73.誓いと決意とその覚悟
「・・・・・・・・はあ?」
ビーグルは目の前に立っているルノに間の抜けた声を出した。「お前も船に乗るって?は?バカなの?」バカと言われてルノの頬が膨らむ。躊躇いなくビーグルの胸をバシッと平手で打った。
「ガナッシュお兄ちゃんに言われたの!ビーお兄ちゃんを助けておいでって!」
「はあああ?なんでこんな使いものにならなさそうなちび助を寄越すんだよ!?ってか助けって無理でしょ?お前に人を助けることできないでしょ?お前は人知れず人を殺してた恐ろしい魔女であって」
「む~~~~~ぅうう!!!!」
ルノがビーグルに掴みかかる。「おい、やめろって!騒いだらお頭にぶっ殺されるんだよ!」掴みかかるルノの背後に回りビーグルはルノの口を塞ぐ。「うっ、ぐっ!ぐおっ!やめっい!」口を塞がれようが肘打ちでビーグルの腹を殴り続けるルノ。「な~んで俺がこんなちび助に抱きつくみたいになってんのよ。ロゼちゃんに代わってよ」口を塞ぎながらルノの身体まで拘束したビーグルが「はあああぁ~」と深い溜め息をつく。ルノはまだ暴れ続けた。
「ちょっと、ガナッシュ君の子分!本気でコイツも連れて行けって?そんなにコイツのこと邪魔?」
「う゛~~~~~!!!!」
「君のためって言ってたけど。ルノと仲良いんだってね」
「良くないよ!俺はロゼちゃんと仲良くしてて、そこにコイツがついてきただけだし!」
「どうやらこの子はロゼさんとディオ以外のいうことをちゃんときかないっぽいんだよね。フラミンゴさんもいないし。アネット様が面倒みるって言ったんだけど、すぐ脱走してロゼさんに引っ付いちゃって、さすがにディオも一緒には連れてはいけないと。だから君に面倒みてほしいって」
「ほ~ら!結局邪魔なんじゃん!」
「いだあっ!!」ルノがビーグルの手のひらに噛みつく。それでもビーグルはルノから手を離さなかった。
「ああ、もう、本当にやめてほしい。ただでさえ俺はEの連中と全然上手くやれてないし、しかもこの船、アーノルドさんもブラッドさんも乗るんだよ?それなのにこの悪ガキまで一緒になっちゃったら、俺、本気で立場ないというか」
「元々ないでしょ」
「それを言わないで」
「はあああああ・・・。」深い溜め息と共にビーグルはルノを手放し、その場に蹲った。「ご苦労さん」慰めにもならないローウィンの言葉。ビーグルと同じように蹲り、励ますように肩をポンポンと二度叩いた。
「アンタじゃダメなの?絶対このちびよりアンタの方が有能でしょ?」
「ひどい!」
「悪いけど僕はここに残る必要があるんだ。国のトップと幹部がみんな出払ってしまうなか、アネット様ひとり残すわけにはいかないから」
「だったら俺一人でいいって。ちび預かっててよ」
「それをルノが望まない」
「望まないからって許さないでよ。俺が乗る船はマフィアの船だよ?マフィア知ってる?裏の組織に属する怖い人たちだよ?」
「知ってる。だからだ」
「はあ?頭イカレてんの?」
ビーグルはぶつくされた顔でローウィンを見上げた。ローウィンはビーグルから視線を外し目を伏せている。
「ルノはディオから大事な荷物を預かってる。それは自分たちの船じゃなくマフィアの船で運んでほしいんだって」
「なんのために?」
「そこまでは聞いてない。とにかく無事現地ま送ってくれ。ルノも荷物も。そのための君だ。頼んだよ」
ローウィンはまたビーグルの肩を叩く。そして立ち上がると今度はルノの頭を撫でた。「怒っちゃダメだよ?ルノを守ってくれるワンちゃんのいうことをしっかり聞いてね」頭を撫でられて嬉しそうなルノが緩む口元を両手で覆いながら頷いた。
「ビーお兄ちゃん。私もロゼちゃんみたいに聖女様になりたいの。だから頑張るね」
「無理だよ、無理。お前には絶対無理。ロゼちゃんと代われ」
「も゛おおおおおお!!」
ルノは抱きつくようにビーグルに飛びかかる。蹲っていたビーグルは見事後方にごろんと転がり「いでっ!」豪快に地面に頭をぶつけていた。
「・・・・思っていた仲の良さではないけど、まあ、いいか」
ローウィンはビーグルに気づかれないように、静かに笑った。
**
ロゼは足に包帯を巻きながら歩く練習をしていた。歩けないことはないが、薄い皮膚は赤い筋肉を透かしており、動かせば突っ張り、無理して引っ張ればプチと裂けたような音がする。特に薄い足の裏の皮膚は剥けてしまえば激痛が走る。かかとが痛いのなら爪先で、と爪先立ちになろうとすると「危ない」とガナッシュに身体を支えられた。
「無理して歩かないでって」
「でも、ずっと誰かのお世話になるのも」
「たまにはお世話されてなさい」
ロゼはすぐ車椅子に座らされた。お尻が痛いのでクッションを敷いてもらっている。
「ロゼ、これだけは約束しよう?」
「なんですか?」
「ムシュンドゥル国に着いて、向こうの王様との謁見になったら、さすがに俺も父さんもロゼを抱っこするわけにいかない。それまでに足を治せるように、向こうに着くまでは絶対に無理をしないで」
「・・・・・。」
「いい?」
「・・・・はい」
納得いかない顔で頬を膨らませたロゼ。その膨らんだ頬をガナッシュが潰した。「むくれないよ」頬を潰して親指で頬をなぞる。
「ロゼ、顔が疲れてるな。頑張り過ぎちゃったね」
「そんなことないです。ルノちゃんにも手伝ってもらいましたから。・・・ルノちゃんはビーグルさんのところに行ったんですか?」
「うん」
「大丈夫なんですか?たしか、ビーグルさんは元上司であるマフィアのところにって」
「大丈夫かどうかはビーグル次第だけど、ビーグルだってルノがいる以上無茶なことはやらないと思う。それだけでビーグルの生存率は上がる」
「え?」
「アドベントはランサーの指示で俺たちネラルクに関係する人には手を出さないと思う。けど、ビーグルだけは別だ。アイツは元組員だから、どちらかというとこれを機に消される可能性がある。無謀な作戦で身投げさせられるのも十分あり得るし、肉壁として利用されることもあり得る。その歯止めになるのがルノ。恐ろしい元上司のいうことをきくしかない弱い立場のビーグルの支えになるのは唯一の仲間であるルノの存在だと思う。ルノはビーグルの無茶を止めてくれるだろうし、ビーグルはルノを絶対に守らなきゃいけないって使命感が生まれるはずだから、その相乗効果を狙ってる」
きょとんと目を丸くしているロゼにガナッシュが微笑んだ。だが顔は完全に引き攣っている。「本当はこんな危険なことはしたくない。もしもを考えればキリがないし、誰も危険な目にあわせたくない。犠牲だなんてもってのほかだ。けど、俺は、絶対にこの賭けに勝つ。勝たなければいけない。その勝負を仲間に託したんだ」戸惑いながらも言葉には力が篭っている。強く強く自分に言い聞かせるように言葉に力を込める。ロゼも小さく笑っては大きく頷いた。
「ルノちゃんとビーグルさんは仲良しなんで大丈夫だと思います」
「あの仲良しは少し意味が違うけどね」
強張ったガナッシュの表情が少し緩んだ。
「そうだロゼ、お願いがあるんだけど、ちょっといいかな」
ガナッシュは車椅子に座るロゼから離れて、部屋の隅に置いてあった行商箪笥に手をかける。取っ手を掴みゴロゴロ転がしてロゼの車椅子の隣に立てたら、ポケットから小さな箱を取り出した。「金は嫌だって何度も言ったのに、彫金師が全然引いてくれなくてさ。根負けしちゃったよ」ガナッシュが箱を開けると、その中にはゴールドの丸玉ピアスが一つだけ入っていた。
「ピアス?」
「そう。ロゼだけ耳に穴開けさせて、自分が開けてないこと、ずっと気にしてたんだよね」
「でも、嫌だって、今」
「それは素材のこと。金って嫌でも目立つから」
「だからネックレスも服の中に隠してるんですか?」
「うーん、これは色んな理由があるけど、まあ、そういうことかな」
ロゼはピアスを差し出したまま動かないガナッシュを見上げた。「もしかして、私が開けるんですか?」大きく口を動かさずボソッと呟く。「いや、自分で開けるよ。でも、道具を持ってないから貸してほしい」そういってピアスの入った小箱をロゼの膝の上に置いた。
「ピカピカして・・きれい」
「こっちの意見を全く汲み取ってくれないんだよね。目立ちたくないってあれほど」
「ガナッシュさんはいつも控えめですからね。それで周りの人たちが色々と世話を焼きたくなる気持ちはなんとなくわかる気がします」
「いらないんだけどな、そういうの」
「きっと似合いますよ。ゴールドって不思議ですよね。見てるだけで心が弾んじゃうというか」
「交換する?」
「え?」
「前にゴールドの装飾品欲しがってたよね。フラミンゴさんが買ってあげるって言ったら、すごく喜んでた」
「あ、あれは」
「プレゼントするならもっと違う形でしたいけど、ロゼの嬉しそうな顔見てたら俺よりロゼの方が似合うんじゃないかって」
ガナッシュがロゼの右耳に手を伸ばす。今までも何度も撫でられたピアス。これもガナッシュからもらったものだ。
そういえば、元々開いていない耳に急に穴を開けたのはどうしてだったっけ。緩んだ表情で耳とピアスを撫でるガナッシュの顔を見ながら遠い記憶をさかのぼる。確か、ガナッシュから預かっていたネックレスを奪われてすぐのことだ。セレスティアから平手打ちされ、罵声を浴びせられ、無理やりガナッシュとの仲を引き裂かれそうになったあのとき、少しでもガナッシュの心に寄り添いたいと思ったからだ。たとえ身分が違っても、離れていても、ずっと仲間だと安心してほしかったからだ。
今までピアスを見ていたガナッシュと目が合った。その視線にドキッと心臓が大きく脈打って身体が震える。ぶわっと顔が熱くなり目が潤んだ。そんなロゼの顔を見て「なんで照れたの?」ガナッシュがくすくす笑う。ロゼは顔を横に振って耳に触れていたガナッシュの手を振り払った。
「こっ、ここ交換は、しなくていいです!!」
「え?なんで?」
戸惑いよりもガナッシュは笑いを抑えられずにいる。
「だっ、だって!これも!ガナッシュさんから!もらったものだし!それにっ!あのときの、私の、誓いでもありますからっ!」
「誓い?」
「お、おしえませんっ!」
「なんでよ」
ガナッシュは肩を小刻みに揺らしながら笑っている。ロゼは両手で右耳を隠しながら顔を真っ赤にして俯いた。ピアスを開けたときはもうさよならだと思ったから、せめて心は繋がっていられるように、それを形にできるように、伝わるように、そんな気持ちが強くあった。ずっとずっとガナッシュのことは心の中にあると、想い続けると胸に誓ったようなものだった。
そんな想いの篭ったピアスを渡すのも、いままで肌身離さずつけていたものを、今度はガナッシュが耳につけると想像するだけで恥ずかしくなった。絶対に顔が見られなくなると思った。ロゼは耳に触れる手に力が入る。「ロゼ、耳が引きちぎれそう」耳に触れる手にガナッシュの手が重なるともう息すらもできなくなる。
「わかった。交換は諦める」
触れた手はすぐ離れ、そしてガナッシュも離れていった。「鏡、鏡」と鏡台のない部屋で鏡を探している。ガナッシュさん!私、鏡持ってます!と息を止めているロゼは声が出せなかった。
「そういえばロゼは自分で穴開けたんだよね?どうやって・・・。」
「・・・・・・。」
「ロゼ、息しよう?息。酸欠で倒れちゃうよ?」
くすくす笑いながら離れたガナッシュが戻ってくる。ロゼの前で腰を曲げて顔を覗き込んできたと思えば、曲げた人差し指で顎をそっと撫で、深呼吸させるように顔を上下に動かす。「すーはー」言葉でも促す。その姿が恥ずかしさよりも面白さが勝って「・・ぷっ。くく」笑いがこみ上げてきた。
「やっと笑った。ロゼは条件反射ですぐ力んじゃって息止めるからね」
「だ、だって」
「なんでかな?俺のこと嫌いなのかな?」
「嫌いなんかじゃ!」
思わず声を荒げた。嫌いなはずがない。そしてそれをガナッシュだってわかってる。だから顔が笑ってる。「いちいち反応が可愛いな。からかってごめんね」そっと頭を撫でられた。ガナッシュにからかわれるのも、心を乱されるのも、なんだか懐かしい感じがする。出会ったばかりの頃はよくガナッシュに遊ばれていた。からかわれるのも、優しくされるのも、好意を向けられることも、全てが嬉しかった。けど、この気持ちは親愛であって恋愛じゃない。そう教えてくれたのがビーグルだ。
ロゼは大きく大きく深呼吸をして跳ね続ける心臓を落ち着かせる。親愛親愛親愛、頭に叩き込むようにゴンゴンゴンと両手でおでこを叩いた。
「ガナッシュさん、座ってください。私がやりますよ」
「いや、開けるのは俺が」
ガナッシュの返事を待たず、ロゼは車椅子から降りて床に座った。そして以前、自分でピアスホールを開けたように行商箪笥を机代わりにして一式の道具を並べる。「サイズは・・」ガナッシュのピアスのサイズに合う針を探していると、行商箪笥を挟むようにではなく、ロゼの隣にガナッシュが腰を下ろした。
「ガナッシュさん、麻酔打ってもいいですか?」
「ロゼはしたの?麻酔」
「え?いえ、私は麻酔効きにくいので」
「なら俺もしないどく」
「でも」
「しない」
駄々を捏ねる子供のように顔をぷいっと横に逸らした。
「痛いですよ?だって針を貫通させるんですから」
「ロゼだって我慢したんでしょ?」
「私は勢いだったので」
「なんといわれようと絶対にしない」
あまりの頑固ぶりに思わず小さく吹き出した。ジロと目を細めたガナッシュが目線だけを寄越す。睨んでいるようで口元は上がっている。
「ロゼ、道具だけ用意して。開けるのは自分でするから」
「そうですか?」
「うん、自分でしたいんだ」
机代わりの行商箪笥に並べられた道具の中から鏡を取ってガナッシュは耳を確認する。「左?」ガナッシュが左耳を見ているので、針やピアスを消毒しているロゼが首を傾げながら訊ねた。
「そうだけど。・・・ん?」
「ん?」
「ロゼはどうして右耳に開けたの?」
「え?なんとなく」
「なんとなく?」
「ダメなんですか?」
「・・・いや?知っててやってたのかなって思ってたから。ま、いいんだけど」
「なにか意味があるんですか?」
「いつか教えるよ。今教えるのもったいない」
ガナッシュは持っていた鏡をロゼに渡す。「持っててくれる?」穏やかな表情で訊ねた。ロゼは頷き「でも、見ないでおきます。怖いので」そういうとガナッシュが笑った。「自分でも開けたのに」自分でやるのと人のを見るのは違うのだ。
ロゼは目を瞑り両手で小さな手鏡を持つ。腕に力を入れて動かさないように身を固くする。衣擦れの音しかせず、穴を開けたのかまだなのか全くわからない。暫くして「もういいよ」と何事もなかったようないつもどおりのガナッシュの声がして目を開けると、目の前に平然としたガナッシュの顔、そして左耳からは一筋の血が垂れている。ロゼは慌てて膝立ちになり布をガナッシュの左耳に当てた。
「ガナッシュさん、血!止めなきゃダメですよ!」
「あ、ごめんごめん」
ロゼはガナッシュの左耳に触れながら「痛くないですか?」恐る恐る訊ねる。「痛くないよ」ガナッシュは落ち着いた声で言う。痛そうなそぶり一つ見せないところを見ると、やせ我慢しているようではないらしい。それよりもどこか嬉しそうだ。
「ロゼ、膝立ち痛くない?」
「痛くないですよ」
「血は?止まった?」
ガナッシュに言われて耳に当てていた布をそっと離す。耳に顔を近づけて出血がもうないか確認した。じんわりと溢れてくる血はないように見える。
「血は・・・止まったかも・・・」
見ていたのは開けたばかりのピアスホールだった。そればかりを見ていて一瞬何が起きたのかわからなかった。目の前に何かがある。距離が近すぎてピントが合わない。ガナッシュの匂いが近くなったことも、口に触れている温もりに気づいたのも、それなりに時差がある。
「・・・・ごめん、顔がぶつかった」
目の前にあった顔が離れていってようやくピントが合う。ガナッシュが眉も目も垂らして微笑んでいた。ロゼは思考が完全に停止していて、何も考えられない頭の中、目だけがガナッシュを追う。ガナッシュはそんなロゼを気にすることなくゴールドのピアスを装着した。
「つけてみたら案外目立たないな。よかった」
「・・・・・・。」
「ロゼ、どう?派手に着飾る嫌らしい貴族には見えない?」
ロゼは目だけは動くが無反応。「ロゼ」笑顔のままガナッシュが顔を近づける。そっと頬に触れるとロゼの身体が大きく跳ねて後ろに倒れそうになった。「おおっと」慌ててガナッシュが支えると
「ままままばばばばばばだゃ!!」
「なになに?」
「ガガガナガナざざざざっ」
ロゼは震える口を強制的に手で押さえた。今度は手も震えだし、全身が震えだす。それなのにガナッシュは「なに?なんて言ってるの?」と笑いながら聞いてくる。反応を楽しむように。
「ロゼ、俺も誓いを立てたよ。絶対に守り抜く。ロゼも、みんなも」
「・・・・・・。」
「ピアスの意味は今度教える。そのときロゼの立てた誓いも教えてくれるといいな」
ロゼはガナッシュの目と左耳で輝くピアスを交互に見る。触れ合った唇の感触を思い出しそうになってまた身体が震える。ロゼは手で口を覆いながら大きく呼吸をして、小さく小さく頷いた。




