決戦前夜 ― 破綻する均衡
決戦前夜です。
計画通りにいかなくなる話です。
そして、フェルマーが動きます。
王都ブリュード、王城深部。
巨大な戦略地図の前で、
ジギスムントは指先を魔王城の位置に滑らせていた。
その動きには、
もう一切の迷いがなかった。
《恐怖は、決断に変えてしまえばいい》
そうやって、ここまで生きてきた。
「……やはり、すべて繋がっている」
婚礼準備の異常な速さ。
兵の反応の鈍化。
命令が出る前に、すでに処理された報告の山。
まるで――
誰かが、王の思考を先読みしているかのように。
「ノリス……」
低く呟いたその名には、
怒りよりも先に、嫌悪と不安が滲んでいた。
捨てた魔王。
力を奪われ、王城から姿を消したはずの女。
それが、
この完璧な王都を、内側から腐らせている。
「結婚式は延期だ」
側近たちが、息を呑む。
「全軍を再編する。
第一、第ニ軍を前面展開。
第四軍も動かせ。魔王城を包囲し、殲滅する」
「し、しかし陛下……第四軍は――」
「問題ない」
ジギスムントは即座に遮った。
「命令に従わぬ者は、その場で処分する」
その声に、
もはや王の余裕はない。
あるのは、
見えない敵に背中を押される、獣の焦燥だけだった。
「魔王城に戻って……聖女とでも手を組んだか」
その名を吐き捨てる。
「お前が黒幕なら、逃げ場はない」
【魔王城・最下層】
作戦室の空気は、
凍りつくように張り詰めていた。
卓上の戦況図を前に、
ヒマリは一言も発せず、指を止めている。
フェルマーが、歯噛みする。
「……君はやりすぎた」
その声は、
責めるよりも、怯えに近かった。
「王の思考速度を上回ってしまった。
結果として、最悪の選択を引き出した」
ヒマリは、視線を上げない。
頭の中でクルスの声が響く。
『王はまだ君を認識していない。
それだけで十分だ』
沈黙。
その沈黙を破ったのは、
重い足音だった。
シュルツが、一歩前へ出る。
「……斥候より報告」
深く息を吸い、告げる。
「王は、軍編成を開始。
魔王城への進軍を決定した」
フェルマーが、淡々と確認する。
「……出撃の規模を探れ。全軍ではないはずだ」
「既に斥候を戻らせた」
現状の戦力差で、野戦をすれば――
魔王城側が壊滅する。
ヒマリの胸に、
冷たいものが落ちる。
(――足りなかった)
計算は正しかった。
誘導も成功していた。
だが、クルスに頼ってしまった。
ヒマリ自身はジギスムントを追い込むことに夢中になっていた。
そのとき、
乾いた拍手が響いた。
「ふふ……いい顔ね、みんな」
影から、ノリスが姿を現す。
その笑みは、
剥き出しの興奮と渇望に満ちていた。
「やっと決戦らしくなってきたじゃない」
彼女は、まっすぐヒマリを見る。
「ねえ、ヒマリ。
私を解き放ちなさい」
「……なにを言ってるの」
「力を返して。
あなたが封じた制御権を」
フェルマーが叫ぶ。
「ダメだ!
再接続すれば暴走する!」
「半分でいい」
ノリスは微笑む。
「放っておいたら――このまま全滅する、私以外はね」
ヒマリが口を開こうとした、その瞬間。
――頭の奥で、低い声が響いた。
『……最適解ではない』
ヒマリの内側に同化した、
かつての魔王クルス。
『野戦の勝率は十八%。
ノリスを再起動させても、勝率は四一%だ』
「……だから?」
ヒマリは小さく、心の中で応じる。
『それでも、彼女を解放すべきだ。
王都で直接、王と交渉しよう
復讐に燃えるノリスは直接的な脅しに使える』
ヒマリの指が、わずかに震えた。
「それじゃ……」
『王都に被害が出ても、
ジギスムントが死ねばいいのだ』
クルスの声は、冷たく、感情がなかった。
ヒマリの胸が、締め付けられる。
「……民間人は巻き込めない」
『最大限配慮すればいい。
私ではない、君がね』
クルスは、即答した。
一瞬、
ヒマリの中に、ぞっとするほどの違和感が走る。
(――違う)
同じ敵を見ている。
同じ勝利を目指している。
それでも――
(私と守りたいものが違う)
クルスは、勝つために世界を切る。
ヒマリは、
誰かを残すために戦う。
『ヒマリ』
クルスの声が、わずかに強まる。
『感情を優先すれば、
戦争では負ける』
「……それでも」
ヒマリは、はっきりと答えた。
「私は、魔王になったわけじゃない」
クルスの思考が、一瞬、止まる。
『……』
ヒマリは、ゆっくりと息を吸った。
そして、現実のノリスへ視線を向ける。
「半分よ……制限付きで」
「ヒマリ!」
「大丈夫。
循環も、出力も、行動も、全部私が縛る」
『君がやらなくてもいい。
その役割は、私が引き受ける』
ノリスは、楽しそうに目を細めた。
「ふふ……
ずいぶん怖い顔するようになったじゃない、聖女」
「信じてるわけじゃない」
ヒマリは、まっすぐに見返す。
「でも今は、あなたと同じ敵を見てる」
一瞬だけ、
ノリスの笑みが消えた。
そして、静かに笑う。
「……いいわ」
「ジギスムントに、
本物の魔王を思い出させてあげましょう」
「待て、交渉するなら私も行こう。
王に会うのは気が進まんが、君達に任せるよりマシだ」
「「どういうことよ!?」」
フェルマーは、二人の反応を見て、
わずかに口角を上げた。
「そのままの意味だ」
魔導スクロールを取り出しながら、続ける。
「行く前に、私の話を聞いておいてほしい」
力を戻したノリスは本当に味方になるのか、
フェルマーのため息が聞こえてきそうです。




