故郷を守る王
王都奪還を掲げて進軍するジギスムントが目にしたのは、
かつて自分が統べた王都を襲う、無数の魔物でした。
街道の向こうに、黄金と黒の軍旗が見えていた。
サンドランドと第一軍の混成軍。
だが、それを確認する余裕は誰にもなかった。
朝になっても、蟻の波は止まらない。
ハエの群れも結界がはち切れそうな程、膨らんでいた。
◆
「シュルツ軍を救援するんだ!」
城壁の上で、アレクシスが叫んだ。
出来たばかりの義手から、銀の剣が閃く。
一撃で風の刃が蟻型魔物を吹き飛ばす。
だが、その足元へすぐに次の波が押し寄せてきた。
「くそっ……!」
地上は、もう限界だった。
「隊長! 城壁に蟻が張り付いています!」
「城門前、第三防衛線が崩壊寸前です!」
報告が次々と飛び込んでくる。
戦線が長すぎる。
兵が足りない。
救援に回す余裕などない。
その時だった。
ブブブブブ――!
「上だ!」
結界の一部が破れ、黒い群れが急降下する。
兵士たちが身を伏せた。
次の瞬間。
無数の炎刃が空を裂いた。
――ザァァァァァン!
黒い霧が縦に切り裂かれ、燃え上がる。
「対空班! 第三式、連動展開!」
フェルマーだった。
巨大な魔法陣を空に展開し、
額に汗を浮かべながら結界の修復に魔力を注ぎ続けている。
結界の内側に穴を塞ぐように光槍が走り、爆裂する。
ハエ型魔物が次々と落下していった。
「これで空からの侵入は防いだ!」
だが、フェルマー自身も分かっていた。
地上の蟻を止めなければ、いずれ城門が破られる。
そうなれば、王都そのものが危ない。
◆
その頃。
街道を進む軍勢の先頭で、ジギスムントは王都を見つめていた。
黄金と黒の軍旗が、朝風にはためいている。
重騎兵。
魔導騎馬。
その後ろには、王都奪還のために集めた大軍が続いていた。
「陛下」
将校が馬を寄せる。
「間もなく王都外縁です」
「そうか」
短い返事。
ジギスムントの視線は、前を向いたままだった。
遠くに見える。
赤黒く脈打つ魔王城。
そして、王都を覆う黒い霧。
「魔王城暴走の報は事実だったか」
「はっ。現在、王都西壁は魔物群に包囲されています」
「ヒマリは?」
「前線で指揮を執っているとのことです」
一瞬。
ジギスムントの眉が動いた。
「……愚かな女だ」
静かな声だった。
だが、その言葉にはわずかな苦みがあった。
王が前線に立つ。
以前の自分なら、考えもしなかった。
王は死んではならない。
国の象徴として、安全な場所にいるべきだ。
合理的に国を動かす。
それが王の役目だと思っていた。
だが――。
あの女は違う。
恐怖の中でも民の前に立つ。
傷ついても、前へ進む。
(非合理だ)
そう思う。
それなのに、いつからか目が離せなくなっていた。
「陛下」
将校が声を潜める。
「王都への攻撃命令を出されますか?」
ジギスムントは答えなかった。
遠くで巨大な魔法が炸裂する。
王都の空が、一瞬だけ白く染まった。
その向こうに、幼い頃に見た街並みがある。
城へ続く石畳。
中央広場。
王宮の裏門をくぐると
西棟を抜けた先にある、中庭の噴水にたどり着ける。
目を閉じても思い出せる。
自分が生きていた場所。
そして――自分が王だった場所。
「……進軍を続けろ」
「はっ!」
軍勢が動き出した。
◆
やがて。
王都西壁が見えてきた。
もう、はっきりと見える黒い蟻の群れ。
城壁に撒かれた油から立ち上る炎。
崩れかけた結界。
「王都兵が各所で押されています!」
将校が叫ぶ。
「このまま飛び込めば、我が軍にも被害が――」
「止まれ」
ジギスムントが言った。
軍勢が停止する。
馬上から、王都を見つめた。
自分が王だった場所。
だが、今。
そこには別の王が立っている。
ヒマリ。
かつて自分が追放した女。
今は、自分よりも先に王都のために錫杖を振るっている。
「陛下」
将校が再び声をかける。
ジギスムントは目を閉じた。
そして、ゆっくりと目を開く。
「全軍――」
剣を抜いた。
黄金の刃が朝の光を弾く。
「転進する」
「……は?」
将校たちが顔を見合わせる。
「魔物へ当たれ」
「陛下!」
一人の将校が慌てて馬を寄せる。
「王都奪還の好機です!」
「ヒマリも疲弊しています。今なら――」
「聞こえなかったか?」
ジギスムントの声が低くなる。
馬上から、王都を見下ろす。
「私の生まれ育った王都だ」
誰も口を開かなかった。
黄金の剣が、蒼い炎を纏う。
「魔物には、触れさせん」
一瞬。
空気が止まった。
兵士たちの目が変わる。
王都を奪うためではない。
王都を――守るために。
「全軍、楔形陣形に変更!」
ジギスムントが剣を振り下ろす。
「我らの王都を守る!」
「おおおおおおお!!」
黄金と黒の軍勢が、一斉に動き出した。
砂煙が街道を覆う。
その先にあるのは、かつて彼が失った王都。
そして今、
自らの意思で、守ると決めた故郷だった。
かつてのジギスムントなら、
ヒマリが疲弊している今こそ王都を奪う好機と考えたはずです。




