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第二十二話 残す米

 倉の戸を開けると、乾いた藁の匂いがした。


 庄吉が先に入り、入り口に近い俵の下へ手を入れた。床へ渡した木との間を確かめ、次に壁際を見る。私は戸を押さえ、外の光が入るようにした。


 春に置き場を教えてもらった倉だった。板壁の節も、敷居の欠けたところも覚えていたが、俵はずっと少なくなっている。奥に二つ並んだものに、父の店の印があった。


「こちらです」


 いと殿が指した。


「出る者へ持たせた米もあります。皆が一度に発ったので、こちらで食べると思っていた分を、道中へ回しました」


 私は頷き、二俵の口を見た。結び目は、送ったときのままに見える。庄吉にも確かめてもらってから、一つの縄を緩めた。


 掌へ取った米に、顔を近づける。


 倉の空気から離れ、明るい戸口で米を見た。鼻につく匂いはなく、粒同士が湿って固まったところもない。指で寄せると、送る前に見たのと同じように細かな欠けが分かれた。


 庄吉が、ほどいた口を持ったまま待っていた。


「今見えるところは、よさそうだ。下はどうだった?」


「乾いてた。床の木も。ただ、奥まで全部は見てないぞ」


「量るときに、底の分も分けて見よう。そこまで確かめてから、買い手へ見せたい」


 庄吉は頷き、もう一つの俵を出せるよう道を空けた。


 いと殿が枡を取りにいった。私は、もう一つの俵を庄吉と動かした。


 米を出す音が、倉の中で大きく響いた。枡の縁を越えた粒を掌で寄せ、次へ移す。三斗分あることを確かめる間、いと殿は取り置く米の方へ何度か目をやった。


「この二俵を出しても、お困りには」


「困らぬように、残す方を先に決めました」


 いと殿は、壁際の口の開いた俵と、別の印の付いたものを示した。


「家の飯の分はこちらです。田の方から入る米を待つことになりますが、それまでの分は置いてあります」


 いと殿は、田から米を入れる日と、それまでに使う量を話した。私はその日を自分の紙にも残した。春に見た大きな釜は今は使わず、家に残る者の分で数え直しているという。ここからさらに米を出してもらう話は、しなかった。


 残す方の俵へ、庄吉が新しい荷を寄せないように足を引いた。いと殿はそれを見て、もう一方の戸も開けてくれた。


     *


 炊事場へ戻ると、いと殿は小さな袋を持ってきた。


「銭は、二百八十文なら、今日お渡しできます」


 私は帳面へ記した。千四百文からそれを引けば、千百二十文。残る米を幾らで扱えるかで、父へ持ち帰る額が変わる。


「二俵の方は、売ったときの値のままとは、申し上げられません」


「戻す舟賃も要りましょう」


 いと殿が先に言った。


「ええ。向こうでまた売るまで、置いておくことにもなります」


 私は紙へ二俵と書き、その下を空けた。


 いと殿が、袋の口を締め直した。まだこちらへ渡してはいない。私が何を言っても、受け入れると決めているわけではなかった。


「持ち戻る費用を確かめてから、値を申し上げたいのです。それと、もしこちらで買う家があれば、そちらへ売って、米代へ回すこともできますか」


「代がその場で頂けるなら。誰かへ渡して、また銭を待つのは困ります」


 その通りだった。


 庄吉が隣で、浜の方角へ顔を向けた。


「今朝寄った家、米を買うかもしれん」


「舟を待ったところ?」


「ああ。泊まりの者にも、舟の者にも飯を出す。前に運んだとき、何俵から分けるのかと聞かれた」


 私は庄吉を見た。


「それ、いつ」


「お前が来なかったとき。今度聞いてくると言って、次には米は足りたと言われた」


 庄吉は、言ってもよかったかという顔でいと殿を見た。


「そこへ一度、尋ねてきてくれますか」


 いと殿が言うと、庄吉は頷いた。


 私は一緒に腰を上げた。米の見本を分けてもらい、まだ買い手が決まったわけではないと確かめる。二俵ともその家へ運んでしまうのは、話がついてからにした。


「日が落ちる前には戻ります。値が合わなければ、またここで相談させてください」


「今夜の飯は、二人分ですね」


 いと殿が尋ねた。


「はい」


 庄吉と声が重なった。いと殿が初めて少し笑い、私たちも肩の力を抜いた。


     *


 浜の家では、主が薪を積み直していた。


 太いものを下へ、細いものを上へ置いている。軒からはみ出した端を足で押し込む間、庄吉は手伝おうとして、途中で手を止めた。頼まれた用の話を先にした方がよいと思ったらしい。


「米のことで、聞きたいことがあるんです」


 主は立ち上がり、腰へ当てた布で手を拭いた。


 米を二俵、すぐに買う用はないか。庄吉がそう尋ねると、主は家の中へ声を掛けた。年配の女が出てきて、二人で残りを話し合う。


 義秋の一行が去っても、この浜を使う人々までいなくなったわけではない。旅人の数は読めなかったが、舟を待つ者の飯は要った。主は、買い足すつもりではあると言って、私の包みを受け取った。


「どこの米だ」


 私は坂本の桂本屋から出した米であることと、弥三郎殿の家で受け取り、今回、余った分を売りたいことを話した。


 主は米を見たあと、また私へ目を戻した。


「預かっている客のものを、家の都合で出すのではないな」


「違います。うちがあの家へ売った分です。奥方にも、こちらで買い手を探してよいと伺ってきました」


「なら、明日、見にいこう。これと同じ米で、うちの枡で三斗ずつあれば、一俵二百八十文。ここまで持ってきてくれれば払う」


 二俵で五百六十文と書き、運ぶ手間の欄を空けた。坂本で売ったときと同じ値でも、手元へ残る額はまだ決まらない。


 主に、向こうの家から担いでもらえる者を紹介してほしいと頼んだ。庄吉は道の曲がり角と倉の場所を話し、雨になったら足元がどうなるかを尋ねた。


 頼める者が二人いるという。実際にそのうちの一人が来て、二俵を運ぶ手間は合わせて四十文、と決まった。翌朝、主と一緒に弥三郎殿の家へ寄ってもらう。雨がひどければ、荷を濡らしてまで運ばず、その場で相談する。


 返事をする前に、明日戻る舟の者にも値を聞いた。米を二俵増やすなら、舟賃と両方の浜での荷の上げ下ろしを合わせて、別に六十文。弥三郎殿の家から、この浜へ運ぶ四十文は、どちらへ売っても掛かる。


 私は覚えの脇へ、二つの行き先を書いた。


 ここで売れば、五百六十文から運ぶ四十文を引き、五百二十文が残る。坂本へ戻すなら、運ぶ分は合わせて百文。そこでも同じ五百二十文を残すには、二俵で六百二十文、一俵を三百十文で売らなければならない。


 父の店では、今、同じ米を二百八十文で売っている。


「そこには、お前たちが来た舟の分は入れんのか」


 浜の主が、紙を覗いて尋ねた。


「私たちの旅費は、どちらへ売っても出ます。いま比べたいのは、米を坂本へ戻すために増える分です」


 店へ戻れば、この旅費と庄吉の手間も含めて父へ見せる。その勘定と、今どこへ売るかの比べ方は別だった。値上がりを待つために、この家の米を引き受ける用ではなかった。


 私は五百二十文の方へ、小さな印をつけた。


「こちらの値で、奥方にお話しします」


 帰り道、庄吉が尋ねた。


「あの米は、うちが買うのか」


「奥方には、まだ決めていない。けれど、このままなら、あの家から直接売ってもらう方がいいと思う。米代へ回せる額は、同じだから」


「米を売る話をまとめても、お前の店には、その手間の代は入らんのか」


「うん。今日は先に売った米の代を、返してもらいに来たんだ。浜へ売って残る銭を、その支払いに回してもらう。新しく手間の代を取る話はしていないよ」


 庄吉は少し考えた。


「なら、あの家へ売るのは俺が話してもよかったな」


「そうだね」


 返事をしてから、私は庄吉を見た。


「もう少し、任せればよかった」


「次、米を見に来たら、俺が案内する。お前は奥方と銭の話をしてろ」


 庄吉が道端の石を避け、そのあとを私も通った。今度はあの家へ彼が話す。浜へ戻る道まで教えてもらいながら、私が先に口を出すこともない。


     *


 いと殿は、灯をつける前の炊事場で話を聞いた。


 二俵の代、五百六十文から運ぶ四十文を引き、五百二十文を父の店への支払いに回す。別に二百八十文を頂けば、戻る分は八百文。残りは六百文になる。


 父が待てると言った範囲に収まる。


 私はそこで初めて、九月の末まで待てることを伝えた。


 いと殿は、すぐに頷かなかった。自分の紙を膝へ寄せ、指で幾つかの字を追う。私たちの後ろで、女が竈へ薪を足した。火が明るくなり、いと殿の手の影が大きく揺れた。


「田から入るものを確かめ、銭にする手配をします。主人へも知らせますが、返事を待たなければ払えぬ、ということにはしません」


 いと殿が顔を上げた。


「九月の末までに、六百文。それなら、引き受けます」


 私は、米の代の残りとして記した。


 いと殿が、私の書いた紙を覗いた。字を確かめている間、子供が炊事場の入り口へ来た。何か言いたそうにしていたが、母の膝に紙があるのを見て、その横へ座った。


「寝るところは、もうできたの」


 いと殿が聞くと、子供は頷いた。


「二人、いっしょでいい?」


「それは、お客様へ聞くのですよ」


 子供が私たちを見た。庄吉が、いいぞと答えた。


 いと殿は紙を畳み、子供の肩へ一度手を置いた。それから私へ、明日、米を渡して銭を受け取ったところまで、もう一枚書いてほしいと言った。


「主人が戻ったとき、ここから話せるように」


 私は頷いた。


 夕飯には、刻んだ菜を入れた汁が出た。春より膳の数が少なく、誰かが椀を取り落とすと、皆がそちらを見るほど静かだった。


 私は箸を持ったまま、母屋の奥の、空いた座敷へ目をやった。


「十兵衛殿のことを、何か御存じですか」


 いと殿は、汁をよそい終えてから答えた。


「出立の前に、主人と話しておられました。それから先は、私も存じません。何かお預かりのものが」


「書物を二冊。こちらから送る先が、まだ」


「文は、お出しになったのですか」


「いいえ。先方から知らせがあるまで待つことになっています」


 いと殿は、そうでしたか、とだけ言った。


 私は光秀がこの先、生きて信長に仕えることを知っているつもりだった。それなのに、今どこにいて、今夜、どこで飯を食べるのかは分からない。


 いと殿には、主人がどこへ着くかという確かな知らせさえ、まだ来ていなかった。


 きっと大丈夫だと言いかけた口へ、私は汁を運んだ。


     *


 翌朝、浜の主と運び手が来た。


 庄吉は倉へ案内し、米を出す敷物を広げた。私は炊事場に残り、いと殿から二百八十文を受け取った。米の方は、買い手が量と質を確かめてからだった。


 少しして、庄吉が顔を出した。


「二俵とも、よいそうだ。今から出す」


 私はいと殿と庭へ出た。


 運び手の一人が俵を立て、もう一人が下の縄へ手を回した。庄吉は門の戸を開け、荷が引っ掛からないところまで押さえる。二俵が庭から消えると、いと殿は倉へ戻り、残した米を一度見てから戸を閉めた。


 浜で代を受け取り、運び手へ手間を渡す。私は庄吉に銭の袋を見ていてもらい、家へ戻る浜の者に頼んで、売れた額と費用、米代へ回した分を書いた紙をいと殿へ届けてもらった。いと殿の手元にも残るよう、昨夜書いた控えとは別に用意しておいたものだった。


 帰りの舟へ乗るころには、空が明るくなっていた。


 二つの袋を膝へ載せると、合わせて八百文の重さがあった。父から受け取った旅費の袋とは分け、荷へ収めた。


 庄吉は舷の近くへ座り、まだ揺れてもいないのに、少し嫌そうな顔をしていた。


「横になった方が楽?」


「今は、話しかけない方が楽だ」


 私は口を閉じ、持っていた水を彼の手元へ置いた。


 舟が岸を離れた。浜の家が少しずつ小さくなる。あの家の米櫃には、今日、父の店から出た米が入る。いと殿の家には、そこで暮らす分が残った。


 舟が落ち着いたところで、父へ見せる紙を取り出した。


 初めの行に、八百文を受け取ったと書いた。次の行の六百文は、消さずに残した。

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