61 -饗宴――余香②
代わりに浮かんでいたのは、いつものような穏やかな笑みだった。
「全部が嘘なんて僕には思えない」
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視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア
61 -饗宴――余香②
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「二人ともすまない。先に大広間へ戻っていてくれないかな」
問いかける隙を与えないようにしているのか、ジュナは言葉を重ねた。
「水景園の門。ほら、あの門!」
妙に明るい声で門を指差す。
「閉め忘れているみたいだからさ。僕が閉めてくるよ」
いつものように笑っているつもりなのだろうが、引き攣った口元も、普段より早い言葉の調子も、まったく隠せていない。
フリージアもそれがとっさに作った口実だと気づいているはずだ。
「わかりました。足元が悪いので気をつけてくださいね」
それでも何も気づかなかったふりで話を合わせやがる。
「おい待て!」
視線を戻した時にはもうジュナは駆け出していた。
「まだ話は終わって――むぐっ」
呼び止めようとした俺の口をフリージアが有無を言わせず手で塞いできた。
「今は待ちましょう」
細腕のどこにこんな力があるんだ。振りほどこうとしてもびくともしない。
やっとのことで振り解き、フリージアに文句の一つでも言おうと振り返る。だが俺の口を塞いでいた手はまだ下ろされていなかった。
「私、初めて聞きました。ジュナ様のお母様のこと」
フリージアはジュナが駆け去った方角から目を離さないまま続けた。
「心の奥をさらけ出すというのはとても勇気がいることです。それはきっと魂を引き裂かれるような……」
そこで小さくかぶりを振る。
「とにかく今のジュナ様に必要なのは、ひとりでいられる時間です」
「あんたは本気で呪いなんてものを信じてんのか?」
「……いずれあなたにもわかります。
たとえ見たくなくても、それはある日突然訪れます」
フリージアはジュナが駆け去った方角からようやく視線を外した。その視線が俺へ向く。
にっこりと笑うその顔に嫌な予感しかしなかった。
「大広間へ戻りましょう」
フリージアはそう言って歩き出した。
「せっかくの機会です。セピアはこれからもジュナ様のお付き合いでこのような席に出ることになるはずですから。踊りは上達しておいて損はありません」
「その役目はあんたに譲る。次があっても俺はぜってぇこんな席には来ない」
「却下です。さあ、行きますよ」
言うが早いか、腕をがっしりつかまれた。
「念のため言っておきますが、猫になって逃げても龍造犬に追わせますから」
首に掛けた龍石へ向きかけた意識を引っ込めた。
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胸が焼けるように熱く、肩で何度も息を繰り返した。
門を閉めるはずだったのに足が止まらない。
目的もないまま水景園の門を押し開け、そのまま走り続けた。
気づけば水景園の奥に浮かぶ小島が目と鼻の先に見える。細橋の中ほどまで来ていたのだ。
そういえばここには龍灯はない。
こんな暗がりをどうやってここまで来たのだろう?
息を整えながら辺りを見渡すと、月明かりが水面を青白く照らし、その光は細橋にも淡く降り注いでいた。
水面に咲く華王は、昼と変わらぬ姿のまま。海から吹き込む風を受けても、太く伸びた茎に支えられた花弁は微動だにしない。
月明かりに包まれた水景園は何事もなかったように静まり返っていた。
……なのに、僕の中はひどく騒がしい。
母さんのことを話したからだろうか。
――いや、そうじゃない。
セピアを説得したくて。そのために母さんのことを持ち出してしまった。
「お母さん……」
もちろん母さんを覚えてはいない。あの頃の僕はまだ赤ん坊だったんだ。
声も、表情も、ぬくもりも、何一つ思い出せない。
それでも。
僕にとって母さんは、遠い記憶の向こうにある安らぎそのものだった。
たとえその面影のほとんどが自分で思い描いたものだったとしても。
自分を愛してくれた人がいた。
その事実だけはずっと僕を支えてくれていた。
だからだろう。
セピアの話は、僕の心を深くえぐった。
名付け師の死が、高位の存在を神聖視するために語り変えられたものかもしれない。
理屈だけで言えば、セピアの話には筋が通っている。
僕自身、名付け師の死が龍呪によるものだったのか、それをこの目で見たわけではない。
けれど、あの日、父が僕に語ってくれたことは嘘じゃない。
母さまを語る父の声も、その悲しみも、母さまを想う気持ちも。
これは因果がもたらした、避けようのない出来事だったんだ。
そうでなければ、母さんは――。
「違う……。違うはずだ」
何度も、何度も首を振った。
「……くぅん」
足元から聞こえた小さな鳴き声に、はっとして視線を落とす。いつの間にかムギが心配そうに僕を見上げていた。
「心配させてごめん。ムギ、大丈夫だから」
頭をひと撫でするとムギの目の色が変わった。身構えるより早く、胸へ飛びついてくる。
「わっ!?」
押し倒されるように背中から倒れ込み、思わず笑ってしまう。
……せっかくここまで来たんだ。
礼拝堂で龍神様にお祈りしていこう。
「ムギ、付き合ってくれ」
尾を振って、僕の横を歩いてくれた。
僕たちは並んで小島へ渡る。
夜露に濡れた石畳を慎重に歩いていると、静寂の中に鐘の音が響いた。
こんな時間に――。
顔を上げると礼拝堂の扉がわずかに開いている。その隙間から、揺れる蝋燭の淡い光が漏れていた。
その隙間へ近づき、そっと中をのぞく。
蝋燭の灯だけが祭壇を照らす礼拝堂で長い髪をした人影が一人、膝をついていた。
祭壇脇に吊るされた懺悔の鐘から、二羽の小鳥が音もなく離れていく。
一瞬、本物の鳥かと思った。
けれどよく見ると違う。羽も身体も、銅線で精巧に編まれていた。
命を持たぬはずの小鳥が宙を舞っている。
「——あらゆる怒りを」
「——あらゆる反抗を」
「——あらゆる疑いを」
静かな祈りの声だけが礼拝堂に満ちていた。
舞い戻った小鳥たちは、その人の肩へ止まり、その翼を閉じる。
「あらゆる思いを洗い清め
かの者の魂が、迷うことなくあなたの御許へ届かんことを。
どうか、お聞き届けください。
かの者の名は――」
不意に祈りの言葉が途切れた。
あとに残ったのは、肩に止まった小鳥のかすかな囀りだけ。
その小さな音を聞いたように女性はゆっくりと振り返り、その視線が扉の隙間に立つ僕を捉えた。
「あら?」
赤い瞳が、こちらを見て微笑んだように見えた。




