97.ロイヤル・ナイン
ロイヤル・ナイン
ホープ号は、そのままボストンを出航し、ニューヨークへと向かっていた。
その短い航海中に、メンバーは、トムとジョセフの構想を聞き、議論を交わし、各々の役割を決めた。
「すみません。こちらにフランクリン殿がおられると聞いてきたのですが、お取り次ぎ願えますか?」
ジョセフは、フィラデルフィアの港で馬車を拾うと、フィラデルフィア・アカデミーの門番に声を掛けていた。
「フランクリン学長に面会ですか?お約束は?」
「はい。先週の内に手紙をお出ししてお願いはしたのですが…。」
「お名前をお聞かせいただけますか?」
「ジョセフと申します。」
門番は、門の脇の小屋に入ると、リストを確認しだした。
「えーと、ジョセフさん。あ、ありました。この門の正面の校舎に入って頂き、中の受付にご用件を言って下さい。」
「はい。有り難うございます。」
ジョセフは、大学の広い前庭をゆっくりと歩き出した。この間、春が来たばかりというのに日差しが強く、軽く汗ばみだす。
フランクリンは、学長室の窓から、何の気なしに、前庭を眺めていた。三階の窓からは、日差しの強まりだした校庭が眩しく光って見える。
その日差しの中を、一人の男がゆっくりと歩いている。教授の誰か、だろうか?それにしては服装が質素すぎる。男は一度立ち止まり、帽子を手に取ると、その帽子で顔に風を送り、校舎を見上げた。
「ジョセフ?ああ、間違いないジョセフ氏だ!」
慌てて学長室を飛び出したフランクリンは、階段を駆け下りた。
「はあ、フランクリン学長に御面会ですか?」
受付にいた女性が、質素な服装の面会希望者の姿をつま先から値踏みをする様に見た。
「お約束はおありですか?」
「はい。一週間ほど前にお手紙を差し上げております。」
「お約束の時間は何時ですか?」
「はあ、手紙を出した後、すぐに船で旅立ちましたので、返事は受け取れていないのですよ。」
「困りましたね。きちんとご予約を頂けていないと…。」
受付嬢は、どうやって、この男を追い返そうかと考え始めていた。そこに、階段を駆け下りてくる大きな足音が聞こえてきた。
「ジョセフさん!」
息を切らせたフランクリンが、やっと声を絞り出す。
「やあ、ベンジャミン。お久しぶりです。」
「お、お久しぶりです。港からでも使いの者を寄こして頂ければ、私の方で出向きましたのに…。」
「なあに、久しぶりにフィラデルフィアの街の様子見たかったものですから。
突然の訪問になり申し訳ありません。少し、お時間を頂けないでしょうか?」
「お手紙を頂いた時から、ずっとお待ちしておりました。」
ようやく、息切れが収まり、フランクリンは、ポケットから取り出したハンカチーフで額の汗をぬぐう。
「き、君。何をしているんだ。ジョセフ氏を一番上等な応接室にご案内してくれ。」
学長に命じられた受付嬢は、状況が理解できずにキョトンとしている。
受付嬢の反応の悪さに、あきれたフランクリンは、自ら案内を始めた。
「もういい。さ、ジョセフさんこちらへどうぞ。」
「あ、君。応接室に一番高級な紅茶を二人分持ってきてくれたまえ。」
「ベンジャミン。済まないね。こちらに到着する時間を前もって連絡すべきだったよ。」
「とんでもない。わざわざジョセフさんが、こちらまで来られなくても、御用があれば、私の方から何時でも飛んで参りましたのに。」
「いや、いや。お忙しい貴方の時間を、こうして割いてもらえるだけで大変ありがたいです。感謝します。」
重厚な応接室の扉を自ら開いたフランクリンは、風通しの良い窓際のソファーにジョセフを案内した。
「やあ。ありがとうございます。いやー、立派な大学になりましたね。」
「全て、ジョセフさんに、莫大な資金を用立てて頂いたお陰です。」
こうしてお会いできるのは、十年ぶりになるでしょうか。ご無沙汰をしており、申し訳ありません。」
「本当に懐かしいですね。あの頃はフィラデルフィアの郵便局長をされていた。」
「ええ、そうでした。」
「本当にご立派になられましたね。」
「トマス殿は、ご健勝でしょうか?」
「最近は、めっきり足腰が弱くなってきましたが、元気にしております。」
「今の私があるのも、全てトマス殿と、ジョセフさん。あなた方のお陰です。」
受付嬢が、紅茶のセットを応接室に持ってきて、香りの高い紅茶を注いでいく。
「で、お手紙は拝見しましたが、重要な相談とは、どの様な用件でしょうか?」
「うん。ベンジャミン。まだ、ガゼット紙の権利は持っていたよね。」
「はい。ブライトン家からの資金援助で購入した、私の宝物ですから。」
「そう言ってもらえると嬉しいけれど、あなたが真摯に事業に取り組んでくれたお陰ですよ。で、改めて、新聞の力で、植民地の人々の意見を代表して伝えてもらいたいんだ。」
「今もそうしていますよ。」
「実は、イギリス議会内で良からぬ事を考え出している連中がいてね。植民地に対して色々と新しい税金を課そうとし始めている。」
「それは聞き捨てなりませんね。」
「君の事だから、もうご存じかと思いますが、イギリス東インド会社が、茶葉の取引で大きな損失を出している。これを植民地の新税で穴埋めしようと考え出しているんだ。」
「損失額は、確か年間で四十万ポンドほどになっているとか。」
「まあ、密輸品が安く出回っているせいではあるんだけれど、茶葉に高い税金を掛けて、それを、あてにしていたイギリス議会が愚かなんだ。同じ品物なら、誰も高い物を無理に買う訳がない。市場の原理に疎すぎるんだ。」
「で、次は何に税金を掛ける事を考えているんですか?」
「とりあえず、砂糖かな。他にも搾り取れそうな物があれば、全てを狙ってくるだろうね。」
「で、私の所の新聞でその事を大々的に取り上げて、反対勢力を作れと言う事ですな。」
「しかし、現在のアメリカで、そんな記事を書きまくれば、イギリス軍が発行を禁止してくるだろ?」
「そうですな。昔も何度かそんな目に会いました。」
「で、もう一つ。君の大学も巻き込んで、反対勢力の連絡網を整備しておいてもらいたい。」
「はあ、連絡網ですか?」
「うん。イギリス側の正確な動き、特に軍隊の動きを伝達できる様に。」
「反乱戦争でも起こしますか?」
「いいや。逆だよ。戦争を起こさないためだよ。
イギリス軍の先手を打って、こちらに攻め込む前に止めさせる。間違っても、暴力で問題を解決してはいけない。
結局、血を流し、命を失うのは一般の市民になってしまう。貴族や議員をしている金持ち商人は、自分が血を流す気も、命を失う気も無いのだから。
割を食うのは力の無い平民ばかりになってしまう。」
「しかし、向こうから一方的に暴力を振るわれたら、抵抗しない訳にはいかないでしょう。」
「だからこそ、言論の力を結集して欲しい。君ならば、植民地議会にも顔が利くだろ。目標は、一滴の血も流さない無血革命だ。力を貸してくれ。」
フランクリンは、しばらくの間、腕を組み無言で考えていた。
「私一人ではとても無理ですな。」
「そうだろうね。だから、今、息子のトムとその仲間たちが、アメリカの各地を回って密かに仲間を集め始めている。どうだろう?ベンジャミン。君もその仲間の一人に加わってくれないか?」
「トムも…。」
フランクリンの目に覚悟の光が宿った。
「そうでしたか。分かりました、全力で働かせて頂きます。」
「ありがとう。では、これ以降は、こちらの情報がイギリス側に漏れない様、細心の注意を払って動きましょう。
以後の連絡は、すみませんが、フィラデルフィアの波止場の側にある、フッターの雑貨屋の店主を通して下さい。
その際に『ロイヤル・ナインが欲しい』と言って頂ければ、伝言の交換ができます。」
「はあ、ロイヤル・ナインとは?」
「ああ、商品の名前じゃないですよ。秘密の情報交換を行うために我々が作った組織の名前です。」
「そうでしたか。」
「店に出向くのは、君でなくても構わない。今の合い言葉を伝言を伝える人間が、言ってくれればそれで通じるようになっていますから。」
「秘密の組織ですか。年甲斐もなく何かワクワクしますな。」
「では、よろしくお願いします。」
「はい。確かに。今日は、こちらにお泊まりですか?」
「ああ、久しぶりにこちらの支店や取引先にも顔を出したいからね。」
「では、今晩は、お食事をご馳走させて下さい。旨い店があるんですよ。」
「それ楽しみだね。」
「では、今晩お泊まりの宿に、後程、迎えの馬車を向かわせます。どちらのホテルですか?」
「ああ、波止場のすぐ側の『鯨亭』という酒場の二階の宿だよ。」
「聞いた事がありませんな。」
「だろうね。船員たちが利用している安宿だから。」
「なんですって?世界一の富豪のあなたが、そんな安宿にお泊りなんですか?」
「だって、自分の為に使うお金があるのなら、まだ学校も無い街や村に学校を作ったり、子供たちに栄養の有る食事を食べさせるために使いたいから。」
その言葉を聞いたベンジャミンは、昔の事を思い出していた。
『自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ』
まだ、若い頃にイギリスで植字工の見習いをしていた時に、ジョセフの父トマスが、自らに課していた言葉だ。ジョセフも受け継いでいた。
「すみません。私の知っている旨い店ではなく、今夜はその『鯨亭』で食事と酒を奢らせて下さいませんか?」
「いいのかね。安宿の安酒場では君の口に合わないのではないかな?」
「いいえ。とんでもない。貴方と共に食事が出来て酒が飲めるなら、それ以上に嬉しい事は有りませんよ。」
「そうですか。では、また後程。お忙しい所、お時間を頂き有り難うございました。」
ジョセフは、席を立ち豪華な応接室を後にした。




