結婚準備本格化編:侍女視点 ― 静かに狂っていく宮廷
視点変わって、侍女ネイの話です。
何かがおかしい、でも何がおかしいのか言葉にできない――
王城・東翼の婚礼準備室。
私はネイ、サンドランド王女付きの侍女として、
王都に入ったが、三日目になってもこの城に慣れない。
豪華さには慣れた。
広い廊下も、煌めくシャンデリアも、もう驚かない。
慣れないのは――静けさだ。
整いすぎている。
陶磁器の壺には埃ひとつなく、
廊下のシャンデリアは常に一定の明るさを保ち、
使用人たちは静かで、効率的で、よく働く。
……あまりにも。
サンドランドと違い過ぎる。
「次の布地はこちらを」
指示を出す宰相補佐の声は穏やかで、丁寧で、非の打ち所がない。
それなのに、背筋が冷える。
商人と交渉しているとは思えない
――感情の凹凸が削ぎ落とされているようだった。
私は王女付き侍女として、婚礼衣装の準備と進行確認を任されている。
本来なら華やぎと緊張が入り混じるはずの仕事だ。
だがこの城では、違った。
「次の工程に移ります」
そう告げられるたび、背筋が伸びる。
一斉に視線が向けられる。
寸分の狂いもなく、同時に。
……気味が悪い。
アリシア様は控え室で、窓の外を眺めていた。
「ネイ……ここ、静かすぎない?」
小さな声だった。
私は思わず頷きそうになり、慌てて姿勢を正す。
「は、はい。ですが王都ブリュードは治安が良いと聞いております」
王女アリシアは微笑んだが、その目は笑っていなかった。
「治安、ね。
何だか気味悪いわ」
私はアリシア様の髪を梳かしながら囁いた。
「私も同じように思っていました。
「もうすぐ婚姻だというのに、
生活のざわめきのようなものが、どこか欠けている気がして」
そのとき、扉が静かに開いた。
「失礼いたします。進捗の確認に参りました」
現れたのは、ジギスムント王の側近。
丁寧な口調、柔らかな笑み。
だが私は、思わず息を詰めた。
――目が、笑っていない。
いや、それだけではない。
視線が、合わないのだ。
こちらを見ているのに、焦点が合っていない。
まるで必要な位置情報だけを取得しているような目。
「式場は、予定通り戦勝記念広場で整えます」
王女が小さく眉をひそめる。
「……聖堂ではないのですか?」
側近は一瞬だけ間を置いた。
「陛下のご意向です。
祝福は勝利によって与えられるべきだと」
その言葉に、王女の指先がわずかに震えた。
「……立会人は?」
「聖堂より司祭をお招きします」
「民は?」
「広場に立ち入りは禁じますが、大いに祝うでしょう」
即答だった。
その瞬間、部屋の空気が冷えた。
婚姻とは、同盟であり、祝祭であり、政治的儀式だ。
戦勝記念広場ということは軍の関係者が大勢を占めるのだろう。
王女はしばらく黙り込み、やがて静かに尋ねた。
「……陛下は、お元気なの?」
側近は微笑んだ。
「もちろんです。
ただ最近、お忙しく――」
言葉が、微妙に歪んだ。
「――余計な感情を持つ時間がないだけで」
その瞬間、ネイの背中に、じわりと汗が滲んだ。
(余計な感情――)
姫様の婚姻準備に……感情が、余計なもの。
この城では、そういうことになっているのだ。
アリシア様の指先が、ドレスの裾をきつく握るのが見えた。
「ねえ……この結婚、ほんとうに祝われてるのかしら」
答えはなかった。
廊下の向こうでは、近衛たちが同じ歩幅で歩いていく。
笑い声はない。雑音もない。
ただ、秩序だけがある。
――その夜。
私は眠れず、控え室の外を歩いてしまった。
王城の奥、普段立ち入りを許されない回廊で、
ひとりの男が立ち尽くしているのを見た。
ジギスムント王だった。
灯りもつけず、壁に手をつき、浅く呼吸している。
「……誰か……いるのか?」
その声は、かすれていた。
私は思わず柱の陰に身を隠す。
王は続けた。
「誰か……見ているだろう……?」
返事はない。
当然だ。そこには誰もいない。
けれど王は、確かに何かに向かって話していた。
「……誰が、命令した……?」
壁に額をつける。
「すべて上手くいっている……なのに……なぜ……」
長い沈黙。
「……私は、支配している側、だろう……?」
その背中は、
自分の意思がどこまで届いているのか分からなくなった、
迷子のような姿だった。
私は息を殺し、その場を離れた。
胸が、妙に冷たい。
翌朝、城はいつも通り完璧に機能していた。
誰も異変を口にしない。
誰も不安を共有しない。
だが私は知っている。
この城では今、恐怖が音を立てずに育っている。
――誰かが、丁寧に水をやりながら。
ヒマリたちが仕掛けた「静けさ」が、
じわじわ王城に浸透してきています。




