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龍の子らの饗宴  作者: 茎乃ハル
【序章】龍鎮む華園
45/50

45 -溢るる蕾

あの女の冷たい声。

馬車の上で告げられた言葉が今の叫びを呑み込み、なお奥で鳴り続けている。

======================================

45 -溢るる蕾


「退屈しのぎに、少しだけ遊びませんか?」


「ゲーム、ですか?」

カリオンは間を置かずに応じた。

「もちろん。やりましょう。どんな遊びです?」


クレマチスは楽しげに微笑む。


「内容は……もう少しだけ、お待ちになって」

赤い瞳が、柔らかく細められた。

「私も、今ちょうど考えているところなのです」


その軽い口調のまま話題は途切れるものだと思った。


「この世で最も残酷な拷問とは、何だとお思いになりますか?」


思考が一拍遅れる。

無意識にグラスへ手を伸ばしたが、指先は縁に触れるだけで止まった。


問いを投げた本人は枝葉の合間にのぞく月を眺め、こちらを見る気配はない。物騒な問いとは裏腹に、その横顔はひどく穏やかだった。


「人は同族殺しを罪としながら」


ぽつりと、独り言のように言葉がこぼれる。


「自らの欲のためだけに、彼らは臆面もなく正義を掲げる。道徳という仮面を被せ、それを素顔だと信じ込ませるために。経典も、祈りも、愛すらも、利用して」


——ご冗談を。

そう言いかけて喉の奥で止めた。


「ふふ。今、私が思いついた拷問方法も、きっと過去には実行されてきたのでしょうね。人は正当な理由さえ与えられれば、残酷さを善にすら変えられる。

それが誰かの欲望に利用されとも知らずに、善行だと信じながら」


女の瞳は遥か遠くを見つめていた。まるでここにはいない誰かに語りかけるように。

その口調は、鼻歌でも口ずさむように軽い。

——この女は狂っている。

華王でも吸引していなければ説明がつかない。


「……随分、重い話ですね」


カリオンはもう一度、グラスへ視線を落とした。これ以上この女とは関わらない方が賢明だ。


「この場でする話題ではないでしょう。今日はもう、休まれた方がよさそうだ」


その言葉にもクレマチスは微笑みを崩さなかった。

否定も、同意もない。

ただ静かに振り返り、指先が自身の腰元へと伸びる。


小さな革袋。

そこから取り出されたのは、ひとつの指輪だった。


銀の輪には細い蔓のような線が巡り、その合間に星屑のような小花が群れて刻まれている。繊細な意匠が月光を受けて淡くきらめいた。


クレマチスはそれを迷いなく左手の薬指にはめ、こちらへ微笑みかけた。


「遊びとはこのことですか?」


感情を滲ませぬよう、カリオンは声を低く抑えた。


「冗談にしては度が過ぎています。私はそのような戯れに付き合うつもりはありません」


「声色に漏れていますよ」


クレマチスは愉しげに、赤い瞳を細める。


「カリオン様。本当はもう、お気づきなのでしょう?」


頭の中で、音が消えた。

「……何に、ですか」


「私は異端審問官です。あなたを殺しにきました」


クレマチスの声色は先ほどまでと何ひとつ変わらない。あまりにも自然で、自分の聞き違いではないかと思うほどだった。

その女は、先ほどまでと同じ微笑みを浮かべている。


喉が、ひくりと鳴る。

息を吸おうとして、どのくらい吸えばいいのかわからなくなる。


――本気で、この僕を。

そう理解した瞬間、 考えるより先に声が口を突いて出た。


「待て、待ってくれ!

僕には父から王の刻印を賜った書状を預かっている。これを読めば、僕には危害を加えられないはずだ」


懐から差し出そうとした手が、止まった。


紙の感触が違う。

そこにあったのは書状ではなく、乾いた木の葉の束だった。


指から力が抜け、葉はさらさらと乾いた音を立てて車内に散らばった。


「どうされたのです?

狐にでも化かされたようなお顔をなさって」


「何が……起きている……?」


クレマチスは困ったように眉を下げた。


「あなたのためだけに徳王も、あなたのお父上も、書状をよこすことなどなさいません。

それに“始末せよ”と仰ったのは、あなたのお父君ですわ」


「そんな……そんなはずがない!

僕がどれほどニコマコス家に尽くしてきたと思っている!

ありえない……そんなこと、ありえるはずがない!」


胸が言葉を拒むように締め付けられた。父に選ばれたという自負も、この南端を管理しているのは自分だという確信までもが、音もなく崩れ落ちていく。


「そんなはずがない……」


唇が震え、言葉にならない声が漏れた。


「今からそんなに体力を使わない方がよろしいかと。これから少し、追いかけっこをしていただきますから」


クレマチスは御者台と客室を隔てる板を軽くノックした。

馬車は静かに止まり、扉が開かれる。


外には、数十匹の龍造犬がいた。

鈍く危険な赤の瞳を光らせながら、自分のいる馬車を囲むように、ゆっくりと歩を巡らせている。


「さあ、この世で最も残酷な遊びの準備は整いましたわ。

この山を下り、聖華原にたどり着けたなら――あなたの勝ち。

そのときは自由の身となりましょう」


一拍の間。


「ですがその前に捕まってしまえば……。

よくよく、この子たちをご覧になって。あなたは龍造犬をよくご存知でしょう。

……何か、お気づきになりませんか?」


言われずともすぐにわかった。

龍造犬の尾には本来は収納されているはずの刃が、剥き出しのまま露出している。

爪は鋸のように鋭く尖り、

牙は釣り針めいて返しを持ち、一度食い込めば、引けば引くほど抜けなくなる形だった。


「異端審問のために、わざわざ改造していただいたのです。

この世で味わうどんな拷問よりも残酷で、

最大の苦しみを――

ゆっくりと、時間をかけて味わっていただくために」


カリオンの喉が、ひくりと引き攣れた。


「頼む、僕を見逃してくれ!

交渉をしよう……金ならいくらでも払う。僕が持っている土地だって、なんでも譲る。だから……頼む」


クレマチスはその訴えを意に介した様子もなく、言葉を継いだ。


「ああ、そうでした。

これを持ってきていたことを、つい失念しておりました」


「どうして……それを」


馬車の椅子の中から取り出されたのは、自室の吹き抜けに隠していたはずの黒い箱だった。


蓋が開かれる。

中には、孤児院の子供たちが身につけていた腕輪が並べられていた。


「七人の子供の鎮魂が終わり次第、この子達を解き放ちます。

カリオン様、あまり時間は残されておりません。

――さあ、どこまでも逃げてください」


「……黙れ!」


カリオンは懐に忍ばせていた短剣を引き抜いた。

この女の喉を裂けば、龍造犬は止まるはずだ。


「ふふ。神官でありながら、この世に目を向けすぎるというのも困りものですね。

まあ、だからこそ……あなたの行動は手に取るようにわかってしまうのですが」


その瞬間、視界が白く弾けた。


「ご安心ください。

出血は、”癒しの力”で止めて差し上げますわ。遊びにならなければ面白くありませんもの」


「……お前、何なんだ。

こんなことに……何の意味がある?」


「孤児院の子供たちになさった因果が、

すべて――あなたに返ってきただけのことです」


女は、ころころと笑った。


「因果が……巡る。

こういう最後が、私は好きです」



♦︎♢♦︎



遠くで上がっていた悲鳴がようやく夜に溶けた。


「あの男……ずいぶん持ちましたね……。

首席、もう朝ですよ。朝! さすがに疲れちゃいましたよ」


ファマスが親指と人差し指で輪を作り、欠伸混じりにその向こうを覗き込んでいる。


「きちんと確認してください。あの男は息をしていないのね?」


「ええ。龍の御許に誓って」


クレマチスは唇に指先を添えた。

「そう」

わずかに間を置いて、女は続ける。


「対価としては、まだまだ足りないけれど……

その先をどう裁かれるかは、龍神のみぞ知るところ」


そう言ってクレマチスは御者台へ視線を向けた。

そこに座る大男が無言のまま葉巻を差し出す。


男の指先に灯った火を借り、クレマチスは葉巻へ火を移した。


「ドグ、助かるわ」


ドグと呼ばれた大柄の男は短く頷き返し、すぐに御者台へ戻っていった。


濃い紫煙を吐くクレマチスを見ながら、ファマスが首を傾げる。


「それにしても首席。あんな男にここまでする必要がありました?

人目につかないところでさっと終わらせた方が、ずっと楽だったでしょうに」


一拍置いて、冗談めかした声。


「もしかして……子供の弔い、とか?」


「――まさか」


即答だった。


クレマチスは唇をわずかにすぼめ、紫煙を細く流した。


「新人くん、覚えておきなさい。

異端審問とは名を聞いただけで人々を震え上がらせるものでなくてはならないの。

私たちはその“形”を、決して崩してはいけないのよ」


「でも誰も見てませんよ。ここじゃ」


「さあ、どうかしら?」


赤い瞳が、ゆるやかに細められた。


「けれど、途中で風景を楽しんだのは事実だわ。

ファマス、ドグ。

南端サウスエッジへ引き返すわよ」


そう告げて、彼女は踵を返す。

その口元には消えきらぬ微笑が残っていた。


「ここから、退屈する暇はなくなるわ。

……ええ、そうよ。すべては動き出しているのだから」



序章──終

黒煙を刻んだ者


♦︎♢♦︎


第一章


因果は巡り、薙ぐは定め。 

——それでも花は咲くのだろうか

ご愛読ありがとうございます。


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