54 -饗宴――前間③
視点表示 ♤:ジュナ ♡:フリージア ♧:セピア
54 -饗宴――前間③
♤
勢いに弱い自分が我ながら情けない。
どうしてこう、悪いことというのは重なるのだろうか。
記憶喪失に龍造天竜。
モリーン令嬢とルミーの無謀な約束事。
そして――。
「脚を狙え!」
遠くから、狩猟に興じる者たちの声が響いた。
バロバロッサ邸から北へ少し龍造馬を走らせた先には、深い常緑樹の森が広がっている。狩猟の際には森を見下ろせる崖上へ見学用の天幕が張られ、獲物を追う者たちはその崖下へ散り、競うように森を駆け回っている。
龍の子である自分は狩りへ加わらず、天幕の中からその様子を眺めていた。
木々の合間には、鹿を追い立てる参加者たちの姿が見える。彼らは龍造犬へ次々と指示を飛ばし、銃を携えながら森の中を駆け回っていた。
龍造犬は尾から刃を伸ばしたまま、鹿を執拗に追い立てている。
このままではいけない。
龍造犬は本来、狩猟用に造られたものではない。嗅覚と追跡能力には優れているが、獲物を仕留めるための設計ではないのだ。
このまま追い回せば、鹿を無駄に苦しめるだけになってしまう。
「うわっ!?」
狩猟者たちのすぐ近くで、鞭を打つような鋭い羽音が響いた。
天幕にまで届く素っ頓狂な声が上がり、龍造犬も主人たちの動揺に反応してその場で足を止める。
「な、なんだ!?」
狩猟者たちが一斉に梢を見上げる。
その先には、小柄な身体に不釣り合いな鋭い翼を広げた鳥が留まっていた。
鳥だと気づいたのだろう。一人が「おほん」と咳払いをひとつする。
「どうもこの龍造犬、反応が鈍いようだ」
彼らが驚いている間に、鹿は森の奥へ姿を消してしまったようだった。
「まだ近くにいるはずだ。龍造犬追いかけろ!」
龍造犬へ命じて走っていく姿を眺めていると、隣から声が飛んできた。
「いいのか大将。そんなことやって」
慌てて伸ばしていた左腕を下げた。
「な、なんのこと?」
取り繕うように返してみるものの、隣で椅子に浅く腰掛け、足を投げ出していたセピアは呆れたようにため息をついた。
「別に」
そこでセピアは言葉を切った。しばらく黙り込み、視線だけを崖下へ向ける。
「ああ、そういや」
思い出したように口を開く。
「気をつけろよ。
龍力ってのはこっそりやってるつもりでも案外目立つ。貴族どもは龍造人形に慣れてるからな。変に勘繰られるような真似は控えろ」
「龍造人形を好きになれば、龍の子なら誰にだって——」
「わかったのか?」
「……うん」
セピアの言葉に押され、つい返事をしてしまう。
視線の置き場に困り、目を逸らした。
セピアの頬にはまだ薄く擦り傷が残っている。
「その傷、まだ治ってないんだね」
「あん? ああ、これか」
セピアは頬を指先で軽く掻いた。
「意外と深かったみたいだ。龍の子の傷ってのは、どうして“癒しの力”じゃ治せねえんだろうな。
大将は何か知ってんか?」
セピアがわざとそう呼んでいることは分かっていた。反応するだけ面白がられるので、触れないことにする。
「ええっと……」
口の中で言葉を探る。
教典で何度も聞かされた一節が頭に浮かんだ。
「龍の子は、龍神の血を下賜された存在とされている。
癒しの力も、龍の子自身の力というより、龍神を媒介として間接的に傷を癒しているにすぎないんだ」
口にする言葉は、既知の教義をなぞるだけのものだ。意味を咀嚼するより先に、定型として吐き出していく。
「『樽いっぱいの神酒に、一滴の泥水を混ぜるなかれ』って教えもあるくらいだしね。穢れがなければ、龍神の慈悲はそのまま届くって考え方がある。
だから教会があって、神官たちは穢れを祓うんだ」
一度言葉を切る。
「人は放っておけば理から外れる。
だから正しい場所へ戻さなきゃいけない――そう教えられてる」
それから続けた。
「だけど、龍の子を癒すとなれば話は別になる。
龍の子は龍神の稀血を宿す存在だから、ほんの少しの濁りでも癒しが届かなくなるって解釈されてるんだ。完全な清浄でなければ駄目だって」
思わず苦笑が漏れた。
「この世にそんな人間はいないのにね」
セピアは呆れたように肩を竦めた。
「俺はお前の本音が聞きてえんだよ。その声色じゃ、自分で言ってること信じてねえの丸わかりだ」
「そんなこと急に言われても、僕にもよくわからないよ。ただ、納得できないだけで……」
そこまで口にして、自分の言葉に気づいた。
「ち、違うよ。ちゃんと納得はしてるから」
ついセピアの調子に流されて、口走ってしまった。
「ばか、誰にも言わねえよ」
セピアは短く笑った。
「でもそうか……大将でもわかんねえのか」
そう言って話を打ち切ると、不意にこちらへ顔を向けた。
「そういや、一昨日だったか。あいつらの墓に来てくれたんだってな」
「えっと……誰かから聞いたの?」
記憶を失っていた間に話していれば別だが。
「いや」
セピアは首を傾げる。
「あんな高そうな花を手向けるような奴、お前かフリージアくらいしか思い当たらねえからな」
「花? 僕は手向けてないけど」
「変だな、フリージアも行ってねえって言ってたし……」
セピアは首の後ろを掻いたが、すぐに興味を失ったように手を下ろした。
「まあ、とにかくだ。ありがとな」
軽く頭を下げると、セピアはそのまま崖下へ視線を向けた。
「墓っつっても、埋まってんのはあいつらの腕輪だけだが……孤児院の連中は喜んでたよ。やっと帰ってきたってな」
その言葉を聞いているうちに、セピアになら話してもいいのかもしれないと思った。
少し迷ってから、勇気を出して口を開く。
「セピアは、記憶がないまま行動してたことってある?」
「はぁ? ボケるにはまだ若いつもりだけどな」
「いや、そうじゃなくて」
記憶のないまま行動してしまうことがあること。
祈念の式も、朝食も、今日の出来事もところどころ抜け落ちていること。
それが龍の子に関係するものなのかもしれないこと。
胸の内に溜め込んでいた不安を、少しずつ打ち明けた。
「マジか?」
セピアは顎に手を当て、遠い記憶を探るように目を細める。
「いいや、俺はそんな経験一度もねえな。フリージアには聞いたのか?」
「えっと、まだ。
その……今日のフリージアさん、どうだった?」
「どうだったって、どういう意味だよ?」
本当に意味が分からないらしい。セピアは首を傾げた。
「あのご令嬢はいつも通りだ。あの澄ました顔でこっちを睨んでたよ。変なことすんなよってな。
困んのは、友人として招待したジュナ様に返ってくるんだとか。俺もそれくらい弁えてるっつうのに、相変わらず口うるせえ」
「そう……なんだ」
では、あの廊下で見たフリージアの姿は何だったのだろうか。
自分の思い違いだったのかもしれない。
本当に、ただ埃が目に入っただけだったのかも。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた。その拍子に前から気になっていたことが口をついて出る。
「ずっと気になってたんだけど」
「なんだよ?」
振り向いたセピアと目が合う。
「なんでずっと……その、笑顔なの?」
声はいつものセピアなのに、さっきから表情だけが別人のようだった。
もし初めて会っていたなら、社交界で令嬢たちの人気を集める美丈夫だと思っただろう。柔らかな笑みを浮かべたその端正な顔立ちは、それだけで人を安心させるものがあった。
だが、素顔を知っているこちらからすれば、その笑みには安心感よりも気味の悪さが勝ってしまう。
「この地獄みてえな饗宴が終わって、馬車に乗り込むまでは、この顔を作っとく必要があるんだ」
セピアは上着の襟元を指先で軽く撫でると、一度だけ顎を引いた。そのまま誰かに挨拶を返すような微笑を口元に残したまま、さらりと言ってのける。
「一瞬でも弛めると、戻せなくなっちまう」
ぞわり、と背中が粟立った。
器用なのか、不器用なのか。
セピアのことが未だよくわからない。




