48 -澱を底に残した日常♤
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48 -澱を底に残した日常♤
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自分は孤児院の子どもたちのことを考えていたのだろうか。
あの日の光景が、忘れてはならない戒めのように何度も立ち上がる。
「僕も、同行させてほしい。
龍造人形の扱いならさっきの通りだ。僕以上の適任者はいない」
はっきりとした声。
間の取り方まで正確に再生できる。
表向きは子どもたちを思っての申し出だった。
……けれど。
あれは本当に、子どもたちのためだったのか。
ただ――
自分の血にもバロバロッサ家の誇りが流れていると、証明したかっただけではないのか。
それを裏付けるかのように、
目の前に並ぶ小さな墓標を前にしても、涙は一滴も落ちない。
「ジュナ様、そろそろお時間です。
陽はまだ高いですが、ここは西区でも奥まった地にございます。旦那様とのお約束に間に合いません」
鳥のさえずりがやわらかく重なり、遠くで猫が伸びをするように鳴いた。
厳冬のさなかだというのに、今日は春を思わせるほど麗らかな陽射しが降りている。
冬眠からわずかに目を開けたようなまどろみの中で、墓標へと伸びた影がいつのまにか長くなっていた。
「……わかった。最後に一言だけ」
ジュナは再び墓標の前に両膝をつき、かじかんでいた手を胸の前で重ねる。
「どうか、ここに眠る者たちを龍の御許へとお導きください」
♦︎♢♦︎
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低い陽が横から差し込み、頬を横切る。
東門を出るころには空はすでに暮れかけていた。
龍造馬は歩調を崩さず、茜い空を背に刈株の野を駆ける。
夕日は散らばった青の果てに、どこまでも伸びていった。
「起きてください、ジュナ様。もうじき到着いたします。ほら、身なりを整えておきませんと」
ジュナは横になっていた体を起こし、寝ぼけまなこで何度も首をもたげた。
サルウィンがその都度、襟元を整える。
「ほら、旗が見えてきましたよ」
その声でまぶたがひらく。
見慣れた旗が視界に入り、胸の奥が遅れてひとつ縮んだ。それでも顔を引き締め、背筋を伸ばす。
道の分岐には紋章旗が一本掲げられている。
風に鳴り、小さく揺れていた。
白地に三種の武器。
中央に剣。その上に弓が弧を描き、外周を槍が取り巻いている。
バロバロッサ家の紋章だ。
旗は小さく、主張は控えめだった。
そこから並木道が続く。
左右に等間隔で植えられた木々のあいだに龍灯が並び、道を淡く縁取っている。
緩やかな勾配をのぼりながら、道はまっすぐではない。わずかに蛇行し、奥をすぐには見せない。
だが丘を越えた瞬間、空が大きくひらけた。
芝生が風になぎ、馬車の窓がかちかちと音を立てる。
白い大理石の門柱が夕陽に照らされ、堂々とそびえていた。
その門の向こうに、屋敷の全貌が広がる。
石造の本殿が、左右へと長く伸びていた。
中央はわずかに前へ張り出し、四隅には角塔が空を押し上げている。
整然と並ぶ縦長の窓が、正面いっぱいに赤く染まっていた。硝子は一面の鏡のように、燃える空をそのまま映し返している。
視線を上げれば、屋根には細く高い煙突と小塔。 本来は空へ伸びるはずの尖塔が、 ジュナには逃げ道を塞ぐ柵にしか見えなかった。
そこから左へ視線を移すと、本殿に寄り添う低めの棟が連なり、同じ石で統一された外壁には装飾が簡素に抑えられている。
中庭を囲むように折れ曲がり、左奥まで続いていた。
華やぎは本殿に譲られ、付殿は実務と生活を担っている。
城塞のような厚みはないが、軽んじられることもない。
先先代の当主が建てた、格式ある構えだった。
「サルウィン、ここで停めてほしい。
この子たちは狭い場所を回らされるのが好きじゃないから」
馬車は前庭へ差しかかる。
中央には石造りの噴水があり、それを囲むように、二台並んで通れる幅の環状路が巡っていた。
だがそのまま入らず、白い大理石の門柱の手前で停めてもらった。
前を引く龍造馬が環状路を一瞥し、低く鼻を鳴らす。
長く駆けるのは好むくせに、ああした細かい回り込みは機嫌を損ねてしまうのだ。
向かいに座っていたサルウィンが立ち上がり扉を押し開くと、外の光が差し込み、車室が赤く染まった。
「足元にお気をつけください」
ジュナは身をかがめ踏み台へ足を下ろす。
そのとき、玄関の扉が開いた。
理由はわからないが、
母が裾を翻して広い前庭を一直線に駆けてくる。
「ああ、私の可愛い王子さま。早く顔を見せ…て……」
降り立ったのがジュナだと知れた瞬間、母の笑みが凍りついた。
「どうしてあんたが出てくるのよ」
黒い瞳が濁る。右の口角だけがわずかに吊り上がり、眉が険しく反る。
自分に向けられるいつもの表情だ。
「母上。ただいま戻りました。
外出の件は、朝食の席でお伝えしたはずですが……」
「何? この私に言い訳をするの?
紛らわしい時間に帰ってくるあんたが悪いんじゃない」
ジュナは黙って頭を下げた。
そこへ父クラウンが小走りでやって来る。大きな体を揺らしながら、母の肩にそっと手を置いた。
「まあまあ、フィラーナ。落ち着きなさい」
声は穏やかだが、ジュナとは視線を合わせない。妻の横顔を見つめたまま、口元だけがかすかに引きつっているようにみえた。
「クラウン、あなたからも言ってちょうだい。この子、私に口ごたえしたのよ」
「……悪気はないのだろう。な、ジュナ?」
名を呼びながらも、視線は向けてくれない。
母をなだめる声の陰で、馬車の後ろから小さな気配がするりと現れた。
「ジュナお兄さま、お帰りなさい」
薄桃色のワンピースを品よく着こなし、赤みを帯びたブロンドをやわらかく揺らしながら、空気を読むように控えめに微笑んでいる。
ジュナも馬車のそばへ歩み寄り、小声でルミーに応じた。
「ただいま戻りました。
……それにしても、ルミー。母上はどうされたのです?」
黒髪に編み込まれた朱の飾りに目を留めて問うと、ルミーは一度だけ両親のほうを振り返った。
「今朝の朝食でね、明日お兄さまたちが聖都から戻られるってお父さまがおっしゃっていたでしょう?
でも、そのあと龍造梟からお手紙が届いて……ふふ。
今日の夕方に変わったの!」
嬉しさを抑えきれないのかルミーの声は弾み、目元まできらきらと輝いている。
「レオン兄さんとディナミス兄さんが……今日、帰って来る」
兄たちの名が喉の奥にひっかかり、足裏の感覚がふっと遠のいた。
あの眼差しを思い出す。
まっすぐで、冷たくて、逸らすことも許さない目。
拒絶されていることくらいわかっている。
ずっと、そうだった。
——それでも、会いたいと思ってしまう。
落ち着こうと、息を吸いこんだときだ。
背骨の奥を熱が駆け上がった。
この感覚……
見えない糸が、空へと張る。
ジュナは顔を上げた。
「――空だ」
「空?」
遅れてルミーが見上げる。
暮れかけた群青の空。
龍造天竜が、影を引きながらこちらへまっすぐ翔けてくる。
「お父さま、お母さま!
空から、お兄さまたちが帰って来ました!」




