49 -龍神の遣い
暮れかけた群青の空。
龍造天竜が、影を引きながらこちらへまっすぐ翔けてくる。
「お父様、お母様!
空から、お兄様たちが帰って来ました」
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49 -龍神の遣い
♤
龍造天竜は滑空の軌道を描き、着地寸前、内蔵機構が低く唸った。
一瞬、跳ね上がるように両翼が縦へ鋭く伸び上がり、余剰の推力を殺しながら、音もなく影が前庭に降り立った。
「レオン! ディナミス!」
兄たちが龍造天竜の背から慣れた手つきで降りるや、母は二人を抱え込むように腕を伸ばした。
「私の可愛い王子さまたち。
会っていないほんの少しの間に、ますます精悍な顔つきになったわね。
嬉しいわ。きっとご令嬢たちがあなたたちを放っておかないでしょうね」
「母上。自分は王家を守る盾です。私情に心を割く立場にはありません」
黒の瞳が、わずかに伏せられる。
その横顔には母の面影が色濃く残っているのに、柔らかく下がる口角はそこにはない。刃のような研ぎ澄まされた静けさが、この人にはある。
「はぁー? 兄貴が縁遠いとか、冗談きついって」
赤みを帯びた金の髪をかきあげ、ディナミスはひとつ息を吐いて母に向き直る。
「母上、聞いてくださいよ。兄上にお近づきになろうとする女の子が多いから、俺が堰止め役までやらされてるんだぜ? ときどき自分の役目が騎士なのか、兄貴のお守りなのか、分からなくなるくらいだ」
「ふふ。ディナミス、あなたはほどほどになさいね。いろんな噂がここ(南端)まで耳に入ってくるわよ」
母がゆっくりと後ろを振り返り、自分へ視線を流した。
「あなたたちは自慢の息子よ。
さあ、中に入って夕食にしましょう。あなたたちの好物をたくさん用意させてあるわ」
「母上、その前に一つよろしいでしょうか」
レオンがサルウィンへ視線を移す。
「サルウィン、《《あれ》》を」
短い指示に、サルウィンはすぐさま応じた。差し出された二振りのうちの一つを、兄はこちらへと向ける。
「剣を取れ。俺に見せてみろ」
どくり、と心臓が跳ねた。
準備も覚悟もないまま、いきなり舞台の中央へ押し出されたように足の裏が頼りなくなる。
「待ってください、レオンお兄さま!」
視界の前に薄桃色が飛び込む。
小さな背中が両腕を広げ、庇うようにルミーが立った。
「お兄さまたちは聖都から長旅でお疲れのはずです。
稽古は明日にして、今日はゆっくりお休みになった方が――」
「そうよ、レオン。あの子なんかより、まずは自分を労りなさい」
母の声が、ルミーの言葉に重なる。
「俺は問題ありません」
短く告げる。
レオン兄さんは自分から目を離さない。
「ジュナ。
お前は疲れたか」
ほんのわずかな間。
ため息にも似た、乾いた響きがあった。
「いいえ」
咄嗟に口にしてしまった。
だがもう引けない。いや、引いてはダメだ。
息を整え、ルミーの肩越しに差し出された剣を受け取る。
彼女の指先が一瞬だけ袖を掴んでくれたが、温もりを振り切るように、鞘を払った。
「兄貴〜 手加減してやれよ?」
背後でディナミス兄さんがくつくつと喉を鳴らす。
「もう!知らないから」
ルミーはそう言いながらもほんの一瞬だけこちらを振り返り、それから両親のもとへ駆けていった。
目を塞ぎたくなるような風が横殴りに吹きつけるが、兄の表情は一切動かない。
音もなく、刃が閃いた。
踏み込みが見えない。
構えたはずの剣に重い衝撃が走り、握りが滑る。
耐えようとした。
だが、気づけば手の内は空。
銀の軌跡が宙に弧を描き、乾いた音を立てて地面を打った。
「サルウィン」
レオン兄さんがサルウィンへ振り返る。
「お前が指導しながら、このざまはなんだ」
「申し訳ございません」
サルウィンは頭を下げる。
「ジュナ、お前は龍造天竜を厩舎へ入れてこい」
言葉だけを残し、兄の背はすでに屋敷へ向いていた。
「サルウィンもお気の毒さま。兄貴はほんと不器用だよな。
手加減してやらなきゃ、稚魚の力量も測れねぇのに」
ディナミス兄さんの声に、母の甲高い笑いが重なった。
そのまま二人も屋敷へ歩いていく。
「……ジュナ」
小さく名を呼ぶ。
振り返ると、父は歩みを止めていた。
「夕食は自室に運ばせておく。龍造人形の世話を頼んだぞ」
それだけ言い、父もルミーの手を引いて屋敷へと入っていった。
空を見上げると、群青は最後の抵抗のように広がっている。
それでも夜は、羽虫を払う仕草ひとつで、世界を丸ごと奪おうとしている。
――もっと抗ってもよかったはずだ。もう少しは抗えただろうに。
「ジュナ様」
サルウィンが低く呼びかける。
「あなた以上に龍造人形を扱える者はおりません。だからこそ任されたのです。
旦那様もレオン様も、それは承知のはず。
どうか、それだけはお忘れなく」
いつもの仏頂面のまま、睨むような目を向けてくる。
それが可笑しくて頬が緩んだ。
「ありがとう、サルウィン」
「感謝されるようなことは言っておりません。
では、さっそく龍造人形たちを厩舎へ戻しましょうか」
袖をまくったサルウィンには悪いが、呼び止めた。
「サルウィンは先に戻ってて。
龍造天竜も龍造馬も、僕がやっておくよ」
「お待ちください。
龍造天竜を厩舎へ入れるだけでも骨が折れます。龍造馬も落ち着かせねば」
「ごめん。今は、一人になりたいんだ」
わずかな沈黙のあと、サルウィンは口を開いた。
「承知いたしました。すべてジュナ様にお任せいたします。
ご用があれば、龍造梟でお知らせください」
サルウィンは一礼し、付殿の執事用の扉へ向かって歩いていった。
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけほどけた気がした。さっきまであちこちに揺れていた鼓動がゆっくりと落ち着いていく。
夜を迎える前庭はほとんど暗闇に沈みかけていた。遠くへ歩いていくサルウィンも、柱も旗も、今や影の輪郭でしか見分けがつかない。
吹き抜ける風に芝生がさわさわと揺れる。そんな静けさの中で、しゃら……と鎖の擦れる音が小さく鳴った。
思わず口角が上がり、顔を上げる。
そこには、こちらを見据えながら静かに佇む龍造天竜の姿があった。
「はじめまして、龍造天竜。
君に出会えて……本当に嬉しいよ」
竜――古来より、龍神の遣いとして語られてきた神話の生き物だとされている。
南端にも火竜が座し、龍神の眷属でありながら、土地神として人々の祈りの対象となっている。
その神話の存在を龍石から生み出すことに成功した。
それがどれほど常識外れのことかは、龍造人形の歴史を知っていれば分かる。
これまで造られてきた龍造人形はすべて実在する動物を基にしていた。
はじまりは、生きた動物の体に龍石を埋め込む半獣半石の龍造動物だった。しかしその方法では肉体のどこかが欠ければすぐに機能を失ってしまう。
そこで研究は進み、動物の情報そのものを龍石に記録する技術が生まれた。核となる龍石さえ無事なら動き続ける――完全な龍造人形の誕生である。
そうした経緯を知っているからこそ思う。
神話上の存在から生み出したという事実が、いまだに信じられない。
核となる生物の情報をいったいどうやって手に入れたのか。
最近出版された書籍にも龍造天竜の項目はいくつか載っている。だが書かれているのは核以外の内部機構や描画された外観ばかりだ。
知りたくとも、その核となる情報は秘匿されている。
ロゴス大聖堂が《聖竜奉仕宣告》を下したからだ。
竜の龍造人形には神聖が宿る。
ゆえに、それを扱う者は厳しく定めねばならない。
穢れが竜にうつれば、龍神の声が届かなくなるのだ、と。
その聖竜奉仕宣告によって、龍造天竜を扱う資格は他の龍造人形以上に一段と厳しく管理されることになった。
神聖を理由に掲げたその制度によって、教会は管理を担うことで影響力を強め、龍造人形は限られた者の手の内に置かれる。少なくとも教会にとっては利の大きい制度なのだろう。そう簡単に手放すはずがない。
そんな事情もあって、直接触れる機会は一度もなかった。
《《それが今、目の前にいる》》。
遠く、木々の梢から漏れる最後の残光が、高みにあるその身だけをかすかに照らしていた。きめ細かな鱗は光を受けて黄金に輝き、陰影の中で厳かに艶めく。
こちらを見据える琥珀の瞳には、夕の光が奥へと染み入るように揺らぎ、生きた光が内側から湧き上がっている。
鳥肌がどうしたって止まるはずがない。
竜は身体をゆっくりと寄せながら頭を差し出し、ジュナはその冷たく硬い感触にそっと手を添えた。




