魔王城コア・同化
前魔王クルスとの対面。
制御権を巡る争いは、戦いではなく選択だった。
完全掌握の代償は何か。
中層の戦闘が沈静化した直後、
魔王城は自律的に軍の再編を開始した。
ヒマリは命令していない。
だが、城は理解している。
――次に取るべき最適行動を。
「前線部隊を三群に再編。
戦闘能力ではなく、制御適性で分ける」
淡々と読み上げるのはフェルマーだった。
彼の手元で、魔力の配列が書き換えられていく。
「シュルツ隊は先導。
デーモン部隊は後方で魔法支援。
飛行戦力は展開せず、封印待機」
「……敵が来ないわね」
ヒマリは前を見たまま言った。
「当然だ」
フェルマーは即答する。
「楽勝と思えた敵に壊滅的な被害を負ったのだ。
魔王ノリスが戻るまで、出てはこないだろう」
彼は一瞬だけ、ヒマリを見る。
「それに、我らの目的は魔王軍壊滅などではない」
その言葉に、ヒマリは答えなかった。
彼女の視界には、
魔王城の最深部――中枢区画が半透明に重なっている。
そこへ至る回廊は、
かつて魔王玉座と呼ばれていた場所だ。
「……クルス」
ヒマリは、その名を思い浮かべる。
前魔王。
この城を作り、支配し、
そして今は――コアとして存在している。
「制御権を掛けた争いになるわね」
ヒマリは、誰にともなく言った。
「でも、戦う必要はないはず。
制御権はすでに私のもの」
フェルマーは小さく頷く。
「ああ、魔王城は既に君に傾いている。
後は意思の問題だ」
軍勢は音もなく進む。
そして――
中枢区画に辿り着いた。
そこはもう、城ではなかった。
壁も床も物質ではない。
魔力の脈動が、巨大な心臓のように鼓動し、
周囲の壁から出る巨大な光の管に支えられている。
その中心に――
女が座っていた。
魔力で編まれた玉座。
そこに腰掛ける細い身体。
長い黒髪は重力を無視して宙に揺れ、
光の粒子が王冠のように頭上を巡っている。
白い肌。
広い額と高い鼻。中性的な輪郭。
左右対称の整いすぎた顔立ち。
だが、その瞳だけは違った。
深い闇を湛えた捕食者の紫瞳。
前魔王クルス。
「……来たのね」
魔王城とは違う柔らかい肉声。
だが、どこか低く――
性別を断定させない響きだった。
「好き勝手にやってくれたわね」
「あなたが、選択しなかったからでしょう?」
クルスの声は、どこか楽しげだった。
「私がやってあげたのよ。
あなたの出来ないことは私に任せなさい」
ヒマリは一歩前に出る。
「だめよ、あなたから、制御権を引き継ぎに来た」
「それなら、もう持ってるじゃない」
クルスが指を鳴らす。
その瞬間、世界が闇に沈む。
ヒマリの足元が消えた、恐怖で呼吸が乱れる。
――大丈夫、私は立っている。
「まだ、持っていない。あなたがここにいる限り」
「あなたは選択できなかった。
だから、スマホのDM通知もゼロなのよ」
ヒマリは歯を喰いしばる。
「ずいぶん、デリケートゾーンに踏み込んでくれるじゃない」
「あなたの過去も見させてもらった。
あれだけ愚痴ばかりなら誰も近寄らないでしょ」
クルスは楽しそうに暗闇を舞う。
周囲の闇が狭まる。
「あなたは優秀な設計者だった。
お陰で勝てたよ。でも、魔物にも感情はある」
「……誰を犠牲にするか、あなたに判断できるの?」
クルスは目を細める。
「わからない。けど、私が決めなければいけなことなのよ」
彼女はゆっくりと立ち上がり近づいてくる。
「ふぅん。捨てられて、お勉強したのね」
「死にたくなければ誰でも変わる」
ヒマリは首を振った。
「あなたは、
最終的に城の最適化を阻害する」
その瞬間、
クルスの笑みが、凍りついた。
「……ああ」
彼女は、ようやく理解したように呟く。
「あなた、
もう、元の世界に戻る気が無いのね」
ヒマリは一瞬、言葉に詰まるが、感情を整理する。
「私は、ここに来て初めて期待された――」
それ以上の言葉が続かない
クルスが、抱きしめて来たから。
「ここに来るまで辛かったでしょう――」
彼女は、おでこを付け頬を寄せてくる。
生身ではないはずなのに、鼓動が高まった。
「すでに選択を終えていたのね、
あなたのこと把握したつもりだったのに…」
クルスは頬を離すと、両腕をヒマリの腰に回した。
吐息が、鼓動が、やけに近い。
「完全制御を望むなら――
私ごと、取りなさい」
「……え?」
甘い囁き、次の瞬間。
膨大な情報と感情が、
ヒマリの中へ流れ込んできた。
恐怖。
傲慢。
支配欲。
孤独。
魔王クルスが積み上げ、
魔王城を形成したすべての意思。
「ちょ、待っ――」
拒絶しようとした。
だが、城が先に判断した。
《統合開始》
《拒否権:無効》
「なっ……!」
ヒマリの視界が白く染まる。
(やめ……!)
(私は、制御を――)
(こんなの、聞いてない……!)
だが、クルスの声が、優しく重なった。
『大丈夫』
『あなたなら、耐えられる』
少しだけ歓喜が混じる。
『私はね、ファンになっちゃった。
貴方に期待させてもらうわ』
その言葉と共に、
クルスは溶けるように消えた。
――否。
消えたのではない。
ヒマリの中に、完全に収まった。
《魔王城・完全制御権》
《取得完了》
同時に、
外界との魔力回線が遮断される。
《対・魔王ノリス供給:遮断開始》
城全体が、歓喜のように震えた。
「……成功だ!」
フェルマーが、声を上げる。
「制御権、完全掌握!
これでノリスの魔力供給もとめられる」
魔物たちが、ざわめく。
歓声。
安堵。
忠誠。
誰もが、ヒマリを見る。
「ヒマリ殿……!」
シュルツが、膝をつく。
「おめでとうございます。
これで、魔王城は――」
「……ええ」
ヒマリは、ゆっくりと息を吐いた。
「終わったわ」
確かに。制御権が手中に納まったのがわかる。
魔王城の詳細な地図が頭に浮かぶ。
だが。
自分の思考に、
もう一人分の静かな視線がある。
(……クルス?)
答えはない。
だが、確かにいる。
喜ぶ声を背に、
彼女はただ、黙って中枢を見つめ続けた。
――完全制御とは、
支配ではなく、不可逆の融合なのだと。
その違和感だけが、
静かに、確かに、胸に残っていた。
制御権はヒマリのものになりました。
けれど、クルスは消えていません。
完全制御とは、融合。
ここからヒマリは少しずつ変わります。




