決戦パタゴニア 上編
決戦、開幕です。
ヒマリが三万の兵の前で
啖呵を切ります。
夜明け前。
王都ブリュードの外縁、霧の低く垂れ込めるパタゴニア平原に、
軍勢が展開していた。
出陣した兵は三万。
ジギスムントが中央に位置し、第一軍が右翼。
第二軍が左翼に展開している。
第四軍が予備戦力としておかれ、
今回、第三軍は王都防衛にあてられた。
王はただ、黙然と前方を見据えている。
遥か彼方、闇の中に浮かぶ魔王城の黒い稜線を。
「……いるな」
誰にともなく、低く呟いたその瞬間
――霧が、引き裂かれた。
平原の中心に、漆黒の影が立ち上がる。
否、影などではない。
魔王ノリス。
漆黒の外套が、重力すら嘲笑うようにゆらゆらと波打つ。
その半歩後ろ、小さな少女が静かに佇んでいた。
聖女ヒマリ。
その姿を見た瞬間、
三万の兵士たち全員が、息を呑んだ。
圧倒的な魔力。
底知れぬ威圧。
そして、明確な災厄の気配。
これが、ただの戦ではないと思い知らされる。
――災厄だ。
「前進、止め――」
第一軍が陣形を組まないまま急停止する。
ノリスが、前に出た。
ただ一歩。
それだけで、空間が軋んだ。
前列の兵士たちが、小さく呻く。
鎧が悲鳴を上げ、歯が噛み合わず、吐息が白く弾ける。
「……昨日振りね、ジギスムント」
ノリスが、楽しげに笑った。
「安心なさい。ここで大規模魔法は使わない」
彼女は、ゆっくりと王を見る。
「あなたを捕らえて魔王城に連れて行った時、
どんな顔するのかしら?」
ジギスムントの端正な顔は彫像のように動かない。
しかしその瞳の奥で、静かに魔王を観察していた。
(ノリス――本当に力を取り戻しているのか?)
「構えろ!」
第一軍から号令が飛ぶ。
弓が引かれ、魔法陣が展開され、前線が臨戦態勢に入る。
その瞬間だった。
「……やめなさい」
ヒマリが前に出て、三万の兵を見渡した。
怖くない、と言えば嘘になる。
「初めて見るものも多いでしょう。
私は魔王城の主、かつて聖女ヒマリと呼ばれた異世界人よ――
彼女は両手を広げ、静かに、しかし確かに宣言した。
「ゴミ捨て場に廃棄され、役立たずと言われた
私の力、あなた達に思い知らせてあげるわ!」
「馬鹿ッ、挑発にしてもやりすぎなのよっ」
ノリスが慌ててヒマリを抱え上げ、魔王城へ飛び立つ。
「離してよ!まだ、ジギスムントに直接話してない」
「黙りなさい、死にたいの?」
風を切る音の中、ヒマリは脱力し、魔王に身を任せる。
「……やれ」
ジギスムントの采配が振られ、
王都軍の前列が、魔王目掛けて、上空に魔力を帯びた矢を放つ。
続いて魔導士が後方で一斉に、詠唱に入る。
戦場に魔法陣が展開されていく。
数にして――三百。
いや、四百か。
「……来る」
ヒマリは、迫る光の束を静かに見つめた。
次の瞬間、光の幕が空を覆い、平原を遮断する。
大地を蹂躙する爆発。
土煙が舞い、衝撃波が空気を割く。
魔王軍前衛が、爆風に巻き込まれ吹き飛ぶ。
「結界、展開!」
フェルマーが叫ぶ。
魔王城を中心に広がる結界が、
光の雨を受け止める。
だが――
「押されるぞ!」
前衛のシャドウアーマーが血を吐くような声で叫んだ。
数が違いすぎる。
三万対、魔王軍の実働戦力。
地力では、話にならない。
(――挑発しておびき寄せる。作戦通り。作戦通り)
ヒマリは、自分に言い聞かせる。
魔王城の影響圏内で戦う限り、
クルスの魔力供給が続く限り、
フェルマーの結界が保つ限り――
負けない。
ただし、勝てもしない。
「第一波、防御完了!」
フェルマーの声が、戦場に響く。
「損耗、想定内。
魔力消費、許容範囲。
結界強度、八十三パーセント」
ヒマリは、深く息を吸った。
「次は、こちらから」
【ジギスムント視点】
結界が、消えない。
ジギスムントは、その事実を冷静に処理した。
四百の魔法陣からの一斉射撃。
それだけの火力を叩き込んで――
結界が、消えない。
「……魔王城の干渉圏か」
参謀が、地図を広げる。
「推定、半径二キロメートル以内は
魔王城の魔力供給が及んでいるようです」
「つまり、引きずり出せない」
「はい。勢力外に出れば、
力の均衡が崩れますが――」
「出てこない、ということだ」
ジギスムントは、戦場を見据えた。
賢い。
防衛線を張り、消耗戦に持ち込む気だ。
だが――
「望むところだ。数で削る」
見たところ魔王軍は三千。上位魔物は千もいないだろう。
「この機に王都の魔物を殲滅してやる!」
「おう!!」
陣営の士気が上がる。
【ヒマリ視点】
「ノリス」
ヒマリは、空で俯瞰してる魔王を見た。
「右翼の第七部隊、突破されそう」
「見てるわ」
その全身から、黒い魔力が溢れ始める。
「任せなさい」
次の瞬間。
ノリスが、跳んだ。
飛翔ではない。
落下だ。
上空から、黒い彗星のように――
第七部隊を突破しかけていた第一軍の中核へ。
着地の瞬間、衝撃波が円形に広がる。
半径十メートルの兵士が、同時に吹き飛んだ。
突如陣を乱された兵にくぐもった悲鳴が漏れる。
混乱が広がり、前列に波及する。
「……なんだあれは」
王都軍の誰かが、呟いた。
ノリスは、ゆっくりと立ち上がる。
黒衣が、爆炎の中で揺れる。
「貴方達が切り捨てた者よ」
低く、静かに、戦場全体に響く声で言った。
「魔王の恐怖を刻み付けなさい!」
【作戦本部】
「クルス」
ヒマリは、内側に語りかける。
(左翼、魔力が薄い。供給を増やせる?)
『可能。ただし中央の結界強度が落ちる』
(どれくらい?)
『七パーセント。許容範囲内だ』
(じゃあ、やって)
即座に、左翼の魔力密度が上がる。
前衛の動きが、目に見えて安定した。
「フェルマー、左翼に余裕が出た。
第三部隊を前へ」
「了解」
フェルマーが指を鳴らす。
結界の前に魔法陣が再編成される。
王都軍の左翼突破が、止まる。
ジギスムントが、何かを叫ぶのが見えた。
再編成の号令だ。
(さすが。すぐ対応してくる)
ヒマリは、戦況図を見下ろす。
押されている。
全体的に、確実に、押されている。
でも――
「崩れていない」
フェルマーが、静かに言った。
「そうね」
ヒマリは頷いた。
崩れていない。
10倍の敵と戦えている……今はそれが全てだった。
次回、両軍の激突の中、戦況が刻々と変わります。




