68.不確かだとしても
「ご一緒できずに申し訳ございません」
王室専用ではなく普通の貨物列車を前にテラがセバスチャンに頭を下げた。
「顔を上げてください。テラさんが気に病むことではありませんし、それにテラさんはルイズベート家に仕えている方ではないですか。僕は」
「セバスチャン様だって家族のようなものですよ」
「いつもディオ坊ちゃんを支えてくださり、ありがとうございます」テラは深々と頭を下げたまま上げようとしない。セバスチャンは苦い顔をしながら「それは・・僕の方で」と力なく零す。
「ロウにお供するよう言い付けるつもりでしたが、どうやら別の仕事を担っているようで」
「いいえ、大丈夫です。むしろローウィンさんが僕の傍にいると父上がルイズベート家に対してあらぬ疑いを持ってしまいます。これでいいのです」
「・・・そうかもしれませんね。ですが、あの方ならどうでしょうか」
顔を上げたテラが後ろを振り返る。視線の先には俯きながら歩くフラミンゴの姿が見えた。「・・・え?」セバスチャンから戸惑いの声が漏れる。
「ルイズベート家が動けない今、フラミンゴさんしか頼れませんでした。どうかご一緒させてください」
「で、ですが、フラミンゴさんは」
「セバスチャン様は現在侍従をつけておりません。護衛の兵士も最低限。そして、その誰にも心を許しておりません。その点、フラミンゴさんは独立した存在です。ですが、ディオ坊ちゃんをはじめとしたネラルク大公国が最も信頼を寄せる一人です。セバスチャン様のお心も少しは安らげるかもしれません」
セバスチャンはテラの説明を聞きながらずっとフラミンゴへ視線をやっていた。小さく口を開き驚いた様子を隠せていない。
「・・・・・・僕は、父上にも兄上にも相手にされておりません。長い間床に臥せっていた僕は病弱で将来性がないとみられているでしょう。世間も知らず、国の内情にも口を出せず、お飾りだけの肩書を持つだけのお荷物です。僕の声は二人に届かない。けれど僕は、この状況に黙っていることができず、業を煮やしていたところにディオが役割を持たせてくれたこと、本当に感謝して」
「動かしましょう、セバスチャン様。セバスチャン様はもう孤独ではありません」
「・・・テラさん」
「人を頼らず言われるがまま様々なことを諦めていた坊ちゃんが足掻いています。欲しいものを手に入れるために、大事なものを守るために、自分一人で生きてきたあのお方が人に助けを求めました。苦渋の決断で幼きセバスチャン様、そしてロゼ様の手を借りました。それは自分の思い描く理想の未来を掴むためです。その未来はたった一人では成しえないものだったのです」
セバスチャンはフラミンゴに向けていた視線をテラに向けた。テラは目も頬も落ちてしまいそうなほど穏やかに微笑む。
「セバスチャン様の掴みたい未来。その必要な存在になれればと思います」
セバスチャンは声が出なかった。テラを、そしてフラミンゴを交互に見て、こみ上げそうになるものを必死に抑える。弱さを見せられないセバスチャンの必死の抵抗。テラは視線を逸らしフラミンゴへと近づく。その瞬間だけ、セバスチャンは静かに鼻をすすった。
**
大して大きくない帆船を前にマーカスは立ち尽くす。「後ろがつかえておるぞ」ポラリスの声にも反応を示さないほどの緊張の色が窺える。
「おい、聞いておるか!」
「・・・はっ!!な、なんですか!?」
肩を跳ねさせたマーカスがポラリスに振り返る。つばが広く、造花があしらわれた可愛らしい帽子を被ったポラリスを怪訝な顔で見つめた。
「・・・どこにお出かけで?」
「戦場じゃろ」
「街で買い物でもするような格好ですが」
「ガナッシュの母より賜った。船の上は日差しがキツイようでな。ワシの禿げた頭を案じたのであろう」
両サイドから垂れていたスカーフを顎の下で結ぶ。「若返ったようで気分いいな」ふふん、と笑ったポラリスとは対照的にマーカスは船に乗る前から船酔いしたかのように吐きそうな顔をした。
「どうしてそんなに気楽でいられるのですか?僕は恐ろしくてしかたないですよ」
「気楽なもんか。怖いに決まっておる。けど、経験してもうたからな。何もせず見て見ぬふりをする恐ろしさを」
ポラリスはマーカスを抜き去り先に帆船へと上がった。その後ろを背中の丸まったマーカスが追う。帆船に乗船すると第二弾の使節団たちが荷物の運び入れに勤しんでいた。その中で最も年上であろう男性が作業を中断しポラリスたちに近寄ってくる。
「どうも初めまして。今回同行することになりました、ベルタと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ベルタが二人にお辞儀をする。「ポラリスじゃ。こちらこそよろしく」挨拶を返したポラリス。「マーカスです」マーカスの言葉にベルタは変な顔をした。
「えっと、ジョーイさんとお伺い」
「え!?あ、本名はジョーイなんですけど、できればマーカスの名で通していただきたく」
「なんじゃ、お前さんもガナッシュのように二つ名を持っておるのか?」
「できればジョーイ・マルチネスとしては活動したくないんですよ」
「何らかの事情がおありなのですね。承知いたしました。ではマーカスさんとお呼びさせていただきます」
「ありがとうございます」
マーカスもベルタにお辞儀を返した。挨拶を済ませた三人は荷積みをしている作業員に目配せする。
「結構な荷を積むんじゃな」
「航海に必要な食料品やその他備品です。往復を考えると長旅になりますので。あとは交易品ですね」
「交易品?」
「セレスティア様の無事を確保しなければいけません。そのために相手が望む以上の献身を捧げようと思います」
「・・・・・・そうか。大変じゃな」
「そんなことはありませんよ。与えることをためらうな、小さくまとまるな、大抵のことはなんとかなる、命さえあれば。よくファルガ様が仰る言葉です。あの方はその言葉一つで国をまとめ上げ潤わせたのですから、皆その言葉を信じています」
嫌な顔ひとつせず働く作業員たちを見つめてベルタは胸を張った。背中の丸まったマーカスもつられるように背を伸ばす。するとベルタが、くくっと小さく笑った。「すみません。また、ファルガ様自慢しちゃったなって自分でおかしくなってしまって。あの人はロゼさんが死の山を浄化してくださったことを、まるで自分の手柄のように言う人なのに。自分の日頃の行いが良いからだ、なんて誰も納得しないですよ。でも、そうも言いきれないのがあの人の凄いところで、それがなんだか悔しいですね」頬を赤らめ目を細めたベルタが嬉しそうに微笑む。
「いけないいけない。セレスティア様のお命がかかっているこの状況で、こんな緩んだ顔をゼイザック様に見られたら首が飛んでしまう。私たちはどうしてもファルガ様から受ける影響が強すぎて、少し楽観的なところがあるんですよね。手を抜いているわけでは決してないんですけど」
「わかっておるぞ。大公殿下のもたらす安心感というのはすごいよな。大きく構えて一つのことに拘らず上手く切り抜ける豪胆さがある」
「そのせいでディオ様からの信用を失くしちゃったんですけどね。あの人が好き勝手やってる裏でアネット様やディオ様は大変な思いをしていたでしょうから」
「困った人です」と言いながらもベルタの顔は誇らしげだった。
「もうすぐ荷積みも終わります。中で休んでいてください」とベルタが船内へと案内する。ポラリスはアネットから預かった荷物を、マーカスは自分のボストンバッグを持って船内へと歩を進める。
**
まだ出航していないとはいえ、もう自分たちのいるところは海の上。上下に波打つ身体のバランスをうまくとりながら、ポラリスとマーカスは船員たちの寝床の隣にある食事スペースらしきテーブルセットについた。
「あそこまで明るく振舞われると、こっちもなんだか安心できますね」
「怖がってるのはお前さんだけじゃろう」
「普通は怖がるものだと思いますが。言葉も通じない、文化も価値観も全く違う、異国の地に向かうんですよ?しかも戦争真っ只中らしいんですから」
「戦場にほっぽり出されるわけじゃない。ワシらはワシらの役目を全うすればいい。そうじゃろ」
「ですから、その役目というものが」
「ワシはもう怖くはない。現実には多くの仲間がおるからな」
ポラリスは被っていた帽子を取った。膝の上に置いて、大事そうに撫でる。
「・・・・・・あの、つかぬ事をお聞きしますが」
「なんじゃ」
「ポラリスさんがカロッチャ島で噂されていた未来を予知する聖女というのは本当ですか?」
ポラリスに返事はなかった。膝の上にのる帽子を撫でるだけ。返事をもらえなかったマーカスはその続きを言わない。そのまま黙ってしまう。
「・・・・・・お前さん、聖女ってなんだと思う?」
「え?」
「確かにカロッチャ島には聖女の噂が存在した。あるときから予知夢を見るようになって、占い師さながらに皆に伝えておったら、いつの間にかそんな話があちこちで広まるようになった。ワシはただ、夢を見ていただけにすぎんのに」
「ですが・・・それは予知夢、なのですよね?当たるのですよね?」
「ああ。良いことも悪いこともな。だが、それだけじゃよ。見た夢が現実に起こる。たったそれだけじゃ」
「すごいことじゃないですか。聖女の名に相応しい能力で」
「お前さんにとっての聖女ってのはそういうもんか?人より少し違うものをもっている珍しい人間が聖女なのか?・・・ワシは違う。ワシの思う聖女はこんなんじゃない」
目を伏せ膝に乗った帽子だけを見ていたポラリスが顔を上げる。高齢にもかかわらず鋭い目つきをマーカスに向けた。マーカスは気圧され身体が硬直する。
「この世界に聖女の噂はごまんとある。その全てが身近に感じるものであり、嘘のような本当のような、けどそうあってほしいと希望に満ちたものだ。そして不思議と聖女として特定されたものはおらん。それはな、その奇跡を起こしている者たちに“特別”なんて存在しないからじゃよ。きっと普通の人間なんじゃ」
「普通の・・・?」
「鳥のように空を飛ぶ人間を見たことがあるか?魚のように海の中で息ができる人間を見たことがあるか?自然を意のままに操ったり、人の心をいとも簡単に操作したり、人の命さえも思うがまま。そんな人間はおらん。少なくともワシは知らん。そしてもちろんワシでもない」
「そうかもしれませんが」
「ワシは確かに人とは違う能力をもっているかもしれん。けどな、そんなもんすごくもなんともない。ワシは、ワシでは、カロッチャ島の人間も観光客も救えなかった。あれはロゼがおったから奇跡を起こせたんじゃよ」
「・・・・・・。」
「なぜワシではなくロゼが奇跡を起こせるのか。それはあの子が“人の心に寄り添い、そして人を動かす”そんな底力を持った子だからだと思う」
「一人ではできないことでも、一人でなければできるかもしれない。そう思わせてくれる人間像というのは一種の能力じゃよ」マーカスに向けていた鋭い視線をポラリスは伏せた。また帽子を撫でる。
「ポラリスさん、僕は実は医者でして」
「聞いておるぞ」
「医者って人の命を救う素晴らしい人だって思われているじゃないですか。でも、そんなことないんですよ。ただ、成功した数だけをカウントされているだけなんです。元々、死を目前とした人たちを相手にするわけですから、前提に“死”が存在するのですよね。だから助けられなかったとしても、最善を尽くした、であれば十分になってしまうんです」
「だが、生きようとする人の手助けをすること自体がすごいことじゃとワシは思うが」
「そんな綺麗な話ならいいんですが、僕たちはすぐ確率を求めます。助かるか、助からないか、治るか、治らないか。経験則の計算で当てはめて人の命の残量を数値化します。そしてその数値が高いものを選び、低いものは最初から触れない、という選択を取ることも少なくはない。ずる賢い大人の賢明な判断ってやつです」
「なにが言いたいんじゃ?」
「あ、すみません。僕、話し出すとどうやら愚痴っぽくなってしまうみたいで。なにが言いたかったかといいますと、僕もポラリスさんも、人より少し秀でた能力を持っていながら事態を動かせなかった。それを動かしたのが彼女だった。彼女も特殊な知識がありますがそれは彼女の生きる知恵であって何も特別なことではない。彼女のもつ人間力こそが奇跡を呼ぶのだと、僕もそう思います」
目を伏せているポラリスは顔を上げなかった。マーカスに視線を向けることなく帽子を撫で続け、ふっと笑みを浮かべた。
「この世界には聖女様がいるらしい。その不確かな存在は心の中に確実に存在しておる。いつも周りに勇気と安心と希望を持たせてくれる存在としてな」
「はい」
「そのためならワシは何度だって夢を見よう。良い夢も悪い夢も全て受け入れよう。大丈夫じゃ。ワシらは一人じゃない。未来は変えられる。変える力をワシらはもっている。なんせ聖女に導かれておるのだからな」
「はい、ポラリスさん」
嬉々とした声が返ってきたことにポラリスは上目でマーカスを見た。さっきまで顔面蒼白で怯えていたマーカスがニコニコ嬉しそうに笑っている。
「聖女ポラリスに導かれている僕にもう恐れなどありません」
「だからワシではなく」
「あなたも立派な聖女様ですよ。ポラリスさんの言葉は胸に響きます。ポラリスさんもロゼちゃんと同じで、十分に人を動かす力を持っています」
ポラリスがマーカスから目を逸らす。「あ、照れましたか?」からかうような声を出すマーカスに「うるさい!年寄りをからかうな!」と大きな声を出して、さっきまで大事に撫でていた帽子を深く被る。帽子に縫い付けられているスカーフを顔に巻いてポラリスは赤らんだ顔を隠した。




