72.もうひとつの戦場
汽車がゴトゴトと上下に揺れるたびに、命が少しずつ削られ消えていくような感覚でフラミンゴは顔を蒼褪めさせた。目の前にいるセバスチャンは表情一つ変えず、じっと足の爪先を見つめている。フラミンゴはそんなセバスチャンから目が離せなかった。
「フラミンゴさん」
急にセバスチャンの口から自分の名前が零れ落ちてフラミンゴはひゅっと息を飲んで返事すらできなかった。
「あなたまで巻き込んでしまい申し訳ございません」
「いいいい、いっ、いえっ!」
「やはり、断るべきだったのかもしれません。これは僕たちの問題であって、フラミンゴさんには何も関係ないのですから」
「いっい、いえっ!?」
フラミンゴの声が裏返る。ずっと自分の足しか見ていなかったセバスチャンが顔を上げた。色白というよりは蒼白で、目の下に薄っすら見えるのは寝不足によるクマか、それとも疲労から目が凹んでできた影か。
「・・・殿下。少し、休まれては・・いかがでしょうか」
「・・・フラミンゴさんのその口調。なんか癇に障りますね」
「うえっ!?」
「冗談ですよ。でも、できれば普通に喋っていただきたいです。僕は今、心が一人ぼっちなので。これ以上、距離を取られたくありません」
セバスチャンが目を伏せる。目の下にだけ影があるかと思えば、目の周り全体が黒っぽい。セバスチャンはかなり疲弊している。
心が一人ぼっちとはどういうことだろうか。フラミンゴは黙って思考を巡らせる。ぐるぐると巡らせてもセバスチャンの考えることなどわからない。顔色を窺っても、言葉のひとつひとつ拾っても、セバスチャンの心の叫びが聞こえない。
「・・・えーと、では、セバスチャン様」
「様もいりませんけど」
「いえ!そこはせめてお許しください!」
「・・・仕方ありません。で、なんですか?」
「セバスチャン様はおいくつであられますか?」
「九です」
「きゅう!!?」
「今年で十ですね」
セバスチャンは目を伏せたまま力なく笑う。それをフラミンゴが目も口も大きく開けて眺めた。セバスチャンのおおよその年齢は知っていたが、事実として知らされると驚きを隠せない。まだまだ子供のセバスチャンから醸し出される貫禄のようなものは、とても九歳のものとは思えない。
「ロゼさんはおいくつなんですか?」
「ロゼは・・・、そうですねぇ」
「わからないんですか?」
「ええっと、ロゼは生まれた年がわからんもんで。似たような子と比べれば十三とか四といったところですかね」
「なら僕の方が年が近いですね」
「え?」
「絶対ディオより僕の方がロゼさんと仲良くできますし、実際に仲が良いと思います。ファルガ大公にもそう言われたし」
「フラミンゴさんもそう思いませんか?」伏せていた目をパチっと開き、フラミンゴの顔を覗き込んできたセバスチャンに、フラミンゴは慌てて頷く。何度も頷く。「フラミンゴさんからもお墨付きもらっちゃいました」さっきまで力なく空気が抜けたように微笑むだけだったのに、セバスチャンが嬉しそうに笑った。
「いつもロゼが迷惑かけてすみません」
「とんでもないです。いつも相手をしてくれて嬉しいのは僕の方ですから」
「ロゼは・・・あの・・・えっと」
「ロゼさん、僕のお嫁さんになってくれないかなぁ」
「ぶぶっ!!」
フラミンゴが吹き出す。上半身が前に飛ぶほど盛大に吹き出した。「ふふ、驚かせましたか?心配しないでください。結婚は僕の意思だけではできませんから。これだから王子なんて邪魔なんですよ」そう言ってセバスチャンが窓際に凭れ掛かって身体を預ける。
「けど、今は、王子という立場があってよかったとも思います。聞き入れてもらえなかったとしても、僕は父上に口を出す権利がある」
「セバスチャン様・・・。」
「許せませんよ。人質の交換だなんて。姉上を取り返したらその腹いせに戦争を始めるだなんて。いくら家族といえど、その判断には賛同できない」
ゴツと窓枠にセバスチャンは頭をぶつけた。フラミンゴはかける言葉を必死に探し、思考をぐるぐると回しながら目も回りそうになる。
「兄上はファルガ大公の案を正しく父上に伝えないと思います。きっと僕の前ではファルガ大公の意向に沿う形を見せながら、秘密裏に出兵の準備をするでしょう。そこを止めなければならないのに、ずっと部屋で臥せっていた僕には一人の配下もいません。それでいいって思っていた部分もあるんですけど、こんなことになるなんて」
はあ、と吐いた息が窓を白く曇らせた。「自分の考えをぶつけるだけというのは兄上と同じで、ただの自分本位でしかありません。人を動かすには、大きな流れを止めるには、一体どうしたら・・・。」黙ったセバスチャンは顔を隠すように身体を丸めた。窓を曇らせた白い膜が消えていく。
「前にカロッチャ島で出会った学者がロゼに言った言葉があるんですけど」
「え?」
「噴火を予言した聖女の言葉を聞いて、ロゼが島にいる人全員にそれを知らせようとしたとき、私もポラリスばあさんもそれを止めまして」
「聞きました。帰ったと思ったロゼさんと蒸気船と共に現れたディオに救われたと」
「そのときロゼと行動を共にする学者がロゼに言ったようです。人の心を動かす裏には恐怖心を植え付けるのが手っ取り早い、と」
丸まった背中を伸ばしたセバスチャンがゆっくりフラミンゴを見上げる。「魔女を糾弾したマーカスさんも同じようなことをしようとしました。やり方は正しいものではないのかもしれませんが、もしかすると、そうすることでしか叶わない理想もあるのかもしれません」苦笑いを浮かべながら穏やかに語るフラミンゴをセバスチャンは射貫くような真剣な眼差しで見ていた。
「とはいえ、そんなセバスチャン様はあまり見たくないといいますか」
「いいえ、もっと聞かせてください」
「・・・え?」
「僕は理想を夢で終わらせる気はありません。手が届くなら手に入れたい。それが正攻法でなくとも意地汚くとも」
これが齢九つの言うことだろうか。
フラミンゴは瞬きをすることすらも恐れ、その場に固まってしまった。
**
ボワイア国に到着すると汽車から馬車に乗り換えることになる。パレードで使用した豪勢な馬車ではないとはいえ、さすがに王室専用馬車にまで平民の自分が乗るわけにはいかないとフラミンゴは乗車を拒否したが、それをセバスチャンが許さない。セバスチャンの怒ったような、悲しそうな顔を見るたびフラミンゴは胸と喉が苦しくなって、それ以上の言葉がでなかった。そして一緒に馬車に乗車する。
汽車では別室だったゼイザック。さすがに馬車は一緒なのではないかと思ったが、ゼイザックは馬車ではなく馬に乗って騎士団のメンバーと先に城へと馬を走らせた。「ほら、思った通りです。僕に話を聞かれる前に父上と話をしにいきました。僕が兄上の意見に反対ばかりしているから、先に自分が父上の賛同を得て事を無理に進めようという魂胆ですよ」セバスチャンは小さく笑んで息を吐くが、目は虚ろだった。
「でしたら真正面からぶつかるのはお止めになった方がいいかもしれませんね」
「やはり・・・そうですよね。僕は自分の正義感だけで動くわけにはいかない。この問題を自己満足だけで終わらせるわけにはいかないのですから」
「・・・・・セバスチャン様、ガナッシュに似てきましたな」
「え?」
「いや、似てきたというか、元々通ずる部分が多いのでしょうね。思考というか顔つきが似てるときがあります」
フラミンゴはセバスチャンから目を逸らさず柔らかく笑う。セバスチャンは微笑すら忘れ、目を丸くしたまま動きを止めた。吸った息をゆっくり吐き出すと「以前、ロゼさんにも言われたことがありますが、もし、そうであるなら素直に嬉しいです。だって、今のディオは僕の憧れであり、僕の欲しいものを全て持っている」セバスチャンが淋しそうに目を伏せて自嘲するように笑みを浮かべた。
「アイツは色々なものを持っているかもしれませんが、使い方がヘタクソな気がしますねぇ。ま、その不器用さがアイツの愛嬌といいますか、そこが人を惹き付ける魅力といいますか、本人としては不本意なんでしょうけど、周りからしてみれば可愛い奴ですよ」
「・・・わかりますよ。憎めない人なんですよね」
「アイツがディオでいる姿を私は知りません。大公爵正統後継者としてのアイツを。なので憶測ですが、ガナッシュとして知らない世界で大いに恥をかき、弱さを見せる羽目になったことがアイツ自身の成長に繋がったのかもしれません」
「・・・なら僕も旅に出れば、よりもっとディオに近づけるでしょうか」
セバスチャンの問いにフラミンゴは首を左右に振る。「え?」戸惑いながらセバスチャンの首が傾いた。
「旅は見聞を広げるための一部でしかありません。若いうちは沢山間違えて、失敗して、恥をかけばいいんです。その経験が大人になったときに必ず活きます。その経験を活かすときは必ず来ます」
「フラミンゴさん・・・。」
「この世に正解なんてないんです。基準で正解が用意されているだけです。私たちはセバスチャン様の心意気を知っていますから、たとえ間違っても失敗しても見損なったりしませんよ」
フラミンゴは敢えてセバスチャンから目を逸らした。カーテンで中が見えないようにされているため窓に顔を向けても外の景色は見えない。けれど、弱さを見せたがらないセバスチャンを見つめることはできなかった。セバスチャンは黙ったまま何も言わない。
「交渉ってのは攻めの姿勢も大事ですが、引く潔さも重要になってきます。相手に呑まれることなく、自分の確固たる意志を持って、冷静に、広く、深く、細部まで考えを巡らせるには軸を一つ持つことが重要ですね。これだけは譲れないというものを一つだけ。あれもこれもと欲を出すと矛盾が生じてしまいますから一つだけ」
セバスチャンは何も言わず、フラミンゴの言葉に耳を傾けるだけだった。時折大きく息を吸い、何かを堪える様子を見せるが、敢えてフラミンゴもセバスチャンも視線を外していた。
**
城に着いたときは、もう時すでに遅し。玉座には国王ゼネフ。その隣に並ぶ王太子ゼイザック。下には一から十三まである軍隊の各隊長が並び、陸軍司令官、海軍司令官、さらに軍部統括部長に指令を下している最中だった。フラミンゴは勿論部屋に入れず、扉の外で兵士に取り囲まれた。第二王子であるセバスチャンだけが、そっと広間に通される。
「よいか、皆の者。各国境に配備されている警備をより強固なものとしつつ、それ以外の兵士を全て東の国に進軍させる。船は全て出せ。武器も全て乗せるのだ」
「はっ!」
「ネラルク大公国のファルガにセレスティアの保護を最優先とさせている。到着しても迂闊に攻撃はするな。セレスティアの無事を確認したのち、攻撃の指示を下す」
「はっ!」
セバスチャンは軍の幹部たちの横を通り過ぎ、ゼイザックに並ぼうとしたが、それをやめる。軍の統括部長エルアドの横に並ぶと、エルアドは驚いた顔をしたが、セバスチャンはそれを無視した。
「父上、向こうは内輪揉めをしているようです。そこに他国まで干渉してきている。ファルガ大公は交渉にとても慎重であるが故にセレスティアのことを後回しに考えているようにも窺えます。ならば我々が先に攻撃をしかけ、聖女を攫った罰を受けてもらい、ファルガ大公の交渉を優位にする手助けをした方が良いのではないかと私は考えますが」
ゼイザックの言葉にセバスチャンは顔を歪めそうになる。ファルガからそんな指示は出ていない。国王ゼネフの参戦を止めろと言われたのに、こうも手のひらを返すのか。セバスチャンはグッと強く握りこぶしをつくる。
「セレスティアの無事は何よりも優先すべきことだが、異国の地で特攻をしかけるのは感心せん。まずは人質の交換。そのためのファルガだ。セレスティアの身柄を引き取った後に攻撃に移る。こちらは遠征であるが故に兵士も弾薬も食料も限られておるだろ。最小限かつ確実に仕留めるやり方をせねばならぬ」
仕留めるってなんだ。何が目的でムシュンドゥル国を攻めるのだ。報復とは名ばかりでただの腹いせにすぎないのに。セバスチャンはそっと目を閉じる。
「細かい指示は追って出す。まず、皆に伝えたいことは、これは東の国から我々が受けた挑発であるということ。わざわざ西の国にまで乗り込み、聖女と謳われるセレスティアを拉致し、その身代金を要求する。この傍若無人な振る舞いを我々は決して許してはならぬ。それを皆、肝に銘じるのだ!」
「はっ!」
身代金?そんなものは要求されていない。向こうは本物の聖女を要求してきたのだ。だが、それをゼネフもゼイザックも言えるわけがない。それを言ってしまえば、セレスティアが聖女というのは嘘だと言うのと同じことだからだ。セバスチャンは黙ったまま静かに二人のやり取りを聞く。
どこで口を出すか。タイミングが掴めない。言葉選びも慎重にしなければ、この広間には軍に従ずる者が数多いる。下手なことを言えば取り押さえられかねないし、発言も許されなくなるだろう。セバスチャンは貧乏ゆすりをするように小さく身体を揺らした。「・・・セバスチャン殿下?」小声で声をかけられた。隣にいる統括部長エルアドだ。
「何か、仰りたいことがあるのではないですか?」
「あるにはあるんですけど」
「王命とあれば背くわけにはいきませんが、これは所謂侵略、ということですよね?どうしてボワイアがそんなことを」
エルアドも表情を変えず、聞き取りにくい小声でそっとセバスチャンに呟く。セバスチャンも下手に反応せず、顔を少し俯かせたままおもむろに動いたりしない。
「エルアドさん、お願いがあります。後で僕の話を聞いてくれませんか。僕は、父とも兄とも別の意見です。そして僕は大事な勅命をファルガ大公から受けてます。それを正しく伝える義務が僕にはある」
「・・・はい。仰せのままに」
頷くこともできないエルアドは言葉だけを落とす。セバスチャンはゼネフとゼイザックに何も言い返さぬまま、その場を後にしようとしたが扉の向こうが何やら慌ただしい。慌ただしい扉の向こうから一人の衛兵が広間に入ってきて中の衛兵に何かを伝える。「どうした?」ゼイザックが遠くから衛兵に訊ねた。
「ゼイザック王太子殿下の知人だと名乗る怪しい者を取り押さえたとのこと。急ぎ取り次げと、アドベントのランサーと言えばわかると、そのように申しているようです」
「ランサー・・・アイツか」
ゼイザックがゼネフに顔を向けた。「知人ではありませんが、裏の顔が利く人物です。少し、離席致します」ゼネフから離れ扉に向かうゼイザックの後ろを追うようにセバスチャンが並んだ。その手は統括部長エルアドの腕を掴んでいる。広間はざわめき始めたが、そんなの関係なしとセバスチャンはエルアドの手を離さない。
「いやぁ、話が分かる方ばかりで助かりますよ。ご挨拶に牢にぶち込まれると思ってたんでね」
相変わらず物怖じしない話し方のランサー。もちろんその言葉遣いにゼイザックは眉を吊り上げる。かなり不服そうだ。
「フラミンゴさん」
「セバスチャン様、すみません。どっから入ってきたのか。しかも強引に話し合いに参加しようとするので」
広間の外にいたフラミンゴにセバスチャンが駆け寄る。エルアドを連れて。状況がよくわかっていないフラミンゴとエルアドは困惑しながら互いを見やった。
「何用だ?お前はディオの指示によりムシュンドゥル国に型落ち品の武器提供をする手筈だろう」
「そんなものは部下にやらせておけばいいんですよ。私の部下は優秀ですので。それよりも王太子殿下。一つご相談が」
「なんだ?」
「東の国の諍いが泥沼化していることで、武器の注文が天井知らずの状態でしてね。売れに売れて生産も追いつかなくなるほどのもんですから、このままでは新規の注文を受けられなくなるという懸念がありまして」
「どういうことだ?」
「どれだけネラルク大公国の大公爵殿下に止められようと、ボワイア国は東の国に乗り込む気ですよね。もしそうなった場合、西の国で武器を生産、販売している分が全て東に流れているこの状況で軍の強化はかなり厳しいかと」
ゼイザックの顔色が変わった。眉を吊り上げ目を細めてはランサーを見下すような様子を見せていたのに、身体に力が入り前傾姿勢になる。たまらずセバスチャンがゼイザックとランサーの間に入った。
「僕たちは争いを仕掛けるようなことをするつもりはありません。ですからあなた方から武器を購入するつもりもありません」
「そうですか。私の取り越し苦労だったようですね」
「ま、まて!西側の武器を東側に流してるということは、もし、東側がこちらを攻めてきたとき、こちら側に武器の提供はできないということか?」
「さすがは王太子殿下。察しがいい。そうですよ。今私たちは東側に武器をガンガン流してますからね。表で売られているもの、闇取引されているもの、その全てが東側に流れています。ということは?少ない戦力でうっかり東側にちょっかい出せば反撃を食らうのは西側かもしれませんねぇ」
ククッと喉の奥で笑うランサーを見るゼイザックの顔が歪んでいく。「ふざけたことを言うな。西側の武器が全て東側に流れる?そんなことをお前たちがするわけないだろう」厳しい声で言い放ったのはフラミンゴ。いつもの穏やかな顔からは想像もつかぬほど、目も眉も吊り上げたフラミンゴが、涼しい顔でにやけているランサーを睨みつける。
「あなたは商人ですよね?商人ならわかるはずです。売れるときに売る。出し渋りは絶対にしない。そういうもんでしょう?」
「だからといって西の人間が東の人間に肩入れするとは思えん。だからこうやってこちらにも武器の購入を勧めるんだろう?お前たちマフィアにとって国同士の諍いなどどうだっていい。自分の組織が絶対だ。が故に、中立の立場であることを強調する。共倒れを防ぐために」
「だから話を持ってきたと言ってるんじゃないですか。私は東にだけいい顔をするつもりはありませんよ?本拠地は西ですしね」
ランサーの笑みは崩れない。表情も態度も変えずにぬるぬると言葉を滑らせて自分の言い分だけを告げる。
「・・・既に東側にはどれだけの武器を売ったんだ?」
渋い声でゼイザックがランサーに訊ねた。「説明は難しいですねぇ。先ほども説明した通り、受注は天井知らずなんですよ。今は一国に留まらず二つ三つと相手にしていますが、これだけで終わるとはとても」ふっと笑いを混ぜながらランサーが告げた。「三国だと!?ムシュンドゥル国だけじゃないのか!?」ゼイザックとランサーの間に入っていたセバスチャンをゼイザックが乱暴に押しのけた。身体の小さいセバスチャンが突き飛ばされると、受け止めるようにそれを支えたエルアド。難しい顔でセバスチャンとゼイザックを交互に見た。
「今は隣国同士で争っていますが、大陸を飛び出して西側を攻める可能性がないとは言い切れませんよね。たとえファルガ大公の交渉が成功したとしても無傷で終わることはないでしょう。交渉というのはそういうものです。それに、あのババアの言ったことを覚えておられますか?ネラルク大公国が戦禍に巻き込まれると。ということは、東国は必ず攻めてきます。海に面したネラルク大公国を介してここボワイア国までね」
「勝手なことを言わないでください!僕たちは軍事国家です!東の軍勢など脅威ではありません!ネラルク大公国への侵入だって許しません!僕たちが負けるはずないじゃないですか!」
エルアドに支えながらもセバスチャンが必死に声を上げる。「もし攻めてくるのなら返り討ちにしてやります!僕たちは強い!ボワイア軍は最強です!」普段、過激な発言をしないセバスチャンが噛みつくように声を荒げる姿を驚いた顔で見ていたのはゼイザック、そして軍統括部長のエルアド両名。フラミンゴはランサーを睨みつけながら大きく頷いていた。
「今すぐここを立ち去ってください!僕たちの強さを今に見せつけてやります!」
「・・・やめろセバスチャン!お前は口を挟むな!」
「兄上!?どうしてですか!?こうも国をバカにされて黙っているなんて兄上らしくもない!」
「いいから黙っていろ!!」
目をかっぴらき口を大きく開けてゼイザックが叫んだ。セバスチャンはぐっと息を飲む。セバスチャンの肩を支えるエルアドの手に力が篭った。
「父上に話を通してくる。そのまま待っていろ」
「はい」
「兄上!!」
「私たちに敗北も撤退も許されぬ。確実な勝利をものにするためにはとにかく数が必要だ。兵も武器も」
ゼイザックが踵を返しゼネフの元へと戻っていく。ランサーはお辞儀をして「毎度ありがとうございます」と笑った。
「・・・・扉を閉めてください」
「はい?」
「扉を閉めろと言ったんです」
厳しく冷たいセバスチャンの声に驚いた衛兵が慌てて扉を閉める。廊下に残ったままの四人。セバスチャン、ランサー、フラミンゴ、エルアドの四人は黙ったまま。沈黙を破ったのはランサーの笑い声だった。
「いや、あっさりでしたね。やはりボワイアは脆い。揺さぶればすぐブレる。少しはネラルクを見習ったらどうだか」
「買うかどうかの判断は下されてませんが?」
「買うさ。アイツらは買う。立場や権力に縋りつく人間ってのは足場がぐらつくと冷静さを保てなくなるよな。転落を酷く恐れてやがる。そういう奴らは自分の身を守るためなら他の犠牲は厭わんもんなんだよ、ボク」
ランサーはニヤニヤした顔を引き締めることはない。ずっと薄ら笑いを浮かべている。扉に背を向けてランサーに向き直ったセバスチャンは焦りも恐怖も苛立ちもなく、澄ました顔でランサーを見た。「無礼者。いくらゼイザック王太子殿下の知人であろうと、これ以上の非礼を許すことは」エルアドの言葉をセバスチャンが止める。「いいんです。全て事実ですから」嘲るようにふっと息を吐いた。
「ありがとうございます、ランサーさん。あなたが来てくれたことによって、僕の負担が大きく減りました」
「セバスチャン殿下?」
「エルアドさん、約束でしたよね。後で僕の話を聞いてください。その上でボワイアの進軍を遅らせる、そしてネラルク大公国にて迎撃態勢だけ整えて、それ以上は進軍しない形を取ってください」
「セバスチャン殿下、一体何を」
セバスチャンがランサーのように不敵な笑みを浮かべる。「父上も兄上も絶対的な勝利にこだわっています。僕もそうでした。けど、大事なのは勝つことよりも負けないことだと気が付いたのです。僕は、自分の正義を押し通そうとしましたがそれでは解決に至らない。姉上が攫われて、その交渉にボワイアの立場は全くありません。それなのに威厳を示そうとして周りをかき乱そうとする。それを止めるのが僕の役目。僕の正義なんてどうでもいいんです。やるべきことは正しさを証明することではなく、何としてでも父上と兄上を止めること。それだけなのですから」エルアドは目を丸くしてその場に固まった。フラミンゴはまた大きく頷く。
「ランサー、よく来た。そっちが来るんじゃないかってのは、ある程度見込んでいたからな」
「・・・は?」
「販路拡大には絶好の機会だ。それを逃す手はないだろう。お前なら動く。絶対に。その自信があった」
「俺を利用した、そう言いたいのか?」
ランサーの声色が変わる。フラミンゴもランサーも客の前では猫なで声を使うが素はそうではない。ランサーは声を低くして、営業スマイルも終了して、厳しい視線をフラミンゴに向けた。
「いや。タイミングがよかっただけさ。どちらにしたってセバスチャン様が動く予定だった。今まで自分たちに反対してきたセバスチャン様が同調して狂乱すれば、その姿を不審に思い躊躇いも生まれるだろう?酔っ払いは自分以上に酔っぱらっている奴を前にすると不思議と酔いが醒めるんだ。そこにランサーが上手い具合に脅しをかけてきた。一気に不安に駆られたゼイザック王太子殿下は自分を見失う。不安は不安を呼ぶ。他の誰かにしがみつきたくなる。そこにセバスチャン殿下が立ち、軍に介入する権利を得る。そのお膳立てだよ」
「え・・・?」驚きと戸惑いの声を上げるエルアドの隣でセバスチャンは胸を張って遠くを見据える。そこに年齢による幼さを感じさせない。
「・・ははっ。いいねぇ。やっぱりいいよ。アンタたち最高だ。ネラルクのお坊ちゃんといい、ロゼといい、今度はボワイアのボクときた。この俺を大いに楽しませてくれる」
「この件が終わったらサッと身を引けよ。ここはお前たちマフィアが関わっていいとこじゃない」
「それを決めるのは上の人間だろ?アンタじゃねぇよ」
睨むフラミンゴを前に笑いを抑えられないランサー。肩を小刻みに動かしながらその場を立ち去ろうとする。「ランサーさん!」セバスチャンが声をかけた。ランサーは足を止めるも振り向くことはない。
「どうして僕たち、いえ、この件の中立に立とうとしたんですか。ディオも言ってました。あなたのこと、悪い話じゃないって」
ランサーは背を向けたまま何も言わない。何も言わないまま考えを巡らすように宙を見上げ、また肩を小刻みに揺らした。
「どこにも善意なんてのはねぇよ。金のにおいがするから来ただけだ。俺は金稼ぎのためにやっている。中立でいるのはどちらにもいい顔しておけばどちらからも金が入るだろう?それだけだ」
ランサーは、ふう、と大きく息を吐いて宙を見上げていた視線を地に戻した。
「だが、強いていうなら、金のにおいを纏っているお坊ちゃんを失いたくはない。アイツは俺にとってのビジネスパートナーだからな」
そして笑いながら黒いスーツを身にまとったランサーが廊下を立ち去る。商談は終わっていないのにどこへ行こうというのだろう。衛兵が戸惑いながらもランサーを追いかけていった。
「ディオのこと、言ってるのでしょうか」
「・・・そうでしょうな。はぁ、面倒な奴に目をつけられちまって」
深い溜め息をつくフラミンゴの後ろで、くすくす笑うセバスチャン。「変な人にまで好かれちゃって、大変だな、ディオは」肩の荷が下りたかのように脱力し、床に両膝をついたセバスチャンを咄嗟にエルアドが支える。
「いけない・・まだ、終わってないのに」
「セバスチャン殿下、殿下のお気持ちはこのエルアドがしっかりと引き継ぎます。どうか少し休まれてください。顔色が」
言いかけたエルアドにフラミンゴは人差し指を立てた。エルアドの腕には、ほぼ気絶といってもいい意識を失ったセバスチャンが微笑を携え眠っていた。




