ましたの家
これは、Oさんが以前住んでいた町で聞いた話だ。
Oさんがその町に引っ越してきて間もない頃、近所の人から、駅や商店、病院などの場所を教えてもらったことがあった。その中に、少し変わった目印があった。
「あの角を曲がったところに、“ましたの家”っていう古い家があるから。そこを目印にすると分かりやすいよ」
言われた通りに歩いていくと、道路の角に古い木造2階建ての家があった。
かなり昔から建っているらしく、外壁はくすみ、庭には雑草が生い茂っている。表札は外され、雨戸も閉じられたままだった。人が住んでいる様子はない。
Oさんは、当然のように『真下』という名字の人が住んでいた家だと思った。
ある日、近所の商店で買い物をしていた時、ふと思い出して店の人に聞いた。
「そういえば、“ましたさんの家”ってありますよね。あれ、真下さんという方の家なんですか?」
店の人は、一瞬、意味が分からないという顔をした。
「真下さん?」
「はい。あの古い家です」
「ああ……あそこね」
店の人はそう言って、少し考えてから、
「真下さんなんて人は、あそこには住んでないよ」
と言った。
Oさんは首を傾げた。
「でも、みなさん、“ましたの家”って呼んでますよね?」
「昔からそう呼んでるね」
「どうしてですか?」
店の人はしばらく黙っていた。それから、目をそらして、
「……他の人に聞いた方がいいよ」
とだけ言った。
気になったOさんは、別の日に近所の年配の人にも聞いてみた。
すると、その人は、
「ああ……」
と頷いた。
「あそこには今まで、何人もの人が住んでたんだけどね」
その人によると、あの家に住んでいた人は、みんな出て行ってしまったという。
「なんでもこの家は住めない、出て行く。そう言ってたよ。この家には俺の同級生もいたんだけど、夜逃げみたいに、ある日突然引っ越しちまった」
「突然、ですか」
Oさんが聞くと、その人は首を縦に振った。
「あの家はました、“ましたの家”だって。アイツは学校でずっとうわ言のように言ってたけど……。俺以外の奴らも、ずっとそう呼んでる」
結局、家の由来は何も分からなかった。
それから数年後、『ましたの家』は取り壊されることになった。
最後の持ち主が亡くなってから長い間、所有者不明の空き家になっており、老朽化も進んでいたためだという。
屋根がなくなり、2階がなくなり、壁が取り払われる。
最後に、床が剥がされた。
「おい、なんだこれ」
その時、作業員が妙なものを見つけたらしい。
ここからは近隣住民の噂話だが……。
床を剥がした下に、空洞があった。
土を掘ったような、横に広がった空間。幅もあり、家の床下いっぱいに広がっている。長い年月をかけて掘った獣の巣穴のようだったという。
穴の中心には、石が綺麗に円を描くように並べられていた。
「遺跡……?」
解体作業員は、石が何のために置かれたものなのか、しばらく調べていた。
結局、石はここ最近持ち込まれたものと判明し、『ましたの家』は今度こそ、更地にされた。
「その後は?」
私は聞いた。
Oさんは顔をしかめ、首を横に振った。
「何もないよ。だから怪談としては物足りないんだ」
「そうですか」
私は、少し残念に思った。
Oさんは飲み物を飲むと、
「……そこに、いました」
と言った。
私は、思わず聞き返した。
「……え?」
Oさんは、きょとんとした顔をした。
「いや、何が?」
『そこにいました』
そう言ったOさんの声は、しわがれた老人のようだった。
Oさんは、何も気づいていない様子で、不思議そうにこちらを見ていた。




