82.エニシ教
エニシ教
ブライトン商会のポーツマス支店には、トムの姿があった。
「やあ。ジョーイ。久しぶり。」
「はい。トム。お久しぶりです。」
「隠れ里での修練、お疲れ様。よく頑張ったね。」
「有難うございます。」
「ま、座って。」
トムにソファーをすすめられジョーイが腰を下ろすと、トムが、自ら紅茶を入れてくれた。
「頂きます。」
部屋に設えられた『えにし』の暖炉と暖かな紅茶が、冷えた身体に染み渡る。
「帰ったばかりで、申し訳ないのだけれど、ジョーイ、一仕事頼みたいんだ。」
「お気遣いは不要です。何なりとお申し付け下さい。」
「いや、そんな、堅苦しい言葉遣いは止めておくれよ。
俺は、お貴族様じゃないんだから。」
「しかし、ブライトン商会の店主です。そこいら辺の貴族よりも偉いお人じゃないですか?」
「俺は、偉くないよ。
色々な人に力を貸してもらっているだけで。俺一人じゃ何一つ出来はしないんだ。」
「しかし、俺達にとっては、ブライトン家の皆さんは命の恩人で…。」
トムは、手のひらを広げて、ジョーイの言葉を止めさせる。
「そんな事じゃ、職場で浮いちゃうよ。店じゃ誰も俺にそんな言葉づかいをしないから。
それより、仕事の話だ。エニシ教って聞いたことはある?」
「はあ、昨日ここに来る途中で、その宣教師らしき老人が説教をしている所に出くわしたぐらいです。」
「そうか。話を聞いてどう思った?」
「エニシ鋼が出来るまでを知っている自分としては、神の力にされるのはどうかなと…。」
「そうだね。神様の力を借りている訳じゃあないからね。
ついては、そいつらの情報と目的を調べて欲しい。『えにし』について、間違った情報を広められるのは困るんだが、裏で誰が関わっているのか、まだ、判らないんだよ。」
「では、早速調べてみます。」
「あ、それで、ブライトン商会の名前は出さないようにお願いしたいんだ。必要な活動費は、ルイスを通じて請求しておくれ。とりあえず、今は百ポンドほど渡しておくけど、足りなければいくらでも言ってよね。」
「百ポンドなんて大金、お預かりできません。」
「いや、多分もっと必要になると思うよ。場合によっては、貴族に化ける事も考えておいて。」
「はあ、お貴族様に化けるのですか?」
「ああ、その手の訓練は受けて来ているだろ?」
「はい。確かに訓練は受けましたが…。」
「じゃ、頼んだよ。調査の結果報告は、報告書にまとめて、ルイスに提出して下さい。」
「分かりました。トム。」
「あ、シェリーの姉御!」
「誰だい。」
「ジェイミーですよ。姉御、この間は本当にありがとうございました。」
「ちょっと、お止めよ、その呼び方は。私はまだ、十五になったばかりだよ。それに、私とあんたは、同い年じゃないか。」
夕刻、帰り道でシェリーを呼び止めたのは、下町の見世物小屋で働いているジェイミーだった。
昨年の夏前、街のごろつきに絡まれている所を、助けた娘だ。
それ以来、ジェイミーの仲間の少女たちの、相談に乗ったり、何度か手助けをしている内に、彼女たちのグループの頭目の様に扱われて困っている。
「今、お帰りですか?」
「ああ、今日のお仕事が終わったから、下宿に戻る所だよ。」
「もう、お食事はお済で?」
「いや、一度、宿屋で着替えてから、近所の料理屋に行くつもりさ。」
「お会いする度で申し訳ありませんが、ご相談したい事がありまして。ご一緒させて頂けませんか?」
「なんだよ。相談って。」
「はい。その話は、飯を食いながらゆっくり聞いて下さい。」
シェリーは、部屋に荷物を置くと、細身の体を乗馬服に着替え、明るい茶色の髪を後ろに一つに束ね、外に待たせていたジェイミーと合流した。
「で、相談って?」
「へぇ、それが、おかしな坊主が、あたいの知り合いの娘のおっかさんに飲ませてくれた薬があるんですが、その薬がスゲー良く効くんですよ。」
「そりゃ、良かったじゃないか。」
「いいえ。それが良くないんですよ。かれこれ、四週間ほど前に、『週に一粒だけ』って言われて飲ませてたんですが、次からは、金を払わないと薬は渡せねぇ、って言いだしやがって。」
「何だい。それまでは、タダで薬を貰ってたのかい?」
「はい。聖なるエニシ様の功徳だって、タダでくれてたんですよ。」
「何だよ、怪しい奴だね。」
「それが、これからは、熱心な信者にしか、薬は渡せないって。
で、信心の証に金を出せって言いやがるんで…。」
「そんな奴に金を払う必要は無いよ。一度、おっかさんを、街の診療所に連れて行って診て貰いなよ。」
「それが、前までは、診療所のお医者に診てもらって、薬も貰ってたんですが、一向に良くならなかったんでさぁ。
それが、坊主のくれた薬で、いっぺんに楽になったって、喜んでたのに…。」
「一体、いくら払えって言ってんだい?」
「一回に一ポンド。」
「はぁ?一ポンドだって?この下町で、そんな金を払える金を持ってる奴なんていないだろ?」
「それで、坊主に相談したら、田舎の貴族を紹介してやるから、そいつの世話になれと…。」
「それが、神様に仕える坊主の言う事かよ。仕方ないね。その坊主は、今どこにいるんだい?
私が、一度締め上げてやるよ。案内しな。」
シェリー達は、食事を手早く終わらせると、ジェイミーの案内で薬をくれたという坊主の所に出向いた。
「おい、司教さんよ。今月の売り上げは、どの位になった?」
頬に大きな傷跡を付けたデブが、酒の入ったジョッキを片手に問いかけた。
「わしは、司教ではないぞ。清貧の伝道師じゃ。」
埃まみれのフードコートを着た男が言い返した。
「そんなのは、どっちでもいいんだよ。客は増えたのかよ?」
「客と言うでない。信者と言え。そうじゃな、先月より百人は信者が増えた。まだ、売り上げは六十ポンドしかないがな。」
「何だよ、そりゃ。薬は、沢山、渡しておいただろ。できるだけたくさん配っとけよ。」
「なかなか、病に苦しんで居るものが見つからんのじゃ。最近は、下町の貧民を狙って、数を増やしておるがの…。」
「おいおい、貧乏人じゃ金にならんだろうが。」
フードを背中に跳ね除けた、禿げてガリガリに痩せた男が、酒を一気に飲み干し、あくどい表情を見せて答える。
「いや、貧乏人でも、北の方の貴族には買い手がおるでのう。」
「なんだ?貴族に人を売ろうって魂胆か。そりゃ、いい儲けになりそうだな。」
「ああ、来月辺りは、何人か高く売れるじゃろう。」
「しかし、病人は売れんだろう。」
「なあに。病人にも親孝行をしようという、けなげな子供はおるさ。」
「それの、どこが清貧の伝道師だよ。あきれるぜ。」
「お前に言われたくはないわい。」
テーブルの上には、空になった酒瓶が横たえられ、壁際に立てられた蝋燭の炎で影が揺らめきを大きくした。
(この悪人共。どうやって懲らしめてやろう。)
シェリーは、拳をわなわなと震わせ、扉の向こうから聞こえる話し声に耳をそば立てていた。
ここまで案内をしてくれたジェイミーは、この地下室のおり口で帰らせていた。
(さて、こういう時程冷静に…。)
「おい、お前、そこで何をしている。」
突然背後から野太い声が掛けられた。
シェリーは、一瞬、身を固くして、慌てて声のする方を振り返る。お世辞にもきれいとは言えない格好をした男たちが階段を下りて来る途中だった。
(あらあら、どうしましょう。ここじゃ狭くて、あいつらと戦える場所が無いわね。)
そう考えたシェリーは、度胸を決めると、ドアを開き、室内に入って行った。
「だ、誰だ!おめーは?」
「あんたたちこそ何者よ。」
そう言い返しながら、シェリーは、背にしたドアの閂をかけた。
間一髪だった。階段を下りてきた男達がドアを力任せに叩いてくる。
「おい、開けろ!このアマ!」
シェリーは、にこやかに正面を向き笑顔を見せながら、部屋の中の様子を見まわした。
思ったより広い部屋だった。
室内には、丸テーブルが三つと、わらの敷かれた寝床が壁際に四つ。その他に、大小さまざまな木箱が乱雑に置かれている。人の気配は、正面のテーブルの椅子に腰かけた男二人だけ。
「ごきげんよう。みなさん。」
「何者だ、お前は。」
「ちょっと立て込んでいるもので、自己紹介は今度で。」
ドアの外では、男達が力一杯にドアを蹴っている。その度に、さっきかけた閂が軋む。
室内にいた男二人は、ようやく席を立ちこちらに近づいて来てくれた。
「失礼。」
シェリーは、そう言うとデブ男の背後に一瞬で回り込み、首筋に手刀を思いきり叩き込んだ。
顔面からそのまま倒れこむデブ男を、伝道師を名乗る老人があっけに取られて見ている。
シェリーは、足元の椅子を持ち上げると、自称伝道師の頭上に叩きつけた。
木で出来た椅子は、粉々に砕け飛び、老人も崩れ落ちた。
「みしり」
嫌な音を立てて、ドアの閂が最後の抵抗をしている。
シェリーは、まだ健在な椅子を手に、ドアの脇に身を寄せる。
最後の一撃が、閂を破壊し、ドアを開けた男の頭が出てくる。
シェリーは、今度は椅子を横薙ぎにふるい、不幸な男の顔面にめり込ませた。
続けてドアから入ろうとしていた後続の男が、顔面を血だらけにした男の身体にぶつかり、後ろに押し倒される。
ドアの外に飛び出したシェリーが、倒れた男の額を踏みつけ、石の床に後頭部をぶつけると、男は白目を剥いた。
階段の上の気配を探るが、仲間はこいつで最後らしい。
階段の上から、物音に気付いた誰かが覗き込んできた。
「あら、酔っ払いが、お騒がしちゃって、すみません。もう、終わりましたから。」
シェリーが、思いきり明るい声で、上に向かって声を掛けると、野次馬の姿も消えた。
(どうせ、この暗がりだもの。どうなってるかなんて見えてないよね。)
シェリーは、半分壊れかけたドアの中に階段の下で伸びている男たちの足を持って、一人ずつ引っ張り込み、ドアを閉めた。
「あーあ、しばらくは、誰の話も聞けそうにないわね。」
シェリーが、途方に暮れて独り言を言った時だった。
「パチ、パチ、パチ」
誰もいないはずの部屋の奥から手を叩く音が聞こえ、
「いやー。お見事。」
と、若い男の声がした。
「誰だ!」
シェリーが、緊張して身構える中、奥の暗がりから、足音が近づき、黒い服に身を包んだ若い男が現れた。




