
だが、足は止まらない。
「あなたたちの家族は、私が助ける」
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
隊列が揺らいだ。
だが――
「……嘘だ」
誰かが呟いた。
「王都にいるんだぞ……どうやって……」
「止まれば、あいつらが死ぬ……!」
再び、足が前へ出る。
ヒマリの指が震えた。
(届いてる……でも、足りない)
「信じて」
その言葉は、祈りに近かった。
だが。
「進めぇぇぇ!!!」
絶叫がすべてを押し流す。
「止まるな!!」
「家族を……帰すんだ!!」
ヒマリの手が、ゆっくりと下がる。
「……ダメか」
その声は、もう戦場には届かなかった。
フェルマーが決断を促す。
「……結界の魔力がもう持たない」
(……ごめんなさい)
胸の奥で、何かが切れた。
ヒマリは、顔を上げる。
その瞳から、迷いが消えた。
「お覚悟っ!」
目の前で、剣が振り下ろされ、結界に弾かれた。
救われるために、殺しに来ている人たちの決死の顔。
「……もう、戻れないわね」
誰に向けた言葉でもない。
「……終わらせて」
(了解した)
全軍を覆っていた巨大な魔王城の結界の形状が、
わずかに歪み始め、音もなく、ひび割れた。
光の膜が砕け、
その破片が、そのまま光刃へと変わる。
空から、光の波が落ちてくる。
それは、落下質量を伴い、決して後退をしない
第四軍に上空から覆い被さっていった。
鎧が砕ける音と断末魔の悲鳴。
ヒマリの足元に赤黒い染みが広がっていく。
あまりに凄惨な光景に、
血と炎の中で、ノリスは足を止めた。
誰に向けているのか、分からなかった。
第四軍か、ヒマリか、それとも――
「恨むなら――」
静かな声が、戦場に落ちる。
「非情な王を、恨みなさい」
次の瞬間、彼女は再び上空へ舞い上がった。
「終わらせる」決断をヒマリにさせることが、
この決戦での一番の目標でした。




