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この世界には聖女様がいるらしい  作者: やまとうみ
第三章 避けられない政略結婚
32/87

32.愛を配る人


「どうしてキスしてくれなかったの!?」


結婚式を終えて控室に帰ってくるなりセレスティアが大きな声を上げた。


「したよ」

「してない!」

「したって」

「頬じゃない!」

「してる」

「子供みたいな屁理屈やめて!」


侍女を追い払い控室にはガナッシュとセレスティアの二人きり。真っ白に透ける肌を剥き出しにチューブトップのドレスが胸の膨らみを押し上げていた。若いが故にできる格好だが、聖女と謳われるだけの清楚さはそこにはなく、元王女としての品性も失われ、ヒステリックな声を張り上げている、精神的に未熟な女性がそこにいた。


「セレス、何度も言う。これは政略結婚だ。選べる立場にない以上、結婚は仕方がないけれど、無理に夫婦を演じる必要はない。大事なものはちゃんと大事に取っておくべきだよ」

「間違った気の遣い方をしないで!!私はディオがいいの!!ディオでよかったの!!」


飛び込むようにセレスティアが抱きついてくる。「いや・・こんなの嫌!お願い、キスして。じゃなきゃ不安でしょうがない」ぎゅうぎゅうに身体を密着させてくる。顔が埋もれて見えないが泣いているかもしれない。この後の披露宴がなくてよかったと心の中でホッとする。

ここネラルク大公国には当主であるルイズベート家以外の貴族がいない。正しくは存在していたが返上してきた。貴族が保有する領地によって差がついてしまう採掘により紛争が起こってしまうのを避けるためだ。争うより協力して多くの富を得た方がいい。その在り方を大公爵が示したからだ。

そして他国の権力者たちの招待はボワイア国のニヘイア家が嫌がるからそれもない。父ファルガが他国と仲良くするのをゼネフ国王は快く思っていない。その戒めの一つがこの政略結婚だ。


キスをされたら不安が解消されるのだろうか。まるで、お手を求められた犬のようだ。飼い主の要求にペットが従えば満足する、それと違いはないように思う。


「セレス、俺のこと好きなの?」

「好きよ。ずっとずっと大好きだった」

「俺は君のことをニヘイア家の大事な王女様としてしか見てきていない。急に恋仲になんてなれないよ」

「・・・・私のこと嫌いなの?」

「そうじゃない」

「はっきりして」

「いいの?」


セレスティアの身体がぶるっと震えた。「はっきりしてもいいの?」再度問いかけると、セレスティアは小さく首を横に振る。そして、しがみつくように抱きしめる力を強くした。ガナッシュは小さく息を吐く。今日のセレスティアは放してくれそうにない。


「・・・・この間は、ごめんなさい」

「え?」

「ディオとお兄様、どっちがいい?って」

「・・・・あぁ」

「すぐに貴方の名前を言えなくてごめんなさい。どっちがいいって聞かれたから戸惑っちゃって」

「意地悪な聞き方した俺も悪かった。ごめん」

「ディオがいいに決まってるわ。ディオがいい。私はディオがいいの」


本当にそうだろうか。セレスティアは欲しいものを手に入れて満足したいだけなのではないのだろうか。自分が愛さなくたって愛をくれる兄。もうその愛は手に入れているのだから、まだ手に入れていない愛を欲しがるってものだろう?


**


モナの家から戻ったロゼは行商箪笥の中身を広げて腕組みをした。「う~ん」と唸るとその隣にビーグルが並ぶ。「どうしたの?」顔を寄せてきたので身体を倒し距離を取る。


「この国では食料を自給していないそうです」

「食料?」

「畑がないそうなんですよ。鉱石が採れるならそれを売って外国から食料を輸入する。元々鉱山だらけの土地で農業を広げるのは難しくて、それを外国に頼った方がお互いメリットが大きいんですって。政治って難しいですね」

「はあ」


ビーグルは呆れたような、なんとも思っていないような空返事をする。「ロゼちゃん、政治家にでもなるつもりなの?やめときなよ、みんなに嫌われるよ」その言葉にロゼはある人物を思い浮かべる。顔も知らない、名前だけ知っているゾビ侯爵だ。保安官を買収して酒場サンジェルとフラミンゴを陥れようとした上院議員。上院議員ということは政治家ってことだ。


「悪いことするのがいけないんですよ」

「悪いことしない政治家が存在するの?」

「ジェイミー夫人の旦那さんはそんなことしません!」

「誰それ。ってか何で急に難しいこと考えてるの?」


ずっと腕を組みながら頭を捻らせているロゼ。「バイゼンさんたち事故でケガを負った人たちに何かできないかと思ったんです。薬といっても必要としているわけではなさそうでしたし、なら精のつく食べ物をと思ったらこの国には食料を販売するようなお店がないみたいで」眉間に皺を寄せ「う~ん」とまた唸った。


「もし何か入用でしたら、ファルガ様に依頼すれば大抵のものは手に入ると思いますよ?」

「ファルガ様に?」

「はい、あの人は世界各国を回っていますからね。珍しいものも持っていると思いますし、大量に必要であれば船で買い付けに行くと思いますよ」


ローウィンの言葉にあんぐりと口を大きく開けたのはロゼよりもフラミンゴだった。「貿易商・・・蒸気船・・・。馬を引くチンケな行商人からは考えられねぇ規模のデカさだな」フラミンゴは顔を引き攣らせる。


「大量に買ってこれるんですか?」

「はい。日数はかかるかもしれませんけど。ですが、もしボワイア国で手に入るものでしたら汽車ですぐにでも取りに行けます」

「文明の発展を遂げているネラルク大公国ならではの生き方ですなぁ。自国の土地から石炭を掘り、それを燃料とする蒸気船や蒸気機関車を作り、貿易の幅を広げる」

「先ほどロゼさんが申し上げたとおり、デメリットもありますけどね。命を司る食が外国頼みとは。まぁ、それでも国は繁栄しました。働けない病人怪我人を保障するに困らないほど」

「そこがすごすぎる。無駄に手を広げず一極集中で強みを得たネラルク大公国の豊かさは世界に知れ渡っておりますからね。手厚い保護を受けている国民は、そりゃあ大公殿下を圧倒的に支持するでしょうよ」

「ファルガ様もですが、奥様も自ら身を切る方なんですよ」

「アネット様が?」


ローウィンが頷く。「ファルガ様は傾奇者(かぶきもの)で新しいもの好き、楽しいもの好き、だけど欲深くはないんです。すぐ人に配りたがる、人と楽しみたがる、独り占めなんかよりみんなでワイワイ騒ぐのが好きな、大公爵という爵位を持つに相応しくない方ですよ」褒めてるのか(けな)しているのかわからない口ぶりのローウィン。


「ルイズベート家の邸宅を見てどう思いました?」

「普通の家より少し立派な家だな、と」

「ニヘイア家とは全く違いますでしょう」

「はい」

「そんな感じです。独占だの自分たちだけが裕福になるとか考えない。国民全員を家族のように思いやる人たちなんです。その中でも特に奥様は不在の大公殿下に代わり国政の指揮を執ってますから、施策の内容は殆ど奥様が決めているのですよ」


ローウィンの話になぜかロゼが誇らしい気持ちになった。


「しかしロゼさん。事故の被害者たちは何も求めなかったのでしょう?なら必要以上に干渉すべきではないのではないですか?(えぐ)られたくない傷もあるでしょうし」

「触れない優しさもありますけど、手を取り合う優しさもあると思います。自分が深い悲しみに暮れたとき、誰にも触れられず距離を置かれる優しさを優しさと受け取るのって難しくないですか?私は無神経なので、すぐ駆け寄っちゃうんですよね」

「それは・・・。」

「気持ちを押し付けることはしないつもりです。けど、街から遠く離れて、人目を避けて、無力に打ちひしがれたままの人生なんて可哀相ですよ。できることを手助けする、それが余計なお世話だというのならやらないです。でも、もし必要としていて声が出せないだけだったとしたら、拾ってあげたいじゃないですか」


ロゼはまた行商箪笥の引き出しを開けようとしたが「あ」と口を大きく開けて手を止めた。「どうした?」フラミンゴが訊ねる。


「フラミンゴさん、さっきケイトさんたちの家から傷んだ食料買わなかったっけ?」

「ケイト?ああ、あの顔が爛れていた女性のことか。買ったぞ、ジンのリヤカーに積んでる」

「それで肥料作ろうかな。あの長屋の隅っこに小さい畑を作ったら、モナちゃんやリーネさんたちはお世話できるもんね。家庭菜園で採れる量なんて大したことないけど、何もしないでいるよりはいいかもしれない」


すくっと立ち上がったロゼは行商箪笥をガラガラ引いて部屋を出ていく。「おいおい、勝手なことするなって何度も」フラミンゴの声はロゼに届かない。


「・・・全く、聞いちゃいねぇ。すみませんな、ローウィンさん。あの子も人が好きなんですよ。酒場に勤めてるもんですから人が楽しそうに嬉しそうにするのが好きなもんで、すーぐ人に関わろうとしちまう」

「いえ、別にいいんですけど。・・・怖くないんですかね、傷ついた人に近づくこと」

「傷ついているから尚更なんじゃないですかね。あの子には力がある」

「力?」

「あなたを信用して話しますが、ロゼは魔女の血を引いてるんですよ。魔女が長い歴史を重ねて培ってきた知識と技術をあの子は継承しているんです。その力を必要としている人に使いたいんでしょうね」


フラミンゴはいつもの帽子を被ってローウィンに一礼する。「ちょいと行ってきます」そして部屋を出た。「・・・魔女?」ローウィンは眉を顰めて呟く。


「ウチの聖女は魔女だよ。これで現実味湧いたでしょ?この世界に聖女の存在は確認されてないけど、魔女はその昔本当にいたんだからね」

「魔女って・・・山奥に住んでいて、黒魔術で人を苦しめ、悪魔召喚で人を脅かす恐怖の存在でしょう?確かに特殊な技法を持っていたからこそ、その存在が権力者たちに危険視されて断罪された。その、生き残り?」

「さあね?自分の目で真実を確かめてみれば?ロゼちゃんは人を脅かす魔女なのか、人を癒す聖女なのか」


大きな口で弧を描いたビーグルはローウィンを置き去りに、ロゼとフラミンゴの後を追う。「・・・ははっ、嘘だろ、おい」ローウィンはロゼたちを追う一歩が出ない。


**


「と、いうことで早速来ちゃいました」


さっき帰ったはずのロゼがすぐさま戻ってきたことにバイゼンは驚き固まってしまった。「なにか持ってきたの?」モナはロゼの隣にある行商箪笥、そしてジンの引くリヤカーを見て嬉しそうにその場で跳ねる。


「いや、あの、ロゼさん。ここは私たちだけでなく、他の方々も暮らしているので騒がれると困ります」

「静かに行えばいいですか?」

「そういうことではなく」

「ねえねえ、お馬さんさわっていい?」


モナがロゼのスカートを引っ張る。ロゼはバイゼンの顔色を窺うと「お母さんと一緒になら」とリーネを見る。モナはリーネに飛びつき「ねえねえねえ!!」と迫った。モナの大きな声に、他の部屋から人が顔を出す。険しい顔をしていたがロゼは「こんにちは。お騒がせしてます」と笑顔で挨拶する。


「リーネさん、何事ですか?さっきから」

「すみません!モナが」

「お馬さん来てるよ!レベッカおばさんも一緒にお馬さん見てこようよ!」


モナが隣の部屋の玄関に移動しレベッカおばさんと呼ばれた女性の手を引く。慌ててリーネがモナの手をレベッカから引き離す。「すみません!すみません!」リーネよりも大分年上であろうレベッカは苦々しく口を歪めた。


「今日は主人の体調が悪いの。静かにしてくださらない?」

「すみません!ほら、モナも謝って!」


リーネは無理やりモナの頭を下げさせる。モナは大人しく従っていた。その後ろにロゼが駆け寄ると「体調が悪いのですか?お薬ありますよ?」と二人の間から顔を出す。レベッカはますます苦い顔をして「どなた?」とロゼに訊ねた。


「商人です。でもお金は取りません。配りに来ました」

「配る?何を?」

「何を?えっと・・・主に薬とか精油とかスパイスやハーブなんかも」

「そんなの要らないわ。そんなもの貰って何になるというの」


レベッカはロゼを睨みつける。ロゼはレベッカに顔を向けながら部屋の奥で寝ている人影に目をやった。その視線に気づいたレベッカはドンとロゼを突き飛ばすとバン!と大きな音を立てて扉を閉めた。


「ロゼさん!?大丈夫ですか!?」

「あ、はい。大丈夫です。怒らせてしまったみたいでごめんなさい」

「いえ・・・いつものことですから」


リーネはモナを抱きかかえ「ちょっとだけよ」とジンの元へ行く。ロゼもその後ろに続こうとすると「ロゼさん」背後から名前を呼ばれた。そこには誰もいない。ロゼはモナの部屋に戻ると車椅子に乗ったバイゼンが「勝手は困ります」と本当に困った顔をしていた。


「・・・すみません」

「いえ、親切はありがたいのですが、どうか私たちの心情も察していただきたい。隣の部屋に住むレベッカさんのご主人は両足を失っただけでなく心までも失ってしまった。その隣のカポックさんも似たようなものです。ここでは私が一番若く、そして軽傷で済んでますから、他の方々はもっと深い悲しみを抱えているんですよ」


顔を俯かせたバイゼン。泣いているのかもしれないとロゼは顔を逸らす。


「すみませんでした。考えなしでした」

「・・・わかっていただけたらもういいのです。できれば静かに、誰も巻き込むことなく」

「でも、それでは声が届きません。取るのか取らないのかは本人の自由ですが、こっそりひそひそとするものではないと思います」

「ロゼさん・・・あなたは」

「この前セバスチャンさんに訊かれました。自分にだけ優しい人と、みんなに優しい人、どちらが好きですかって。私は・・・ファルガ様やアネット様、ガナッシュさんのように、分け隔てなく多くの人たちに行き渡るように配りたい」


「優劣と平等。それなら私は平等がいい。きっとそれって、つまらないんでしょうけど」逸らしていた顔をバイゼンに向け「すみません」と謝った。そして行商箪笥に手をかけると「ロゼさん」またバイゼンが呼んだ。


「申し訳ないが、私の車椅子を押してもらないですか?」

「え?いいですけど」

「ボッツさんのところに行きましょう。ボッツさんの許可があればここでの勝手も許されると思います」


ロゼはバイゼンが座る木製の車椅子を押した。滑りが悪くてとても重い。苦戦しているロゼを見たバイゼンが左手を必死に使って車輪を回す。「す、すみません」謝ったロゼにバイゼンは首を振る。

長屋の一番先の部屋に着いたロゼとバイゼン。バイゼンが扉をノックする。数秒待つと扉が開いた。扉を開けたのは顔が皺だらけで腰の曲がった老婆だった。


「久しぶりバイゼン。どうしたんだい?」

「お久しぶりです。ボッツさん、起きてらっしゃいますか?」

「ああ、起きとるよ。上がるかい?」

「ありがとうございます。失礼します」


バイゼンが車輪に手をやったのでロゼが後ろから車椅子を押した。「もうそんなに大きくなったのかね、モナ」どうやら老婆はロゼをバイゼンの娘モナと勘違いしている。「モナちゃんは外でお馬さんと遊んでます。私はロゼです。初めまして」ロゼが老婆に頭を下げると「マリーです」曲がった腰を更に曲げてマリーが名乗った。


「大公殿下のお知り合いらしく、何か手助けできればと言うので連れてきました」

「まあ、ファルガ様の。こんな若い娘に手を出すとは」

「あっ、いやっ、ガナッシュ・・・じゃないやディオ様とお友達なんです!」


車椅子から手を離したロゼが慌てて両手を横に振る。「はあ、ディオ様にニヘイア家以外の友達がおったんか」マリーが目を丸くする。「ディオ様は最近まで旅に出ていて、友達たくさんいますよ」そう言えばマリーの丸くなった目が細くなって「そうかい」と嬉しそうに笑った。


「なんじゃ、なんじゃ、誰が来たんじゃ」

「じいさん。バイゼンですよ。あとディオ様のお友達でロゼさんだそうです」

「はあ?なんじゃそれは」


部屋の奥からバイゼンと同じように車椅子に乗った老父が現れる。「お久しぶりです、ボッツさん」バイゼンがボッツと呼ぶ老父は両手はあるが片足が根元から、もう片足は膝から下がなかった。


「まだ誰かに押されんと動けんのか、お前さんは」

「片手では中々無理がありますよ。あと、ボッツさんの部屋遠いんです」

「若いくせに文句ばっか垂れやがる。お小言ってのは老人にだけ許される特権なんじゃよ」

「許してくださいよ。若くたって色々零したくなることがあるんですから」

「はー面倒くさい。大して頑張りもしてない若人はすぐ愚痴をこぼす」


ボッツはケッと唾を吐くように横を向いたが目だけをこちらに向ける。ロゼはボッツと目が合った。「それに比べて女の子はいいもんじゃの。見てるだけで癒される。何も言わず黙っているだけでも幸せな気分になるもんじゃのー」ボッツの表情が緩んだ。


「ただのスケベジジイじゃないですか」

「男は黙っとれ」


ボッツがバイゼンに向かって虫を払うような仕草をした。バイゼンの肩が小刻みに揺れる。


「ロゼさん。この人がこの長屋で最年長のボッツさん。元親方でこの口の悪さから誰もこの人に歯向かうことはありません」

「誰の口が悪いって?」

「初めまして、ロゼといいます。モナちゃんに連れられてこちらに来ました」

「はあ~ん、可愛い子ちゃんが可愛い子ちゃんを連れて来よったのぉ~。こっち、もっとこっちに来なさい」

「スケベジジイが」


バイゼンが左手を上げる。「行かなくていいですよ」ロゼに振り返ることもなく告げた。ボッツは口を尖らせたが顔が笑っていた。今までのは冗談なのだとわかる。


「で?何用よ」

「あの、こちらに住んでいる人は鉱山事故で不自由な生活をされているとお聞きしました。もし何か手伝えることがあれば手伝いたいと思ったんです」

「いい子でちゅね~」

「じいさん」

「・・・すまんすまん。他所の人間がここを訪ねるなんて珍しいからの。それも若娘。ちと興奮してしもうて。・・・えーと?手伝い?手伝いといっても別に事足りてるしの」

「あの、ネラルク大公国では食料を自給していないとお聞きしたので、敷地に小さな畑を作ってはダメですか?モナちゃんでも手入れできるような小さな畑一つであっても、それなりに作物は実ると思いますし、余れば大公様に差し上げて分配を」

「ここで作物は実らんよ。いや、正しくは実っても食べられん。毒があるからな」


「え?」まさかの返答にロゼはその場に固まる。「山が毒されておるんじゃよ。この辺り一帯は鉱山じゃ。鉱山からは毒が流れる。水はもちろん土だっての」ボッツは器用に車椅子を操作し、戸棚から酒瓶を取り出す。


「ここらの鉱物は毒の塊じゃよ。もちろん幅広い用途があって生活を便利にさせるのも事実じゃが、その副作用も大きい。ワシはトンネルの中でガス中毒になった奴を何人と見てきとるし、製錬所で人々が苦しむ様も見てきとる。しまいには史上最悪の爆発事故までこの目で見た。・・・親方のくせに、中で作業する者誰一人助けられんかったよ」


ボッツが取り出した酒をグラスに注ぐ。一つ、二つ。一つのグラスをバイゼンに差し出した。バイゼンが顔を俯かせて一口酒を飲む。


「今やその山は赤く焼けた“死の山”とされておる。事故で亡くなった坑夫の血の涙だとな。その鉱山は閉鎖され、土地も荒れだし、誰も人を寄せ付けん。拒んでいるんじゃろうな。ワシらを」

「ボッツさんたちを?」

「散々山を荒らし富を得たくせに、いざ事故が起こったら自分らだけが生き延び、失った仲間たちを弔いもせん。足がなくて動けない、毒が怖くて近づけない、そんな言い訳を並べて山から逃げ続けるワシらを山が怒っとるんじゃよ」


「山の毒は天罰でしかない。山の怒りが、仲間たちの怒りが、ワシらを憎み、恨み続けとる。当然のことなのじゃよ」ボッツも一口酒を飲んだ。失った仲間を悼むように、ボッツとバイゼンは静かに酒を飲んでいた。


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