33.美しい姫と汚れた娘
怒りで顔をくしゃくしゃに歪めているセレスティアは元王女とは思えない足さばきで兄ゼイザックの元へ向かった。扉を開けるとゼイザックは帰る支度をしていて、それを見たセレスティアは「お兄様!」と大きな声を出した。
「セ、セレス!?どうしたんだ?」
「お兄様、もうお帰りになるのですか!?」
「そうだが、どうかしたのか?」
「お兄様!ディオが!」
セレスティアは婚礼衣装も着替えずゼイザックの元にやってきてはゼイザックに抱きつく。突然のことにゼイザックは驚き背中を壁にぶつけた。セレスティアがゼイザックに泣きつくことはあっても抱きつくことは殆どなかったからだ。
「結婚したのに!妻になったのに!ディオったら仮初の夫婦を演じなくていいって言うの!!」
「え?あ、そうか。あの、セレス、離れてほしいんだが」
「お兄様までそんなこと言うの!?お兄様は私のことが嫌いなの!?」
「そ、そうではないが。いや、あの」
ゼイザックは真っ赤な顔を横に向けてセレスティアから目を逸らす。その態度にセレスティアは頬を膨らましドンドンとゼイザックの胸を拳で叩いた。
「おかしいおかしいおかしいわっ!!あの子が来てからみんなおかしいわっ!!ディオもセバスチャンもあの子のことばかりで、お兄様だって私のことを!!」
「待ってくれ!セレスティア!私が君を嫌いになるはずがないだろう!どうしたんだ?何があったんだ?セレスティアの一番の味方であるお兄様に言ってごらん?」
ゼイザックがセレスティアの肩に触れる。肩を剥き出しにしたドレスを着用しているセレスティアの肌が直接触れて「うわああ!」とゼイザックは飛び退けた。またセレスティアの頬が膨れる。
「全部全部あの子が悪いのよ!!何が聖女よ!!悪魔のような子だわ!!人を惑わす能力を使ったのよ!!」
「セレスティア、落ち着いて」
「お兄様!本当に私の一番の味方であるのなら、どうか私の言うことをきいてくださいませ!」
「な、なんだい!?なんでもきくよ!?」
ゼイザックはセレスティアから距離を取りながら頷く。するとセレスティアの口から耳を疑う言葉が放たれた。
「あの娘を消してくださいませ!」
**
ロゼは展望台で一人街を見下ろしていた。街からは蒸気が上っており靄がかったようでよく見えない。今度は遠くの山へ視線を滑らす。この展望台から赤く焼けた“死の山”は見えなかった。
「もう日が暮れてしまいますよ?」
突然背後から声がした。振り返るとそこにはセバスチャンが立っており腕にかけていたブランケットをロゼに羽織らせる。
「部屋から見えたんですよ。夕暮れは急に冷えますから」
「ありがとうございます」
「元気ありませんね?」
「そうですか?そんなことありませんよ?」
「いくら気持ちのない結婚とはいえ、結婚自体は成立してしまいましたもんね」
セバスチャンの眉が垂れる。ロゼの元気がないのはガナッシュがセレスティアと正式に結婚したからだと勘違いしているセバスチャンに「ち、違いますよ!ガナッシュさんの結婚は別に!」と声を上げたが、ガナッシュの結婚式のことは忘れていただけで「あ・・・、そうじゃないんですけど」思い出すと少し淋しくなった。
「ロゼさんはいつまでここにいるんですか?」
「え?・・・わからないです」
「よければ僕と一緒にボワイアへ帰りませんか?」
「え?」
「式も済みましたから僕たちは帰らなければならないんですよ」
「そう、なんですね」
「よければ一緒に」
セバスチャンが優しく微笑む。ロゼは笑って返せなかった。
「ありがたいんですけど、やりたいことがあるので。すみません」
「やりたいことですか?」
「山への忘れもの、取りに行くにはどうしたらいいのかなって」
「忘れ物?ですか?」
ロゼが頷く。「この国は人々が温かくて素敵なところですね。皆さんからお互い仲間のような家族のような親しみを感じます。危険と隣り合わせの仕事だからこそ仲間を大事にして、山を荒らしている自覚があるからこそ罰を受け入れる。ケガを負った坑夫の皆さんは何も欲しがっていませんでした。何も欲しくない、だって失ったものはあまりに大きすぎて、それに取って代わるものなんて何もないんですよね」遠くを見るロゼの視線を追うようにセバスチャンも遠くを眺める。
「耳が痛い話です」
「え?」
「ネラルクの民たちは汗水流して汚れた仕事をしている。それを買い取るだけの僕たちは苦労知らずです。金を使うだけで金を生み出すことは何一つやっていない」
「そう、なのですか?」
「そうですよ。ネラルク大公国は資源に富んだ国ですからお金を沢山持っています。その恩恵にあやかるために父は小国であるネラルクを守ると軍部を強化しました。それが同盟の始まりです。そしてネラルク大公国が食料に乏しい国だと知ると、ネラルクから得た金で奴隷を雇い、広い国土を使って農産業を始めました。表面的に見れば、金のないボワイアと食料のないネラルクの共依存、言い方を変えれば協力関係というところでしょうけど、この取引の優位性はボワイア側にあるんです。ボワイアはネラルクから得た金でネラルクの弱みである食と軍を手に入れたのですから。その二つを失えばネラルク大公国は潰されます。軍部を強化したボワイアに手のひら返されれば武力行使で一瞬で。この同盟はそんな脅しも含まれています」
「こんなやり方、本当に・・・悔しい。ディオまで苦しめて、政略結婚だなんて」いつも穏やかな顔をしているセバスチャンなのに、眉を顰め奥歯を噛みしめる。「私は、ボワイア国も好きですよ?」ロゼの言葉にセバスチャンは首を振る。慰めなんかいらないといった様子だった。
「帰るのやめよう」
「え?」
「明日、兄上と帰るつもりでしたがやめます。僕はもっとこの国を知らなければいけない。あと、もっとロゼさんと一緒にいたい」
セバスチャンがぎゅっとロゼの手を握る。「いいですよね!?」前のめりで力強く言うセバスチャンに「・・・はい」なんの権限もないのにロゼは圧倒されてそれしか言えなかった。
**
次の日、帰るはずのゼイザックとセバスチャンは未だネラルク大公国に残っていた。というより、結婚式を終えてからゼイザックの姿をセバスチャンは見ていなかった。王室専用の馬車もある。侍従も兵士も残っている。どこに行ったのだろうとセバスチャンは迎賓館を探したがどこにもいない。
「あれ?」
王太子という立場であるのに、ネラルク大公国との同盟により安定した国政に胡坐をかいている兄ゼイザックは好奇心旺盛な部分があって無茶をすることが度々あった。特に溺愛する妹にはめっぽう弱く、セレスティアが望めばたとえ火の中水の中、どこへでも飛び込んでしまうのだという話は城の中では有名な話だった。
「まさか?」
セバスチャンは嫌な予感がしてルイズベート家の邸宅に足を運んだ。正面玄関には屈強な侍従テラが立っている。「どうかしましたか?」テラがセバスチャンに訊ねた。
「ディオに会えませんか?」
「坊ちゃんにですか?多分・・・大丈夫だと思いますよ。さっきセレスティア様がお出かけになったので一人でくつろいでると思います」
「あ!」とテラが慌てて口を塞ぐ。セバスチャンは顔を横に振り「いいんです。姉上がご迷惑をお掛けして申し訳ありません」にっこり微笑んだ。テラは笑えていない。
「けど、姉上がいないことが確認できたのでもう大丈夫です」
「え?どういうことで・・・?」
「僕は血の繋がりなど気にしないのです。だって僕を閉じ込めた家族なんかより、僕に寄り添ってくれた人たちの方が大事ですから」
セバスチャンがにっこり微笑む。まだテラは笑えていない。
**
「待たせた!セレスティア!」
声を弾ませたゼイザックが変装を解きながらセレスティアに駆け寄る。「お兄様、どこに行ってたのですか?」いつも綺麗に固められている髪を乱し、顔も薄汚れているゼイザックにセレスティアは距離を取る。鼻と口を手で覆い汚らしい鼠でも見るかのように目を細めた。
「怪しい商人を演じていたんだ。見苦しくてすまない」
「商人?」
「闇市に行ってきた。そして丁度手頃なものを手に入れたよ」
ゼイザックが右手に吊るしている籠を目の前の高さに持ち上げた。「それ、なんですか?」セレスティアは変わらず顔を歪めて近づこうとしない。
「サソリだ」
「サソリ!?」
ゼイザックから更に距離を取ったセレスティアは恐怖に涙を浮かべる。「大丈夫、セレスに危害を加えたりなんかしない。あの、ロゼとかいう娘の部屋に放ってやろう。きっと驚くし刺されたらあの世逝きだ」上機嫌でサソリの入った籠を揺らすゼイザックから逃げるようにセレスティアがその場を立ち去る。
「ど、どうして逃げるんだ!」
「怖いからに決まってるじゃないですか!」
「セレスの無事は保障するよ」
「近寄らないでくださいませー!!」
セレスティアに逃げられてあからさまに凹んだゼイザック。「・・・・あの娘のせいだ。あの娘のせいで私はこんな汚らしい格好をするはめになり、大好きな妹に嫌われてしまった。許せん」完全に八つ当たりでしかない。
ゼイザックはロゼたちが泊まっている部屋の前までやってきた。こっそりドアを開こうとドアノブに手を掛けるとバンッと勢いよくドアが顔面に向かってきて激突した。「・・・え?ゼイザック様?何してるんですか?」ボワイア国の王太子の顔面に扉をぶつけておきながら謝罪もせず動揺もしないローウィンを非難したかったが顔の痛さによりそれどころではなかった。
「なんの仮装ですか?それ」
「う、うるさいっ!無礼な奴め!妹の立場により咎めたりはしないが、ネラルク大公国はもっと私たちボワイアに忠義を」
「え?サソリ?」
なぜローウィンが籠の中身を知っているのだ?ゼイザックは自分の右手にある籠を持ち上げる。底がパカッと抜けていた。そのまま視線を地面に落としていく。ゼイザックの足元に黒い塊が見えた。大きなハサミとピンと立った尻尾を確認して「ぎゃあああああっっ!」断末魔のような叫び声が迎賓館に響く。
「サソリサソリサソリィィィィ!!」
「いや、アンタが」
ゼイザックはローウィンの目の前から立ち去り猛スピードで逃げていく。なぜか廊下に落とされたサソリはゼイザックを追っていった。必死な形相で向かってくるゼイザックを見たセレスティアは全てを察し「いやーっ!こっちにこないでくださいませっ!!!」同じように全速力で逃げた。迎賓館が騒がしくなる。数少ないルイズベート家の使用人たちも集まってきた。
「捕まえろっ!!今すぐ捕まえろっ!!」
ゼイザックが叫ぶ。だが状況を理解できていない使用人たちは動かず、逃げ惑うゼイザックとセレスティアを眺めるだけだった。
そこに暗殺の対象であったロゼが現れる。「向こうだ!向こう!あっちに行け!」言葉が通じるのかわからないがゼイザックは必死にサソリに呼びかけるとロゼを指さした。サソリはロゼのところに行こうとはせずに、逆にロゼがサソリに近づいていった。
「えいっ」
コンッと軽い音がした。ロゼが行商箪笥の引き出しの一つをサソリに被せた音だった。
「何捕まえてるんだ!!殺せ!!今すぐ殺せ!!」
「え、勿体ないじゃないですか。サソリは色々使い勝手がいいんですよ。食べれますし」
「バ、バカもんがー!!!」
声も身体も震え上がらせたゼイザックが叫ぶ。隣でセレスティアも顔を蒼褪めさせて震えていた。「ほとんどのサソリは人間を殺すほどの毒をもってませんよ」引き出しを少し上にあげてロゼは素手でサソリを捕まえる。「「ひゃああっっ!!」」ゼイザックとセレスティアが同時に叫んだ。「連れていきますね」尻尾を掴んでぷらーんと垂れ下がったサソリを持ったままロゼが立ち去っていく。心なしかスキップしているように見えるのは気のせいか。
「お兄様!何してるんですか!全く効果ないではないですか!」
「恐ろしい・・・さすが土人だ」
「感心している場合ではありません!」
「あ、安心なさい。もう一つ手を打ってある」
ゼイザックは乱れた髪を整え、いつの間にか垂れていた鼻水を服の袖で拭く。
「本当はこんな手を使いたくはなかったのだが、セレスティアの心を案ずると禁忌に手を出すしかなかった」
「禁忌?ですか?」
「始末屋に依頼してきた」
セレスティアの蒼褪めた顔がもっと蒼くなる。「そ、そこまでしてと頼んでは」奥歯がカタカタ音を立てて膝が震えだしたセレスティアはその場に尻もちをつく。
「大丈夫だ。始末屋というのはただの殺し屋ではない。物騒な奴らは見せしめのために派手に殺すようだが、一般人をターゲットにした場合はわからないように上手く処理すると評判で」
「え?それ無理だよ?」
ゼイザックとセレスティアの二人しかいないと思った廊下の隅っこで急に声がし、二人は飛び上がるほど驚いた。恐怖に身体が硬直し振り返ることもできない。視界の横から影が通り過ぎる。目の前に現れたのは一枚の紙を手に持ったビーグルだった。
「ざーんねんでした。ブラッドさんは来ないよ?」
「ブ、ブラッド?」
「ボスにダメって言われた、だから行かない、だって。久々に暗号の電報もらっちゃったな。俺もうBUGじゃないのに」
「な、なにを」
「ウチの聖女様はね~闇の組織にまで顔が利くのよ。それって逆を言うと、ロゼちゃんの指示一つで君たちの命パアになっちゃうよ~?」
ビーグルが最大まで口角を上げる。ゼイザックもセレスティアと同じようにその場にへたり込んだ。小さく震えてる。
「王族だからって容赦しないよ?次、ロゼちゃんに何かしたら、俺はビーグルとしてじゃなくて裏の顔でお前たちのこと食っちゃうから」吊り上がった目を更に吊り上げたビーグルはガチガチと歯を鳴らした。ゼイザックとセレスティアが震えあがる。ひひっと笑うビーグルの後ろで「なんの騒ぎだ?」ガナッシュの声がした。
「あらあらガナッシュ君にちっこい王子。最高に面白い舞台見逃しちゃったね」
「はあ?それより何かあったのか?」
「詳しいことはそっちの二人に聞いてよ。俺はとりあえずこれ渡しておくね」
ビーグルがガナッシュに一枚の紙を渡した。「ブラッドさんのは暗号だけど、ボスからの文章は読めるようになってるから。はい、頑張って」ガナッシュが紙を受け取るとビーグルは去っていく。「・・・なんだ?」首を傾げながらガナッシュは渡された紙に目を落とす。
ケッコンオメデトウ シュウギヤルカラ ロゼヨコセ
ガナッシュは怒りに任せて紙をくしゃくしゃに丸めるとビーグル目掛けて投げつけた。




