ジギスムントの進軍
限界を迎えたシュルツ軍の前に、
黄金と黒の軍旗が現れる。
西壁、城門前。
シュルツ率いる旧第二軍は、限界に達していた。
「油が尽きます!」
「城門最終防衛線、崩壊寸前!」
次々と報告が飛び込んでくる。
蟻型魔物は減らない。
交代してきた兵士たちも、満足に休めていなかった。
火炎の備蓄も残り少ない。
魔力も、限界に近づいている。
「くっ……!」
シュルツは剣を握り直した。
視界の先では、黒い波が城壁へ取り付いている。
もう長くは持たない。
(これ以上は無駄死にだ。――ここで兵を逃がす)
(自分はここで、一匹でも多く道連れにし、
ヒマリ陛下に詫びよう)
そう覚悟した。
その時だった。
遠くから、地鳴りが響いた。
ズズズズズ――。
「……なんだ?」
兵士が振り返ると
街道の向こうから砂煙が上がっていた。
最初は、新手の魔物の群れかと思った。
だが、違う。
黄金と黒の軍旗が見える。
「……サンドランド?
こんな時に――」
シュルツの目が細くなる。
次の瞬間。
炎が走った。
ズシャァァァァァ。
黒い蟻の群れが、一帯ごと吹き飛んだ。
「なっ……!?」
黄金騎兵。
重装歩兵。
魔導騎馬。
砂漠を越えてきた大軍が、戦線へ雪崩れ込んでくる。
その先頭。
一人の男が馬を駆っていた。
「……ジギスムント」
シュルツが呟く。
かつての主君だった。
黄金の剣を抜き、黒い群れを斬り裂いている。
「シュルツ軍に油を回してやれ」
短い命令が飛んだ。
「この魔物は、焼く方が早い」
「はっ!」
サンドランド兵が一斉に動く。
守備兵が呆然と見つめる。
「なぜ……」
「サンドランドは敵では……?」
誰かが呟いた。
シュルツはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……助力に感謝すると伝言を」
剣を掲げた。
「全軍!」
兵士たちが振り返る。
「ここから押し返すぞ!」
「おおおおおっ!!」
反撃が始まった。
炎が走る。
剣が閃く。
魔法が炸裂する。
押し寄せていた黒い波が、少しずつ後退していく。
だが、それでも終わらない。
◆
黒い群れの奥から、何かが浮かび上がる。
千切れた羽。
半身を失い、浄化の痕跡が黒い肉を焼き続けている。
ベル・ゲラーテが立ちはだかる。
痛みなど、最初から存在しないかのように。
再生しようとしても、傷口は塞がっていない。
「……興味深い」
二つに割れた複眼が、ジギスムントを捉えた。
「王が、偽王を守るのか?」
ジギスムントが顔を上げる。
視線が交わった。
「……気色の悪い顔だ」
「けひっ」
ベル・ゲラーテが笑った。
「君も痛みを抱えているね」
ねちゃり。
その足元で黒い塊が蠢く。
地面から、新たな魔物が次々と生まれていく。
ジギスムントは動かなかった。
ただ、その胸の奥がわずかに痛んだ。
すでにヒマリに打ち砕かれているのに
戦場を移し、這いずり回る。
まるで――
自分を見ているようだった。
ジギスムントは、目を細めた。
「くだらん……死にぞこないめ」
苛立ちが、胸の奥から滲んだ。
ベル・ゲラーテへ向けた言葉なのか。
それとも、自分自身へ向けた言葉なのか。
ジギスムントにも分からなかった。
手綱を引く。
黄金の剣が、蒼い炎を纏う。
「回復も出来ないほど痛んだ体で、私の足を止められると思うな」
馬が地を蹴った。
ベル・ゲラーテは避けない。
否。
避ける必要がないと判断した。
半身を失っても戦える。
だからこそ――
ジギスムントの一撃を、片手で受け止めようとした。
それが、誤りだった。
黄金の剣筋が走る。
蒼い炎が、傷口からベル・ゲラーテの身体を駆け抜けた。
異形の巨体が、大きく弾き飛ばされる。
ジギスムントは小さく息を吐いた。
「私が……前線で剣を振るうことになるとはな」
誰に言うでもなく呟く。
「ヒマリを笑えん」
◆
無意識に懐に手を入れる。
指先に触れたのは、一枚の紙だった。
アリシアの返書。
封は、もう切られている。
自分自身で選ぶ。
ジギスムントは、ゆっくりと目を開いた。
王都を見る。
ヒマリ。
そして、アリシア。
将校が声を掛ける。
「陛下?」
ジギスムントは答えなかった。
ただ、馬首を王都へ向けた。
「全軍、シュルツ軍を壁にして魔物を挟み込め!」
「はっ!」
兵士たちが動き出す。
ベル・ゲラーテは、千切れた羽を舞わせ、
頭部を割られながら笑っていた。
「けひっ……逃げるのか?」
「違う」
ジギスムントは剣を最後に一振りすると
ベル・ゲラーテの身体が鮮やかな炎に包まれた。
黄金の軍旗が風を受け、砂煙が舞い上がる。
王都ブリュード。
かつて自分が失った場所。
そして今。
自分自身の意思で、取り戻そうとしている場所。
将校たちは歓声を上げ、ジギスムントの脇を固める。
「……妻を迎えに行く」
それが本音なのか、言い訳なのか。
彼自身にも、もはや分からなかった。
ただ、再編した軍の最前線に立つ。
ジギスムントの進軍。
アリシアを迎えに行くためなのか。
それとも――
失ったものを取り戻すためなのか。




