86.さよならの先に
「酷い顔」
妖精のように美しいと称されるセレスティアがハンカチで鼻を押さえて顔を歪めた。鼻を押さえているのは酒が抜けていないガナッシュのせいでにおうのだろう。
「俺、酒に弱いんだよ。割と序盤で潰れたからなんとか今、起きていられる」
「情けないわね。お酒なんかに負けちゃうなんて」
「いやいや、あの人たちが怪物すぎるんだよ」
「逆にやっつけるくらいでなくっちゃ!」
セレスティアが語気を強めて言う。ガナッシュは重たい身体を動かせずに「ははっ」と愛想笑いを浮かべた。ズキズキ痛む頭を回しながら椅子に凭れ掛かる。セレスティアは扉の前で腕を組みながらこちらを睨んでいた。
「貴方・・・死ぬのね」
「・・・少し違う、かな」
「死んだことにするんでしょ?東の国の戦争に巻き込まれてディオ・ネラルク・ルイズベートが死んだことにより、後継者を失ったルイズベート家は友好関係にあるニヘイア家の次男であるセバスチャンを養子として受け入れた。・・・いかにも貴方が考えそうなシナリオだわ」
ふう、と大きく息をついたセレスティアは「全てを捨ててまですることかしら?相変わらずわからない人」呆れたように首を左右に振る。
「俺のことはいいんだ。セバスチャンのことも裏で支えるつもりでいる。絶対に一人にはしない。表から消えるだけだよ」
「セバスチャンも・・・わざわざ大変な道を歩まなくったっていいのに。お父様もお兄様も嫌な顔するわよ?」
「どうかな?俺はむしろ二人は喜ぶと思うよ。二人はセバスチャンのことを甘く見てるから、ネラルク大公国はもう自分たちのものだって思うだろうね。けどセバスチャンは俺や父さん以上に手強い相手になるはずだ。自分たちの手中にあると高を括っていたら痛い目見ると思う。・・・あ、これ、言わないで」
「そういうことまで折り込み済みってことね。恐れ入ったわ」
セレスティアが二三歩後ずさっては扉に背中を預ける。あえてそこに立つのは部屋から出さないようにしているようにも見える。「・・・行かないの?」扉の前を塞いでいるのにセレスティアが訊ねた。
「行かないよ」
「どうして?ロゼさんたちと一緒にいるために大公爵の座をセバスチャンに押し付けたのでしょう?」
「押し付けたって・・・・・・ま、いいか」
「セバスチャンに思うところがあったとしても、それはディオにとっても都合の良いものだったに違いないわ」
「うーん」
「そうでしょう?だって・・・貴方は」
弱弱しくなる声と共にセレスティアの頭が下がっていく。頭がもげそうなほど俯いたセレスティアが「私よりも・・・あの子を」小さく小さく呟いた。
ガナッシュは重たい身体を預けていた椅子から立ち上がり、扉の前にいるセレスティアに近づいた。「セレス」声をかけるとセレスティアの身体がびくっと震える。
「ごめん」
「謝らないで」
「ごめん」
「謝罪なんかいらないわ。・・・最初から、ロゼさんを見た最初から気づいてたもの。ずっとずっと心の内を隠してきたディオが、あの子の前では素直でいられたのだから」
「・・・立場がそうさせたっていうのもある。俺が、君が、違う立場だったなら」
「そんなの関係ないわ。もし貴方がちゃんと自分の立場を理解しての行動をしていたんだとしたら、私と同じ、あの子とも上辺だけのそれなりの関係にしかならなかったはず。けど、そうじゃなかった。なら私たちは・・・元々こういう運命だったのよ」
スンと鼻をならし、セレスティアがゆっくり顔を上げる。顔を上げたが目は伏せたまま。
「・・・・私、マーカスさんの手伝いをしようと思って」
「え?」
「ボワイアの医者はまともなのがいないし、それに私に治癒の力があると思っている国民に色々教わるわけにはいかないでしょう?だから」
「医者を目指すってこと?」
「・・・どうかしら。けど、そうなれたらいいわね」
「恥じない自分になりたい。みんなが憧れる王女として、聖女として、事実じゃなくても、近づけるように」伏せていたセレスティアの目がガナッシュを見る。「そのときにやっぱりやり直したいって言ったって手遅れなんだからね」目を細めて顎を上げたセレスティアが小さく笑った。「うん。肝に銘じておく」ガナッシュも微笑んだ。
「・・・・最後にひとつだけ、聞いていい?」
「なに?」
「・・・・私のこと、少しは、好きだった?」
また顔を伏せたセレスティアがガナッシュの胸に寄りかかる。背中に手を回してそっと抱きしめた。ガナッシュも抱きしめ返す。「好きだったよ」そう告げればセレスティアがふっと鼻で笑った。
「堅物だったくせに。全てを失ったら、平気で嘘がつけるのね。・・・・でも、ありがとう」
背中に回っていた手が離れていく。後ろに下がったセレスティアが「もう、いいわよ。言いたいことは言えたから」扉の前を明け渡す。けどガナッシュは立ち尽くしたまま部屋を出ようとしない。
「・・・ディオ?」
「ん?」
「行くんでしょ?汽車に遅れるわよ?貴方、なんの準備もしてないでしょうし」
「乗らないから」
「え?」
セレスティアが目を丸くして固まる。動かないガナッシュを訝しんだ顔で覗き込み、笑っているガナッシュにまた目を丸くした。
「ロゼとフラミンゴさんには言ってない」
「言ってないって・・・貴方」
「だって一緒に行くって言ったらフラミンゴさんは絶対に汽車に乗せてくれないし、乗れたとしても途中で汽車から突き落としてきそうでしょ。俺は別便で行く気だから急がなくてもいいんだ」
扉から離れてまた椅子に座ったガナッシュは「はあ、吐きそう」胃に残る酒に顔を歪めた。それを見るセレスティアは「・・・やっぱり貴方がわからないわ」同じようにはあ、と息をつく。
**
「あれ?私の薬箱、綺麗になってる」
長旅の間、乱暴に扱いすぎて木材でできた行商箪笥は傷だらけでひび割れもしていたのに、表面を薄く削られたのか新品同様に光っている。サンジェルが取り付けてくれた車輪も同じようにピカピカだ。
「ウチの職人が磨いたらしいですよ」
「わあ!ありがとうございます!直接お礼を言いたいけど・・」
ロゼが前後左右顔を回すが技師も坑員も見当たらない。見送りに来てくれたのはルイズベート家の人たち。そしてセレスティアとセバスチャンだ。「代わりに伝えてもらえますか?すっごく喜んでたって」ローウィンに伝えると「はい。伝えておきます」ローウィンが大きく頷いた。
「うわああ!なにこれー!!」
待機している蒸気機関車を目の当たりにしたルノが大声で叫んだ。「なにこれなにこれなにこれー!!」興奮を抑えられず、走り回っている。
「うるさいな~。ってかお前残るって言ってなかった?」
「うん。でもダメだって」
「そりゃな。だ~れもお前の面倒なんか見たくねぇんだもん」
「そんなことない!どうしていつもビーお兄ちゃんはそんなに意地悪なの!?ガナッシュお兄ちゃんに聞いたけど、好きな子ほど虐めたくなるって本当!?でも、私は意地悪されたくない!!もっと優しくして!!」
「ちょおおっとおお!!ガナッシュ君!!アンタなに無知のガキんちょに嘘八百を吹き込んでんの!?そうやっていつも面倒くさいことを俺に押し付けて自分だけいい思いしようってその魂胆が」
「あ~~!!うるさいうるさい!!お前らは黙ってさっさと乗ってろ!!」
大騒ぎのルノとビーグルをフラミンゴが無理やり汽車の中に押しやった。「ちょっとまって!!俺はガナッシュ君に文句を!!」抵抗するビーグルを容赦なくフラミンゴは殴り、強制的に扉を閉めた。
「・・・・すみません。躾がなってないもんで」
「相変わらずですね、フラミンゴさん」
ローウィンの前でフラミンゴは身体を小さくした。恥ずかしそうに顔を伏せる。
「おう、ロゼ!すぐまた来いよ!そのころには港も整備して好きなだけトロッコに乗せてやるからな!」
「やったあ!すぐ来ますね!」
「ロゼさん。これ、少しだけど私の部屋に飾っていたティーセットとか、カトラリー。可愛いかったから使わず飾っておいたの。私が眺めるよりロゼさんに使ってもらった方がこの子たちも喜ぶと思うわ。お店では使えないかもしれないけど、是非もらってほしいの」
「えっ!?いいんですか!?嬉しいです!!毎日使います!!」
ファルガとアネットの前でぴょんぴょん弾んでしまいそうになる身体を抑えられず上下に小刻みに揺れてしまうロゼを二人は笑った。「持てる?」アネットが中身を詰めた革トランクを持ち上げ、それをロゼが両手で受け取る。結構な重量だった。
「ロゼ、荷物は俺が持つから、ちゃんと挨拶しなさい」
ロゼが受け取ったトランクをフラミンゴが受け取り、被っていた帽子を取った。そして頭を下げて「色々とお世話になりました。微力ではありますが、私も出来うる限りの支援をさせていただきます。お困りの際にはすぐに駆け付けますので」まだ最後までしゃべっていないのに「や~めやめ。俺は堅苦しいのは嫌いなんだって」ファルガが無理に話を切った。
「またな!それだけでいいんだ」
「・・・はい。またお会いしましょう」
ファルガとフラミンゴががっしりと握手する。「ロゼさん」アネットに呼ばれ、ロゼはアネットと抱き合った。「また、すぐにでも会いましょうね」陽だまりのように温かいアネットの声。「はい。すぐ遊びに来ます」自然と口から滑り落ちるロゼの返事に、アネットが嬉しそうに笑う。
「僕もいいですか?」
アネットの後ろから笑顔のセバスチャンが顔を出す。セバスチャンが両手を広げると、ロゼは恥じらいもなくセバスチャンの胸に収まった。自分よりも小さいはずなのに、あるときからセバスチャンが大きく感じる。
「ロゼさんがこちらに来るか、僕がロゼさんに会いに行くのが早いか、競争ですね」
「絶対、私の方が早いと思いますよ」
「それはどうでしょうか。元気になった僕の行動力を甘く見ないでください」
ふふふ、とまた二人で笑いあった。ロゼもセバスチャンも一緒にいれば常に笑顔になる。ゆっくり身体を離したセバスチャンに淋しそうな素振りはなく、本当にすぐにでもお店に来そうな雰囲気だった。
「もう、セバスチャンったら、一体誰の影響を受けてるのかしら。仕事よりも遊びを優先にしようなんて、どこかの公爵家のお坊ちゃまのようだわ」
「誰だろうね」
腕を組んで膨れた顔のセレスティアと苦笑いを浮かべるガナッシュ。セレスティアは口を尖らせたままガナッシュにそっぽを向いて、目だけをロゼに寄越す。細められた目は睨んでいるようで、ロゼは目が泳いでしまい、つい目を逸らしてしまう。すると「ロゼさん」急にセレスティアに呼ばれ、ロゼは返事をすることもできず大きく肩を跳ねさせてセレスティアを見た。
「どうかお元気で」
「え、あ、はい。王女様も、お元気で?」
「なに?その疑問形」
「言葉遣いがあってるか・・・わからなくて」
目が泳ぐロゼはセレスティアをじっと見れず、ついつい隣に立つガナッシュを見ては助けを求めてしまう。それなのにガナッシュは何も言わずニコニコしているだけ。
「そんなの今更でしょ?貴女には散々失礼なことを言われたわ」
「・・・・すみません」
「あのときのことを許すつもりはないけど、でも、貴女といいポラリスさんといい、誰もが口にしなかったことをあえて私に言ってくれたこと、感謝してる。だから、そんなに萎縮することないわ」
目だけを寄越していたセレスティアが視線をそらす。誰もおらぬ、そっぽ向いたところを見つめ「私たちはきっと分かり合えない。・・・けど、いつか腹を割って話せたらいいわね」尻すぼみに言った。ロゼはやっぱりまた隣にいるガナッシュを見てしまう。ガナッシュは変わらず微笑んでいるだけ。全く助け船を出してくれない。
「・・・・・王女様、お酒飲みますか?」
「え?」
「・・・・・お酒を一緒に飲んだらお友達なんだってフラミンゴさんが」
「ちょ、ロゼ、急に俺の名前を」
「友達になる気はないわ」
ああ、やっぱり。ロゼは言葉には出さずに飲み込む。まとまらない会話にやっと入ってきたガナッシュが「いつかこっちで場をセッティングするよ」とセレスティアの肩をポンポンと叩いてロゼに近づいた。
「ロゼ、サンジェルさんとミラさんに謝っててくれる?散々引っ張りまわして、二人にはものすごく心配をかけたと思うんだ。謝罪は今度するから」
「そんな!私が帰りたがらなかっただけなんです!遊びすぎちゃって・・・サンジェルさんとミラさんに怒られるのは私だと思うので、ガナッシュさんは気にしないでください」
「安心しろ、ガナッシュ。俺が全て詳細に二人には説明しておく」
「フラミンゴさん・・・。そこはいつもみたいにファンタジーチックに」
「俺はいつも真実しか話してこなかった。そうだろ?ロゼ。俺の話はいつも面白かっただろ?」
「面白く、に悪意を感じるんですけど」
「さっ、しばしの別れだ。またロゼ連れてここに顔出すから、そんときゃよろしく」
フラミンゴがガナッシュの前に手を差し出した。「こちらこそ、よろしくお願いします」ガナッシュも手を差し出し握手を交わす。ロゼは身体を左右に揺らして自分はどうすべきかそわそわしていた。フラミンゴと同じように握手すべきか、それともアネットやセバスチャンのようにハグをすべきか。結局ロゼは両手を差し出した。だがガナッシュはロゼの両手には触れず頬を両手でそっと包み込んだ。
「気を付けて帰るんだよ。寄り道しないようにね」
「寄り道しまくったのはお前のせいなんだよ」
「俺がお店まで送って行ってもいいんですよ?」
「丁重にお断りさせてもらう。ついてくんな」
「ははは」
ガナッシュが笑う。楽しそうに。嬉しそうに。それなのに、どうしてかその顔を見れば胸が苦しくなる。急にさみしさがこみあげてくる。ロゼは頬に添えられたガナッシュの手に触れ「真っ直ぐ帰ります。また、すぐにでもここに来られるように」笑顔をつくったつもりだったが笑えた気がしなかった。頬に触れているガナッシュの手がそっと頬を撫でた。「うん。またすぐ会えるよ」そしてゆっくり手が離れていった。
「あのっ!・・・あのあの!またすぐ来ますからね!!」
汽車に乗り込み、窓から半身乗り出したロゼが必死に手を大きく振る。「危ないですよー」セバスチャンの忠告も聞かず走る汽車の風を浴びながらずっとずっと手を振り続けた。ずっとずっと見えなくなるまで。
「旅は道連れ世は情けってな。ロゼの初めての旅は楽しかったか?」
もう誰も見えなくなったのに、未だに窓から顔を出して汽車の後方を眺めているロゼにフラミンゴが訊ねた。ロゼは顔を車内に戻し「とっても楽しかった!」弾けんばかりの笑顔で言った。
次が最終話です。




