96.ボストン港
ボストン港
「ちょっと、お客さん。お代がまだですよ。」
「なんだ?この街を守ってやっている俺達から、金を取ろうというのか?」
店を出ようとする三人の軍服を着た男達の前に、給仕係の娘が立ちはだかった。
「当り前じゃないですか。こんなに飲み食いしといて、お代も払わないって、イギリス軍は、食い逃げを平気でするんですか?」
「何を!無礼者。」
娘が突き飛ばされそうになった所を、太く長い腕が遮った。
「おいおい。何を考えてるんだ。お前ら?」
「邪魔をするな。逮捕するぞ!」
「あん?下町じゃ、泥棒を見かけた善良な市民は、泥棒を捕まえる義務があるんだよ。
知らんのか?」
「誰が泥棒だ。俺達は、誇り高いイギリス陸軍の兵士だぞ。侮辱する事は許さん!」
兵士の一人が、いきなり殴りかかって来る。
その拳を大きな体に似合わない素早い動作で避けると、髭面の大男の拳が、逆に兵士の顎を下から捉えていた。
一瞬、兵士の身体は上に跳ね上がり、着地すると同時に白目を剥いて崩れ落ちる。
残った二人の兵士が、腰にぶら下げたサーベルに手を伸ばす様子を見て、大男は、店の外に飛び出した。
「待て!逃げるか!」
兵士が、男の後ろを追いかける。
が、店を出た瞬間に、振り返った大男の拳を顔面で受けた一人が、鼻を砕かれて後ろに倒れた。残った一人は、危うくその体を避けるが、すぐに長い腕が胸倉をがっしりと捕まえていた。
「さて、食い逃げ犯はお前で最後だ。さあ、お代を頂こうか。おい、姉さん。こいつらの食事代は幾らだい?」
「は、はい。な、七十セント。」
娘が、震える声で答える。大男は、胸倉を持ち上げられ、宙に浮いている兵士のポケットを探り、財布を抜き出すと、娘に放った。
「ほいよ。ちゃんと金が入ってるか、確かめてくれ。」
給仕の娘は、財布の中を覗くが、
「四十セントしか、ありません。」
「ちぇ、湿気た野郎だ。」
胸倉をつかんだまま、ぶら下げている兵士の腹に拳をめり込ませ、その体を投げ捨てると、大男は、さっき倒した二人の懐を探る。
「どいつも、こいつも湿気てやがる。こいつら合わせても一ドルも持ってねえじゃないか。
ほら、お嬢さん。残りの三十セントだ。」
小銭を娘に渡すと、大男は、三人の兵士を店の外に放り出した。
「フランク。相変わらず乱暴者は、変わりませんね。」
席に戻った髭面に向かって、すらりとした長身の優男が声を掛ける。
「コーダー。見物を決め込んでないで、少しは手伝え。」
「いいえ。アイツら程度なら、私が出るまでもないでしょ。」
「ま、そうだがな。」
「しかし、ホーソンは遅いですね。」
コーダーが、そう言ってグラスのビールを飲みほした時、入り口から、こざっぱりした服装の青年が入ってきて、店内を見渡した。
「やあ、フランク、コーダー。お久しぶりです。」
「おう、ホーソン。六年ぶりだな。元気にしてたか?」
「はい。おかげさまで。」
「ホーソンは、あれから、ずっとボストンで記者の仕事をしていたんだっけ。」
「ええ、まあ。恩赦の知らせを受けた後は、ブライトン商会系の新聞社に移りましたが。」
「そう言えば、コーダーは、マンチェスターの後は、どうしていたんだ?」
「私ですか。アレックスとイギリスの商品開発部で仕事をしていましたよ。まさか、再びボストンに戻るとは思ってもいませんでした。」
「アレックスは、今どうしているんだい?」
「新型の銃の開発も一息ついたそうですから、もうすぐトムと一緒に、こちらに来ますよ。」
「あいつも、新型砲の砲手として、この間までグレイと一緒に、日本に行っていたんだろ。慌ただしいな。」
「フランクも、ずっとフランス国内を飛び回っていたんでしょ。慌ただしさは変わらないと思いますよ。」
「なあに、フランスは、美味い酒が飲めるんで楽しませてもらってたさ。」
「今日は、どちらにお泊りですか?」
「ああ、コーダーと一緒に、ここの二階の宿だ。」
「明日の朝には、ブラックスワン号型の二番艦で、トムとジョセフがボストン港に到着予定です。今晩は、飲みすぎて明日遅刻しないように気を付けて下さいね。」
「ああ、気を付けるよ。」
コーダーが、フランクの方を盗み見ながら小さく答える。
「馬鹿野郎。この程度の酒で、誰が酔っぱらうんだ?」
「コーダー。すみませんが、よろしくお願いします。」
ホーソンの言葉に、コーダーが肩をすくめて苦笑した。
「ほう、これがブラックスワン号の同型艦か。」
フランクが、物珍し気に桟橋に着けられた純白の船を見上げる。
「はい。これが、ホープ号です。ブラックスワン号の方は、その名の通り船体は漆黒に塗られていますが。
面白いのは、船内の最新設備ですよ。きっとフランクはびっくりしますよ。」
「そうか。ワクワクするな。早く上に昇ろうぜ。」
「よう。みんな。朝早くからご苦労さん。早く上に上がっておいで!ホープ号へようこそ。」
甲板から、トムが陽気に手を振っている。
「トムもご機嫌だな。」
「ブラックスワンが航海に出た後は、この船の完成を待ちわびていましたからね。」
フランクが甲板に上がると、トムが待ちかねていたように、フランクとホーソンを連れて船内の自慢の設備を案内して回る。
一つ一つの設備に目を丸くしていたフランクが一番に気に入っていたのは、水夫用の船室だった。
「こいつは豪華だ。すごい時代になったもんですな。」
「だろ?もうこれからの時代は、船長だろうが水夫だろうが、船内で身分の差別は無くなって行くさ。」
「しかし、命令を出す者と、それに従う者とは、厳格に分けないと締まりが無くなりませんか?」
ホーソンは、完全には納得していない様だ。
「それは、命令する人間の器量しだいだろ?」
「ふむ。確かにそうかもしれません。私もいくつかの軍艦に乗ってきましたが、上官の器量によっては、命令に従う気が失せましたから。」
と、フランクが神妙に答える。
「そのせいで、フランクは、グレイ小隊に追い出されたんだ。」
「うるせー。ホーソン、人の事が言える立場か?部隊で厄介者扱いされてたのは同じだろ」
フランクに突っ込まれ、何も言い返せないホーソンだった。
「やあ。みんなよく来てくれました。ありがとう。」
船長室の隣の広い会議室では、ジョセフが待っていた。
「父さん。遅くなりました。」
トムが、軽く謝る。
「なに。この船を見れば、誰だってそうなるよ。さ、みんな座って下さい。」
ジョセフの言葉で、トム以下、五人が席に着いた。
「ボブには、ニューヨークで急ぎの仕事を頼んであるので、二人が欠けているが、このメンバーが集まるのは六年ぶりになると思う。この後、この船もニューヨークに向かうので、ボブとの再会は明後日になるかな。」
「で、まさか、元脱走兵の旧交を温めるために、みんなを集めた訳では無いですよね。」
珍しく、フランクが、何かを疑う様にジョセフに問いかける。
「もちろん、そうではありません。しかし、あなた方が、以前命がけで、先住民を守るため、イギリス海軍に逆らった実績を買ってお集まり頂いた事も事実です。
この場に、その際の指揮官であるジョン・グレイがいない事は残念ですが、あなた方にしかお願いできないと考えています。」
ジョセフが、真剣な表情で答える。
「具体的に何をしろと?」
「この大陸の植民地が、イギリス帝国から独立するために力を貸して頂きたい。」
「そんな事、不可能でしょう?」
「いいえ。昔、イギリスにおいて名誉革命が起こり、国王から議会が、その実権を流血なしで移譲されました。
同じ事を再び、この地でも実現して欲しいのです。
この大陸で、植民地の大衆の意見をまとめる議会を作り、イギリス国王とイギリス議会に植民地の正当な権利を認めさせるのです。」
「我々にその様な力はありませんよ。」
「もちろん。あなた方には、下準備を行って頂くだけです。
六年前にもロルフが成し遂げた様に、この地の代表の声をイギリス本国に届ける手助けをお願いします。」
「ロルフですか。懐かしい。元気にやっていますかね。」
「ええ。彼は、現在この大陸に住む、数多い先住民の意見のまとめ役として活躍中です。
今回の仕事にも参加して頂きます。」
そこで、再びフランクが、手を上げて発言した。
「五年前に、ジョセフから同じ様な命を受けて、私は、フランス国内で活動してきましたが、王族と貴族、それに教会。そこに加えて儲ける事しか頭に無い商人ども。
とても平民の意見が通る世の中は造れませんでした。世の中を、根本からひっくり返さないと無理かと考えます。」
トムが、フランクの意見に同意する。
「確かに。現在のフランスでは、とても難しいと思いますよ。フランク。
でも、だからこそ、自由民の数が多く、王も住んでいない、この新大陸でこそ、先例を作れると思ってもいるんです。」
「しかし、戦争でも起こさないと難しいのでは?」
ホーソンが、難しい顔で反論する。
「大丈夫です。私にアイディアがあります。少し時間はかかりますが、戦争を起こさずに、この新大陸に新しい平民の国を作り出せます。」
トムが、テーブルについている全員を見回す。
「六年前、フィラデルフィアの宿屋で私はグレイに頼みました。
ブライトン商会は、『えにし』に出会い、大きな力を得ました。そして、その力を使って、私が誤った支配者になろうとした時には、私を殺してくれと。
今、そのグレイは、遠く日本で、更に大きな力を私にもたらそうと働いてくれています。
私は、改めてここにいる皆さんにお願いしたい。
もし、私が、人々に幸せをもたらさず、その強大な力で誤った支配者になりそうになった時には、迷わず私の命を絶って下さい。グレイが不在の今は、皆さんにしかお願いできません。」
そこで、トムは、一度言葉を切り、室内の面々を見渡した。
「今、地球上は、私利私欲にかられ、他人の権利を平気で踏みにじろうとする支配者の力に満ちています。
でも、そんな世界は、間違っています。だから、私は、全力で目の前の人々を救いたい。その為に、ブライトン商会の力を使いたいのです。
皆さんの力を私にお貸しください。お願いします。」
しばしの沈黙の後、フランクが、大きくうなずいて言った。
「判りました。微力ながら私で良ければ、協力させて下さい。」
アレックスが、他のメンバーの目を見つめて発言した。
「私も一緒にやらせて下さい。」
驚いた事に、その言葉は、残りのメンバー全員の言葉に見事に重なった。
声に出した全員が、他のメンバーの顔を見て、破顔した。
トムは、深く首をたれ、ジョセフと共に、元グレイ小隊の皆に礼を述べた。




