第十七話 紹介の文
紙二十枚の包みは、舟の荷の隙間へ収まった。
その上から別の箱を載せられそうになり、私は脇へ手を出した。包みを少し内へ寄せてもらう。運ぶ者には中身と受け渡す家を伝えてある。ここまで来てから何度も言い足すのは、相手も困るだろう。
「まだ、何かあるか」
孫七が私を見た。
「いえ。お願いします」
「じゃあ、そこを空けてくれ」
舷から手を離した。後ろで待っていた男が箱を抱えて進み、私は浜の方へ退いた。薄い紙の荷も、北へ行く幾つもの荷の一つになった。
受け取ったという返事が届き、代のやり取りまで済んだとき、控えの最後へ線を引いた。六十文で仕入れた紙に、買い集めて包む手間と、先方まで送る分を加えている。父へ返す銭、運んでくれた者へ払う銭を分けると、店に残るのは小さな山だった。
それでも、前の見本を選び直す必要はなかった。紙屋で値と品を確かめるところから始められたし、渡す家も決まっている。最初の一包みより、少ない手間で届けられた。
私は次の用に使うため、包みの大きさと送った日を、控えの端へ書き添えた。
冬の間にも、紙や布の相談が幾度か来た。いつも同じ数ではなく、何も頼まれない月もあった。手元の紙が尽きる前に欲しいという文には、いつもの荷に添えられるか、浜で確かめてから返事を書いた。
ある日、私が留守の間に紙屋から品が届いていた。戻ってくると、母が乾いた棚を指した。
「あの方のだろう。お前の控えを久蔵さんに見てもらったよ」
包みへ手を伸ばす前に、控えを開いた。頼んだものが、頼んだ数だけある。
前の世で、休んだ日に仕事が片づいていたことがある。ありがたかったくせに、翌朝、机へ座ってから、わざわざ途中のやり取りまで見返した。今も似たことをしかけて、紙を閉じた。
「助かった。ありがとう」
「なら、次はこっちを」
母に空の桶を渡された。
紙の注文が増えても、汲んでくる水の量は減らなかった。
*
年が改まり、永禄九年の春になった。
山に白く残っていた雪が細くなり、浜へ下りる道の両側には、乾いた泥が薄い皮のようにめくれていた。朝はまだ息が白い。店先に日が入るころになると、荷を担いだ者が首の合わせを緩める。
私は倉から出す米の控えを、庄吉に読んでもらっていた。
よく行く家の名は分かるようになっていたが、久蔵が急いで書いた字になると、二人で首を傾けることがある。今日は父の字だった。庄吉が一行ずつ指で追い、倉へ付ける印と見比べていく。
「これで、六つ」
「うん。その次が四つ。そっちは、あとから取りに来る」
「じゃあ、奥の方を先に出すぞ」
庄吉が紙を戻したところへ、人が入ってきた。
細い縞のある茶の小袖に、裾を絞った袴を着けた男だった。腰に刀がある。戸口で草鞋の土を落としたあと、敷居を跨ぐ前に中を見回した。
「清兵衛殿の御店か」
「はい」
「明智十兵衛殿から、こちらへと」
私は手に持った控えを庄吉へ返し、男の前へ進んだ。
父は庭で、倉の戸の掛け金を見ていた。呼ぶ声を聞いて戻ってくる間に、男が懐から文を出した。折った紙の表には父の名があり、その下に、私の名も添えてあった。
受け取った父が、私にも見える向きで開いた。
見慣れてきた光秀の筆だった。
この者から、米を売ってくれる家を知らぬかと尋ねられた。坂本であれば、清兵衛殿に相談するのがよかろうと伝えた。品と値、受け渡しのことを聞いてほしい。
そういう内容だった。今回、代を払うのは光秀ではない。文にも、相手の話を聞いて、相談のうえで決めてほしいとある。
読み終えた父が、男へ座るよう勧めた。私は机の上を空け、紙と硯を脇へ寄せた。
「どれほど、御入り用ですか」
「まず、十俵」
男は指を二本、膝へ揃えて置いた。
「それを、五日ほど先まで取っておいていただきたい。代は、引き取る折に」
「運ぶ先は」
「矢島です。向こうの者へ食わせる米で」
矢島。湖を挟んだ東側の、野洲の方だった。名は聞いているが、私はまだ荷を届けたことがない。今津へ北上する舟とは、行く先が違う。
父は米の質を尋ね、男は、まず普段の飯にするものを見たいと答えた。
私が倉から小さな籠へ米を取って戻ると、男はすぐには値を聞かなかった。掌へ載せ、粒を寄せ、顔を近づけた。私にも見るよう籠を傾けたので、戸口の明かりが当たるところへ置き直す。
男は割れた粒を一つ拾った。
「これが、どれくらい交じる」
「今お見せしたのと、同じ米を出します」
父が言った。
「一俵三斗。こちらの枡で量ったもので、一俵二百八十文。浜へ出すところから先は、別に御相談です」
男は頷いた。
「舟と、向こうで受け取る者は、こちらで用意します。浜までは、そちらで運んでいただきたい」
数と値が紙へ並んだ。十俵、二千八百文。それに浜までの手間を足す。
父はそこで、筆を持つ私へ目を向けた。
「引き取る日まで待つとなると、こちらも、その十俵をほかへ出せません。少し、先にお預かりできますか」
「それが、今日は」
男は懐へ手をやりかけ、膝へ戻した。
「今日は先に値と量を決めてこいと言われております。手元の銭は、その五日をつなぐ米に充てるつもりでして」
父は相手を見たまま待った。
「急に米を増やすことになりましてな。向こうも銭を集めている。日をいただければ、持ってこられる」
「五日と、決まっておられますか」
「そのつもりです」
庭から、俵を引く音がした。父がそちらへ一度顔を向ける。今出している分も、先に買う者が決まっていた米だ。
男は、机の端に置かれた光秀の文へ目を落とした。
「十兵衛殿のお話では、ここなら米があると」
「米はございます」
父は答えた。
「取っておく日と、代を頂く日を、ここで決めたいのです」
男の指が、膝の上で少し曲がった。
目の前の相手を追い返せば、光秀へも話は戻るだろう。そう考えると、私まで机の上の文が気になった。頼って紹介してくれたのだから、どうにか引き受けたい。
ただ、紙を送るときと同じように、父の店の銭を使ってよいとは思えなかった。米を持っていかれなくても、十俵を五日間動かせなければ、その間に別の客を断るかもしれない。約束の日に来られなくなれば、また父が判断することになる。
男はしばらく黙り、籠の米を指で均した。
「今日は戻って、銭の用意ができてから参った方がよいか」
腰を浮かしかけたところで、私は声を掛けた。
「五日の間の米は、どこで求めるのですか」
男が私を見た。
「戻ってから、近くで。まとまった量は難しくても、二俵くらいなら、分けてもらえると思っている」
「では、その二俵をこちらで先にお渡ししたら。十俵のうち、残りの八俵だけを置いておくのでは、いけませんか」
父は口を挟まなかった。私は続けた。
「向こうで米を探す手間も省けますし、今日持ってこられた銭で、御相談できると思うのですが」
男は、初めて銭の袋を出した。口を開いて中を見せるので、私は少し身を引いた。持ち金を全部見せてほしいというつもりではなかった。
「二俵なら、払える。浜までの分もある」
「それなら、残りは八俵ですね」
父へ顔を向けると、父は手元の覚えを引き寄せた。倉へ積んだ分と、北から次に入る分を見ている。私はその間、十の字を消さず、脇へ二と八を書いた。
「八俵を、五日。取り置く分に六十文、別に頂けるなら」
父が言った。
男は袋から目を上げた。
「それは、米代から引く分ですか」
「いいえ。米をほかへ売らず、御約束の日まで置く分です。買われるときは八俵の代、二千二百四十文を、別に頂きます」
私は紙へ六十文と書き、米の値から少し離した。
扇屋への米を取り置いてもらったとき、うちも先に銭を払った。米が来て取り置きを解いても、戻らない八十文だった。あのとき父が頭を下げた相手と、今、父がしている話とが重なった。
男は二つの数字を見比べた。
「その八俵は、五日の間に値を上げずに」
「はい。お見せした米で、二千二百四十文です」
「五日を過ぎたら」
「そこで、いったん取り置きを解きます。まだ要るなら、改めて御相談ください。そのときの米と値までは、今は請け合えません」
男は、すぐに返事をしなかった。
上がり口へ落ちていた小さな藁屑を、爪で脇へ寄せた。父は庭へ声を掛け、別の客へ出す米は予定どおり運ぶよう伝えた。私たちの返事を待って、倉まで止めておくわけにはいかなかった。
「六十文あれば、ほかにも買えるものはある」
男が言った。
「それは、そうです」
父が頷いた。
「今日は二俵だけ買って、残りは銭が来てから、そのときある米を求められてもよいのです」
私は、最初に書いた五日のところを指で押さえていた。男がそこで息を吐いた。
「戻ってから、もう一度、米を探すのは避けたい」
男は袋を机へ置いた。
「八俵、取っておいていただこう。五日の間に、こちらから使いをやる」
*
米を二俵、庭へ出している間に、文を書いた。
今日買ってもらう二俵の代は五百六十文。八俵を取り置く分は六十文。それとは別に、今日の二俵を浜まで運ぶ手間を確かめる。
父が銭を受け取る横で、私は、残る八俵をいつまで、どの値で置くかを書いた。相手の家と、使いに来た男の名も確かめた。光秀の名は、支払いを約束する者のところへは入れなかった。
書き終えて見せると、男は初めの行へ指を置いた。
「二俵、と先にあると、十俵を求められなかったように見えるな」
私は紙を手元へ戻した。
十俵を探してこいと言われて、二俵だけ持って帰る。戻った先で、同じ話を初めからしなければならないのだろう。用意できた八俵のことを話す前に、少ない荷を見られる。
「初めに、御相談は十俵、と書きましょうか。そのうち二俵を今日お渡しして、八俵は五日間、こちらに置くと」
「それなら分かる」
「ただ、残りの代を頂いてから渡すことと、日を過ぎれば取り置きを解くことも、同じところへ書きます」
「ああ。そこを隠して戻ったら、次は俺が困る」
男が少し笑った。
私は新しい紙へ順を変えて書いた。余白に浜までの手間を添え、父に見てもらう。父は買い手の名と日を指し、そこを声に出して読み合わせた。
男も同じ日を繰り返した。
墨が乾くのを待つ間、私は光秀の紹介の文を畳み直した。
「十兵衛殿とは、長いお付き合いなのですか」
「いや。こちらで米の話のできる家を探していると申し上げたら、ここを教えてくださった」
男は荷の支度をする庭へ目を向けた。
「若い者がおるが、話はよく聞く。分からぬことも、よく聞く、と」
父が私を見た。
「それは、同じことではないんですか」
つい尋ねると、男は肩を揺らした。
「俺にも分からん。お会いになったら、聞いてみるといい」
父は口元を押さえ、私は紙の端が乾いたか確かめた。
庭では、庄吉が二俵を並べていた。外へ運ぶ前に、男にも印を見てもらう。男は腰を落とし、片方の縄へ手を掛けて、確かめるように少し持ち上げた。
「これで、向こうへ戻れる」
低い声だった。私に言ったのか、米へ言ったのか分からなかった。
浜へ届ける刻限をもう一度話すと、男は先に舟の者へ伝えてくると立った。もう一俵を運ぶ者も、すぐに寄越してくれるという。戸口へ向かう途中、振り返る。
「書いた方も、荷へ添えてくれ。湿らせんように」
「はい」
男が出ていくと、戸口に残っていた冷気が薄れた。
父は受け取った銭を分け、六十文の方へ別の紙を添えた。私は八俵の控えを取り、倉へ持っていこうとした。
「置く場所を、庄吉と久蔵にも伝えておけ」
「分かってる。五日先には、残っていても一度、父さんに知らせる」
「ああ」
父の返事を聞き、土間へ下りかけた。そこで、もう一つ気になっていたことを尋ねた。
「矢島には、そんなに人が集まっているの」
「御所へ出入りする者がおるからな。皆がそこで飯を食うわけでもないが、泊める家には、米も薪も要るだろう」
「御所?」
父が顔を上げた。
「去年、奈良からお移りになった方だ。亡くなった公方様の弟君。寺を出られて、今は義秋様と名乗っておいでだそうだ」
よしあき。
聞き覚えのある名だった。私は、今の名はどういう字を書くのかと尋ねた。父は脇の紙片を取り、筆先へ墨を含ませた。
義秋。
書き終えた字を、私は覗き込んだ。
足利義昭。信長に伴われて京へ入り、やがて信長と争う将軍。その人なら知っている。けれど、義秋という字で、いま湖の向こうにいるとは知らなかった。
「矢島の御所そのものへ、うちが納めるわけではないぞ。今日は、あの者から頼まれた十俵だ」
父の声で顔を上げた。
「うん」
ついさっき書いたばかりの買い手の名を、もう一度見た。父の書いた義秋の二文字は、その横の、別の紙にある。
今度光秀に会ったら、尋ねてみたい。あの人は、矢島にいる公方様の弟を知っているのだろうか。
どこへ文を出せば本人に届くかさえ、私は、そのつど確かめていた。紙を何度か買って送っただけで、随分近づけたような気になっていたらしい。
戸口から、庄吉が呼んだ。
「宗助、もう出すぞ。文はできてるか」
私は書付を乾いた紙で包み、土間へ下りた。一俵は、舟から来た男がもう担いで出たところだった。残る俵へ包みを結び、庄吉に外へ運ぶ支度ができたことを伝える。
開け放した戸口から、比叡おろしの風が吹き込んだ。さっき庭へ散った藁屑が、土間の隅まで転がってくる。
「私も行く」
「なら、そっちの端を持ってくれ」
庄吉が俵の下へ通した荷縄を寄せた。私は言われたところを握った。声を合わせて持ち上げると、縄が掌へ食い込んだ。
「歩くの、もう少しゆっくり」
「まだ一歩だぞ」
庄吉が笑った。俵を二人の間に吊り、私は敷居を跨いだ。




