69.偉大な背中
澄み渡る青い空。この空の向こう側で人と人との殺し合いが行われているとはとても想像つかない。そして、その場にセレスティアがいることも。ポラリスやマーカス、そして自国の仲間たちが次々と派遣されていくことも、何もかもが現実には思えないでいる。
「おう、来たか」
ファルガに呼び出されたガナッシュは、ほとんど使われていないファルガの執務室の窓から外を眺めていた。来たか、じゃないだろう。待たせた、だろう。無表情でいるガナッシュとは対照的に歯を見せて笑うファルガ。「お前、気ぃ抜いたらすぐ表情死ぬんだな」からかうようにファルガが言うと、窓際の定位置に移動する。その定位置を明け渡すようにガナッシュがデスク前に移動した。
「ロゼはどうだ?元気に励んでるか?」
「よく理解はしていませんが、作業員全員と楽しくやってます」
「ウチの技術は世界一だからな。楽しくワイワイやってくれればいいさ。問題はこっちの聖女じゃねぇ」
「ポラリスさんですか?」
「そっちでもねぇ」
ガナッシュは黙る。黙ってある人物の名前を出さない。
「ロゼのことは正直心配はしていない。なんせ、俺様がついてるからな」
「・・・・はい」
「なんだ?その疑いの目は」
「・・・・いえ」
「ポラリスばあさんもかなり頼りになる。年の功ってだけじゃねぇ。苦労してきた人間だからこその考え方、心構えを持ってる。そこに医学の知識があるジョーイもつけた。あとは、あの箱入り娘だ」
「・・・・・。」
「おめーの嫁さんだよ」
ガナッシュはまた黙る。スッと視線をファルガから逸らした。
「ドルマンからセレスティアに関しては“無事”ということだけが記されていた。普段、凛として気高くあろうとしてるわりには子供っぽいつーか、ヒステリックになりやすいつーか、まあ、無事ならそれでいいんだけどよ」
「・・・・ご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「別にそれを迷惑だとは言わねぇが、セレスティアにはもうちょっと元王女らしく振舞ってほしかったな。それだけで状況は違ったものになってたはずだ」
「どういうことですか?」
「向こうが要求してくる内容を変えられただろうって話だよ。セレスティアは未だに王女の称号にしがみついている。そして、いくら降嫁したとはいえど王族の血であるのに変わりはない。聖女として振舞えないのなら、王族としての振る舞いをしてくれりゃあ少しは状況は違っただろうし、何より自分の名を汚すこともなかった」
ファルガが言いたいのは、聖女として攫われたセレスティアにその力がないのであれば、王族として、元王女として、堂々と凛々しく物事にあたれば問題の中身が変わっていたということだろう。実際にファルガが危惧しているのはロゼのことではなく今後のセレスティア、そしてボワイアについてだ。メッキが剥がれたボワイアに対して他国の目は厳しくなってくるだろうし、武力で国の威信を示そうとすればするほど、その稚拙なやり方に辟易し去っていく友好国もいるはず。そうなればボワイアの孤立は免れない。
「はっきりいってセレスティアに聖女の素質はない。それは特別な力を持つか持たないかでなく、セレスティア自身“己が守られる”ことを重要視していることにある。兵に、城に、権威に。セバスチャンはわかっているようだが、あれじゃあ聖女どころか王女としても失格だ。だから今、ボワイアが揺れている。焦ったゼネフが虚栄心で力を示そうとしている。なんとしてでも止めねぇとな」
いくら政略結婚とはいえ、妻であるセレスティアをほったらかしにしていた自分にセレスティアを責めることはできない。むしろこの責任は自分にある。国を空け、妻を放置し、芽生えた己の気持ちを優先してきた結果、大きなツケが回ってきた。これは自分自身の問題だ。ガナッシュは目を伏せる。
「ディオ」
「・・・・・はい」
「結果だけは間違うなよ」
「え?」
「お前は力をつけて戻ってきた。人に言われたことをするだけの人形じゃなく、自分の心に従い、自分の足で前に進み、自分の手で欲しいものを掴み取る。今のお前にならできるはずだ」
目の前のファルガは笑っていた。置かれている状況の重々しさを微塵も感じさせない威風堂々たる姿を前に、自然と自分の丸まっていた背筋も伸びる。今も昔もどんな大変な状況下にあっても飄々と何もわかっていないような振る舞いでいるファルガは、アネットを困らせ、テラには気を遣わせ、働く国民が踏ん張り、自由気ままにいる手のかかる大きな子供のようであり、それを周りが支えていたと思っていた。事実そうなんだと思う。けど、この目の前にいる掴みどころのない大男は、その存在だけで人の心に安心を与えていた。ファルガが偉そうに胸を張れば、大きく笑えば、自身に満ち溢れていれば、こちらが持っている不安がスッと消えるのだろう。
「だとしても、それをあまり認めたくないんですけどね」
「なにがだ?」
「この人絶対、深く物事を考えていないだけだと思うんで」
「俺のことか?」
「だからあなたのことをちゃんと見ようと思います。今までと違った視点で」
「お前ってなんかいつも偉そうなんだよな」
「あなたの子ですから」
ガナッシュが声を出さず小さく笑う。その顔を見て、ファルガも嬉しそうに顔を綻ばせた。
「さて、お前のお友達ランサーのことだが」
「友達じゃありませんけど」
「高い金取りやがったけど、金で動くマフィアほど使えるものはない。ムシュンドゥルを挟むドラチェフとコタボボタの両国に休戦の動きが見られた。多分、裏組織の人間が動いた」
「裏組織?マフィアですか?」
「東の国にマフィアはいない。だが、国が抱える兵士とは別に裏を取り締まっている組織が存在する。そこにランサーが何かしら働きかけたんだろう」
「戦いを止めろと?そんな善良な人間には見えませんが」
「武器を売って金儲けしたいアイツが戦いを止めるわけねぇだろ。憶測でしかないが“西の大国が東に攻め込む準備をしている”なんてデマを流したんじゃないかと思う」
「それって・・・。」
「隣国で争ってる場合じゃねぇってなるよな?西の脅威に備えて、あらゆる準備が必要になるよな?」
「で、ランサーは武器を売りつける、と」
「そう考えるのが妥当だろう。・・まぁ、一時休戦してくれりゃあこっちも動きやすくなるとはいえ、おっかねぇやり口だよ」
「第二の船、そして俺たち第三の船。慎重にルートを選んでムシュンドゥルに上陸しねぇと、集中砲火にあうぞ」笑いながら話す内容ではない。ファルガの声に動揺は見られなかったが、ガナッシュはぶるっと身震いした。
「ま、この話を聞けばアドベントの取引先がムシュンドゥルでないことがわかったな。つーことはランサーから買い上げた情報ってのはドラチェフとコタボボタのどちらかになる。このどちらかの裏をかければ戦況はひっくり返せるかもしれねぇな」
「信じるのですか?あの男を。私たちに売った情報が偽物で、全くの正反対だったら」
「信じる信じないじゃねぇが、偽情報じゃねぇと思う。なぜならロゼの命がかかってるからな」
「ロゼの?」
「ランサーがただの金稼ぎのために俺様の元に現れたってんなら話も聞かずに追い返してやった。けど、アイツはロゼのことを気に入っている。アネットからも聞いたがロゼがアイツとの賭けに勝ったっていうこともな。だから俺たちの交渉が失敗に終わればロゼの命も危うくなる。それをアイツが望むとは思えねぇ。そこんとこはロゼに感謝だな」
ファルガが窓際から離れてガナッシュに近づいてくる。太くて筋肉が隆起している腕をガナッシュの首に回し顔を近づけた。「お前にも感謝だな。お前が命を賭してロゼを庇ったことが今に繋がってる。ありがとよ」そして、こめかみにチュッと口づけた。ガナッシュの顔が真っ青になる。
「さーて、可愛い子猫ちゃんたちの様子でも見てくるか!」逃げるように執務室を出たファルガを前に、ガナッシュは血が上りそうになるくらい怒りに震え、皮が剥けそうなほど力強くこめかみをこすった。
**
長い船旅というのはとても暇である。船員たちはカードゲームをしたり、釣りをしたり、筋トレをしたり、様々な方法で時間を費やしていたが、船旅に慣れていないポラリスとマーカスは食事も大して喉を通らず、ずっと空ばかり眺めていた。
「波任せ、風任せ、陸を出た人間というのは、こんなにも無力なんじゃな」
「そうですね」
急に天気が変わったり、潮の流れが変わったり、船での移動というのは一筋縄ではいかなかった。「ロゼ・・・これるかのぉ」ポツリとポラリスが呟く。「船が苦手なんでしたっけ?」くすくす笑いながらマーカスが答えた。
「あの子の唯一の弱点ですよね。けど、ガナッシュ君が一緒でしょうから大丈夫ですよ、きっと」
「まあ、船酔いの薬を作るようには言っておいたが」
「あ、そうだ。僕も色々準備しないと」
ポラリスと並んで座っていたマーカスが立ち上がる。両手を空に突き上げ、ぐーんと背を伸ばし「ふう」と大きく息を吐く。
「セレスティア殿下は箱入り娘と聞いていますから、突然のことに憔悴しきってるのではないかと心配です」
「・・・・殿下?」
「あ、もう降嫁しているので逆に失礼になってしまいますね」
「いや、そうでなく。・・・・そうか、ガナッシュの嫁はボワイア国の元王女だったな」
「それがどうかしましたか?」
マーカスが首を傾げながら座っているポラリスに視線を落とす。ポラリスは首を左右に振って「いや」と言葉を濁した。
「僕も詳しくはないですが、身目麗しい美貌の持ち主で、その出で立ちだけでも各国から賞賛の嵐だとか」
「美人は昔から得するからの」
「ボワイア国は王妃を早くで亡くしていますので、王族の中でも紅一点となったセレスティア様は周りからかなりの寵愛を受けていたようです。さすがに僕はお会いしたことないので噂程度でしか知りませんが」
「ほぅ。なら早く会ってみたいな。そのセレスティア様とやらに」
「ここ数日の軟禁で、その美しさを維持できているとは思えませんけど」
「蝶よ花よと育てられたお姫様なら無理もない。愛を注がれなければ咲けないのがセレスティアであれば、ロゼは雑草魂の持ち主じゃな」
「あの子は一滴の雫だけでもイキイキと咲くからのぉ」湿った溜め息を零してポラリスは水平線へと視線を投げる。そしてまた「ロゼ、これるかのぉ」と呟いた。
**
まだまだ船に揺られる。何日船に揺られたか数えることすら億劫になって笑顔すらなくなり始めた二人に「もうすぐ着きますよ。下船のご準備を」とベルタが告げた。ベルタはこの長い船旅でも疲労一つ見せず穏やかに微笑んでいる。
「え?真夜中にですか?」
「真夜中だからこそです。闇夜に潜み上陸します。あ、でも安心してください。迂回になってしまいますが、ムシュンドゥル国の港が閉鎖されている今、ペタニャーク半島という小さな島に上陸します。こちらは昔の形態を保ったままの独特な地域なので戦争に巻き込まれている可能性はとても低いんです。先に行っているドルマンさんがロバを手配してくれているようですので、ロバに乗ってムシュンドゥル国へ移動します」
「ロバ?」
「山あいの道なき道を進むそうですから、馬よりロバの方が適任だと」
ベルタの説明にポラリスは表情を変えなかったが、マーカスは苦笑いを浮かべ「えっと、つまり、平地は戦場となっているから山を目指すということですか?」乾いた声で訊ねた。
「それもありますが、一番は見つからないようにするためですよ。安全といえる領域に入るまでは気が抜けません。敵国に見つかれば即攻撃されるはずです。なので身を潜めながら移動しましょう」
マーカスは開いた口が塞がらなかった。それなのにベルタは笑顔で「大丈夫ですよ。ロバに乗るだけですから」と涼し気に言う。マーカスは錆びかけた鉄パイプを捻るようにギッギッと骨の軋む音を出しながらポラリスに顔を向けた。ポラリスは変わらず落ち着いており静かに目を閉じる。
「山の天候は海以上に変わりやすそうじゃ。ガイドなしに進むのは困難じゃろう」
「ペタニャークの民にお願いしましょう。彼らは非戦闘員なので」
「褒美をやることは可能か?」
「はい。問題ありません」
「ポラリスさん、もしかして何か視えているのですか?」
「大したことではない。だが、油断は禁物じゃ」
ポラリスは日も射さぬ真夜中であるのにアネットから貰ったという帽子を被った。よほど気に入っているのか、それともお守り代わりなのか。マーカスも固くなった節々を動かし下船の準備を始める。「ポラリスさん」帽子のあご紐を結ぶポラリスをベルタが呼んだ。
「念のため確認させてください。ポラリスさんはセレスティア様の乳母として身の回りの世話をしにきた、という体で間違っていませんか?」
「ああ、そう大公殿下には言われておる」
「聖女として、ではないのですね?」
「そうだが?どうかしたか?」
「いえ、ムシュンドゥルとしては“力の発揮できない聖女の世話役”ではなく“本物の聖女”を求めたのですから、ポラリスさんの存在を受け入れてくれるのか心配な部分もありまして。実際にポラリスさんはカロッチャ島で噂されていた聖女様とお聞きしておりますから、なにも使用人のような真似事をしなくてもよいのではないかと」
「ワシが望んだのじゃ。ワシに聖女のフリはできぬ。それに相応しい人物がおるのだから、そこに託した方が良い結果が生まれるじゃろう」
ポラリスはあご紐代わりのスカーフを可愛らしくリボン結びにした。「そして王女の器を持つ者もおる。偽物でなく本物に立ち上がってもらわんとな」帽子を微調整したポラリスはベルタを見て微笑んだ。
「未来の保障はワシがしてやろう。ベルタ、お前さんはどうかワシの前に道をつくってくれ」
ベルタはまるで女王陛下に挨拶するように跪き「はい。命に代えてもこの使命、全ういたします」深く頭を下げた。




