薄愛ー7
生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹はそう思いながら28年間生きてきた。
ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。
呼び鈴の無い眼前の扉。徹は初めて訪れた時と同じ服装で扉の前に立っていた。あの時と違うのは、ズボンのポケットにAIを入れていること。
「どうぞ」
相変わらずどこで見ていいるのか、扉をノックする前に三上博士が部屋の中から徹へ呼びかける。
扉を開けるとその先には長い黒髪に白衣を着た目鼻立ちの整った綺麗な女性、三上博士が立っていた。こちらも初めて出会った時と同じ服装だった。
「中にお入りください」
言われるまでもないと思いながら、徹は三上博士と共に部屋の奥へと進んだ。
「用件だけ手早く済ませてくれ」
部屋のソファーに座るなり徹は言った。
「もう少し話すことはないのですか?」
机を挟んで向かいのソファーに座る三上博士はどこか困ったような表情を浮かべる。
「前にも言ったろ?、無駄話は嫌いなんだ」
「そうでしたね」
最低限の話だけでこの場を終える。それ以外のことを徹は考えていない。
「今日お呼びしたのは、今後のことについてのお話をと思いまして」
「今後?、今日で終わりだろ」
「ここ最近、これまでにない変化がAIに見られています。それは、あなたがAIに影響を及ぼしたからです。今、あなたに居なくなられると困ります」
「俺の知ったことではない。だいいち、あいつに対して俺がやったことは何もない。なのに、何の変化が見られたって言うんだ?」
「簡単に言えば自我の芽生えです」
徹は思わず声を出して笑った。無論それは、三上博士に対する嘲笑だった。
「あんたは一体、あの機械の何をもって自我が芽生えたと言ってるんだ?」
「チューリングテストはご存知でしょうか?」
「一応は」
チューリングテスト。イギリスの数学者アラン・チューリングが1950年に提案した概念で、「機械が人間と区別できない程度に知的に振る舞うかどうか」を判定するための手法。
「あれは機械の知性を測るための指標です」
「一般的にはそう言われているらしい。ただ、あれには重大な欠点がある。知性という現状解明されていないものを人間の視点だけで判断しているところだ」
知性という未だに解明されていないものを人間がどう評価したところで無意味である。それが、徹の考えだった。
「私もあのテストに対して思うところはあります。ですが、あなたが仰られていることは私にとってどうでもいいことです」
「どうでもいい?、随分な物言いだな」
「私があのテストで評価しているのは、知性という計測できないものを人間の視点で見ていることです」
AI工学の権威である三上博士。そんな人間が自分とは正反対の考えを示したことに徹は興味が湧いた。
「人間の視点で見ることに何の意味がある?」
「人間以外の動物にも知性はあります。ですがそれは、人間とは異なった法則に基づくものに過ぎません。では、機械の知性は?」
「それも人間が与えたプログラムに過ぎない。動物との違いはどれだけ人間の手が加えられているかだけだ」
「だったら、人間の手が全く加わらなかった人間に知性があると思いますか?」
人間の手が全く加わらなかった人間?。例えば、野生動物に育てられた人間は?。確かに、それらの者たちは知性というものが欠けた行動を示すことが多いが...。
「限りなく『ない』だろうな。ただ、今と同じ問いを他のヤツにして、もしそいつが『ある』と言えば反論する材料もない。つまり、知性なんて受け取り側の人間次第でいくらでも解釈できる曖昧なものでしかない」
「あなたの言う通り、今のところ知性とは個人の中にしか判断すべき材料はありません。言い換えれば、個人が知性があると認めてしまえばそれに知性があると言うことです」
「だからこそ人間の視点が重要になるか...」
徹の言葉に三上博士は頷いた。
三上博士の考えは一応は筋が通っていた。とすれば、AIの自我の芽生えとは...。
「つまり、あのAIの自我の芽生えはあんたが個人的にそう感じているということか?」
「そうなりますね」
徹は呆れて何も言えなかった。三上博士はそんな曖昧な結論で徹に研究を続けさせようとしていた。
「くだらないな。その話を聞いても、あんたの研究に俺が必要だと思えない」
「それを決めるのはあなたではなく私です。それに、あなたは私の誘いを断ることはできません」
「どういう意味だ」
徹は三上博士を睨みつけた。
「あなたがあの子にさせたことを私は知っています。あの子の扱いに関して規定はありませんでしたし、私から何か言うことはありません。ですが、今回あの子にさせたことをあなたの会社に告発したら困るのでは?」
「また脅しか...」
徹はすました顔で言った。
実際、徹の内面はかなり動揺していた。スタンドアップの件でこのような事態になることを想定していなかった。そもそも、三上博士から研究の継続を打診されるなんて誰が想像できる?。
三上博士と徹。その間を奇妙な沈黙が流れる。
「分かった、あんたの研究を続けてやるよ」
「いい返事です」
三上博士は笑みを浮かべた。
笑みを見せる三上博士の横顔を徹は一発殴ってやろうかと本気で思ったがその気持ちを堪えた。
「タダで引き受ける訳じゃない、続けるにしても何らかの利点を示せ」
「それなら問題ありません。というよりも、あなたは私からの報酬を受け取っていないようですね」
「何の話だ?」
「研究に参加するにあたり、あなたに特別報酬...。端的に言えばお金を毎月あなたの会社に振り込んでいたのですが、受け取っていないでしょう?」
徹に渡るはずの資金が誰に渡っているのか?。想像するのは容易だ。
「恐らくその金は大石社長のポケットの中だろう。全くどいつもこいつも信用できない」
お前もなと言うように徹は三上博士を見た。
「そうですね。今後はあなたの口座に直接振り込むようにしましょう」
意にも返さず三上博士は言葉を返す。
三上博士が言い終わるや否や、徹はソファーから腰を上げ出口へと向かった。一刻も早くこの場から立ち去らなければ、本当に三上博士を殴ってしまいそうな気がした。
だが最後に一言、何か言わないと気が済まなかった。
「じゃあな、神崎」
三上博士に背を向け、それだけ言い残し徹は三上博士の部屋から姿を消した。
「また会いましょう、笹山先輩」
徹の居なくなった部屋で三上博士は一人呟いた。
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