旧式の答え
魔王城の守護者《アラク=グレモラリス》によって、
完全に追い詰められたヒマリたち。
「ヒマリ!!」
ノリスが踏み出した。
その瞬間――
白い糸が、ノリスの身体へ絡みついた。
「……っ!」
動けない。
影の刃に、糸に絡まる。
ヒマリは目の前の子蜘蛛を払いながら、ノリスを見た。
(縛られてる)
(私は子蜘蛛に囲まれてる)
アラクの声が響く。
「どうだ、新時代の守護者の結界は
魔王も女王も、私の糸の前では動けん」
表情は無いが、楽しそうだった。
「体液を吸ってやる」
ヒマリの膝が、揺れた。
魔力が、底をついてきている。
子蜘蛛を払うたびに、削れていく。
(クルス)
『分かってるが――』
『僕が……ベル・ブリュードに辿り着く前に力を出し切るわけには――』
珍しく、歯切れが悪かった。
その時。
「すまない、手間取った」
フェルマーの声だった。
口元に僅かに笑みが浮かんでいる。
アラクの複眼が、細身の魔術師へ向いた。
「……何をしている」
「言っただろう。術式の解析だ」
フェルマーは、広間の床の魔法陣へ手を置いた。
「子蜘蛛の召喚術式は、この広間の魔法陣から供給されている」
魔導眼鏡に、膨大な術式が流れる。
「まずは、供給を止める」
次の瞬間、フェルマーの手から白い光が走った。
広間の魔法陣が一瞬だけ輝き、そして消えた。
カサカサという音が、止まった。
子蜘蛛の増殖が、止まった。
「なっ……!」
アラクが、初めて動揺した声を出した。
「転移術だけでなく、召喚術式を同時に……!」
「その通り」
フェルマーは立ち上がった。
外套は煤に汚れている。顔にも疲労がある。
それでも、姿勢だけは崩れていない。
「残るは、結界か」
フェルマーの視線が、ノリスへ向く。
「少しだけ、待っていろ」
フェルマーは廊下の壁へ向かった。
白い糸の結界が走っている。
その根元。
術式の起点を、素早く見つける。
「魔力を弾くのではなく、
影を通して異界に流していたのか……なるほど」
小い呟き。
「よく出来ているが」
一拍。
「私の方が上だ」
指が動く。
白い術式が、糸に走る。
解呪の光に糸が震える。
アラクが叫ぶ。
「やめろ!!」
だが、遅かった。
ぶつり、と。
結界が解けた。
「ノリス」
フェルマーが言う。
「今だ」
ノリスは、一瞬だけ動きを止めた。
糸が解けた。
影が自由になった。
でも。体が、躊躇していた。
かつての積極性が、ない。
踏み込む判断が遅い。
ヒマリを見た。
子蜘蛛を払いながら。
膝が揺れながら。
それでも、錫杖を手放さず、何かを期待している。
(あなたは)
その姿を見た瞬間。
心が動いた。
(私が守る)
床を蹴り、翼が大きく広がる。
かつての魔王の動き。
全身を素早く魔力強化。
迷いなく、ヒマリへ向かう子蜘蛛の群れの中へ。
影の刃が、一閃した。
ザァァァァン——!!
子蜘蛛が、一帯ごと消し飛ぶ。
ヒマリの周りが、一瞬だけ空白になる。
「ヒマリ」
ノリスが、ヒマリの前に立った。
振り返らない。
「関節部」
「え?」
「今なら、動けない」
ヒマリが見る。
アラクが、結界を失い、召喚術式も止められ、
一瞬だけ固まっていた。
そこへ、ノリスが走る。
八本の脚の付け根。
甲殻の境目。
そこだけ、今なら貫ける。
影の刃が、細く鋭く、正確に。
関節部へ、差し込まれた。
アラクが、初めて声を上げた。
「……っ!」
傷が入った。
甲殻の結界が解かれた今。影が通る。
アラクが足を引く。
「……フェルマー」
アラクの声が、変わった。
「天才だといった時は自惚れだと思ったが」
「私に解けない術式はありません」
フェルマーは静かに言った。
「そこにいるヒマリは例外だが」
「……なるほど」
アラクはしばらく黙っていた。
やがて、言葉を紡ぐ。
「銀の魔王。お前、弱くなったな」
最初の流暢な抑揚は無くなり、
キチキチと甲殻がこすれ合う音が響く。
「知ってる――でも、守るためなら動ける」
「旧式にしては……いい答えだ」
僅かに巨体が震わせる。
「終わらせるわ」
次の瞬間、ヒマリが動いた。
錫杖を構える。残った魔力を、全部収束させる。
「クルス」
『分かった。まずは突破を優先する』
演算式が、錫杖に走り白銀の光が先端に集中した。
クルスの補助が、ヒマリの魔力を制御する。
「ノリス」
「ええ」
二人が、同時に動いた。
影と光。黒と白。
アラクの左右の関節部へ。
同時に叩き込む。
ズバァァァァン——!!
アラクの巨体が、崩れた。
床に倒れる。
甲殻が、砕ける音が反響する。
「……見事だ」
声は、まだ人語だった。
「銀の魔王と、黒髪の女王」
一拍。
「そして――天才か」
フェルマーは何も言わなかった。
「ベル様が、執着されたわけがわかった」
それだけだった。
アラクは、静かに動かなくなった。
◆
広間に静寂が戻った。
ヒマリは膝に手をついて息を吐く。
「……終わった」
「うん」
ノリスが隣に立った。
ヒマリはノリスを見る。
「ありがとう」
「別に」
ノリスは視線を逸らした。
「あなたが危なかっただけ」
「それでも」
ヒマリは微笑んだ。
「助かった」
ノリスは何も言わない。
ただ――
耳だけが、少し赤かった。
ヒマリはフェルマーを見る。
「フェルマー」
「はい」
「ありがとう。
子蜘蛛を止めてくれなかったら、詰んでた」
「出現前に止めるつもりだったが……」
フェルマーは魔導眼鏡を外し、拭った。
「《アラク=グレモラリス》も、新世代を名乗るだけはありました」
ヒマリは改めて頭を下げる。
「……ありがとう」
フェルマーは眼鏡を掛け直した。
「お礼は、全部終わってからでいい」
そして廊下の奥を見る。
「まだ先があります」
『ヒマリ』
クルスの声が響いた。
『コアまで、あと少しだ』
「分かった」
ヒマリは立ち上がった。
魔力は限界に近い。
それでも、足は動く。
「行こう」
ノリスとフェルマーが頷いた。
三人は上層への階段を上がっていく。
赤黒い光が、次第に強くなる。
コアが近い。
そして、その先に――
ベル・ブリュードが待っている。
自信を失っていたノリスにとっては、
かなり大きな一歩になったと思います。
そしてフェルマーも、しっかり天才でした。




