76.隠密との対決(三)
隠密との対決(三)
(グレイ。『えにし』の里につながる地下道に何者かが侵入しました。)
隠岐の島の港に戻った所で、ナナが、グレイに警告を発した。
(それは、まずいな。一刻も早く里に戻ろう。)
グレイが、そう応じた時、港に強い西風と共に雷が落ちた。
港に停泊している船の船頭を探して、境港にすぐに戻りたいと話をするも、
「そらー、しばらくは無理やな。さっきの大きな雷は『雪おこし』だ。二、三日は風が強すぎて船は出せねえ。」
確かに、港では、強い風に吹きつけられた、大きな波が打ち寄せ桟橋の上を洗っている。
グレイの目にも、この天候で船を出す事の無謀さは、すぐに見て取れた。
商人の風体をした男が、同じように港で、船頭の話を聞き、諦めたように港の奥の旅籠に引き返していった。
(まずいな。これでは里に警告の一つも出せない。)
(私達が、先に里に向かって、必要な警告を伝えましょうか?)
ナナの提案にグレイが飛びついた。
(可能なので有れば、ぜひ頼む。しかし、どうやって?)
(ルーク、マシューそしてサムとは、あなた方が航海に出る少し前に会っていますから、彼らの内の一人の中に移動する事は、いつでも可能ですよ。)
(あの三人か…。かなり不安もあるが、背に腹は変えられないな。頼む。里を守ってやってくれ。)
(承知しました、お任せください。では。)
その言葉を残して、平本たちが、いなくなった事をグレイは感じていた。
三次は、いつ終わるとも知れない緩やかな上り坂の地下道を慎重に進んでいた。
地下道に入る事が出来たのは、朝早い時間だった。先に入った男に気取られないよう、十分に待たなければならなかった。
しかし、男の足は、鍛え抜かれた三次に比べると、かなり遅かった。暫くすると、先を歩いていた男の足音が耳に届くようになる。一本道の上り坂では、これ以上近づけば、気付かれてしまう。
先を行く男の足音が止まり、扉を開閉する際の音が聞こえたのは、一刻ほど経った頃だった。
三次は、素早く地下道の終点に駆け寄った。明かりは点いたままだ。漆黒の闇に飲まれる恐れはなさそうだ。
三次は、出口の金属製の扉に背をもたせ掛けると、その場に座り込み、扉の向こうの気配を察知しようと、神経を研ぎ澄ませた。
しかし、よほど岩壁が厚いのか、出口の外が無人なのか、一切の気配を感じ取ることが出来ない。
三次は、夜になるのを待つべきか、さっさと外に出るか、しばし躊躇したが、思い切って外に出る事にした。
扉を開くと、そこはやはり洞窟になっており、人の気配はない。素早く外に出ると、扉を元通りに閉じた。
短い洞窟を抜けた先からも人の気配や声は聞こえて来ない。
三次は、洞窟の外へ出ると森の中に身を潜め、偵察を始めた。
(サム。ちょっとお邪魔するよ。)
平本が、今日の修練を終え、井戸端で濡れた手ぬぐいを使い、身体を拭いているサムに静かに声を掛けた。
「だ、誰だ!」
突然聞こえてきた声に、サムは、緊張して周囲を見やり、気配を探した。
「サム、どうかしたの?」
側で、同じ様に身体の汗をぬぐっていたマシューが、サムに声を掛ける。
「い、いや。今、誰か聞きなれない声がすぐ側でしたんだ。
マシューには聞こえなかった?」
「ううん。何も聞こえなかったよ。」
「そうか。気のせいかな。」
(疲れがたまりすぎたかな。ああ、早く湯治場に行きたいな。)
(驚かせてごめんよ、サム。今は、直接、君の頭の中に話しかけているんだ。周囲の人には、聞こえていないよ。)
(日本語の修練が嫌だからって、幻聴が聞こえるだなんて…。)
(サム、現実逃避は止めよう。これは幻聴じゃないんだ。
江戸から送られて来た隠密の内、一人を、グレイが、隠岐の島で確保した。その時にブラックスワン号を見つけ出した記憶を別のものに置き換えた。)
(あんたは、本当に何者なんだ?グレイを知っているのか?)
(ああ、グレイとは長い付き合いさ。サム、覚えているかい?
孤児院を出て、ポーツマス港へ向かう途中で、盗賊が襲ってきたときに、グレイが、君達の潜在能力の一部を開放して見せた時の事。あれは、実は俺たちがやったんだよ。)
(俺達?あんた、一人じゃないのか?)
(ご挨拶が遅くなりました、私は平本さんに使えるナナと申します。)
(げぇ、本当に二人いやがるのか。)
「おーい。サム、晩飯が出来てるぞ!」
ルークが、いつまでも戻ってこないサムに声を掛けに来た。
「おう、今行くよ。」
(それで、里に侵入した隠密は、今どこで、何をしているんだ?)
(物陰に身を潜ませて、この里の秘密を探り出そうとしています。)
(やっぱり、そいつは放って置いちゃまずいんだよな。)
(はい。この里の秘密が江戸幕府に知られれば、この里全てが、無くなってしまうでしょう。)
(それは、まずいよなぁ…。ルーク達に相談するか。)
(そうして下さい。この後、夕食の時間に、英語で話せば、隠密には話の内容は全く理解できないでしょう。)
サムは、少し遅れて夕食の膳に着いた。
「なあ、聞いて欲しいんだが、里の中を公儀の隠密が動き回っているようなんだ。」
サムは、あえて使用を禁じられている英語で喋り始めた。
「サム、日本語を完全に習得するまで、英語の使用は禁止だと言われてるだろ。」
エドモンドが、サムに注意した。
「しかし、今この場所の会話は、天井裏か、軒下か、どこかに潜んでいる隠密に聞かれているんだから、勘弁してくれよ。英語なら、話の内容を聞かれても隠密には、理解できない。」
「で、その隠密の話は、本当なんだろうな?」
ルークが、念を押す。
「うん、さっきから、頭の中に直接語り掛けてくる人の話では。」
一緒に夕食を取っていた師匠が、上手に英語を使って話し始める。
「頭の中の声は、ともかく。いま、この床下で聞き耳を立てている者がいるのは確かじゃよ。」
食事中の全員に緊張が走る。
「なあに、そのように緊張するな。気取られてしまうぞ。隠密にこのまま山中に逃げ込まれたら、面倒だ。ここは、隠密の動きを静かに見守ろう。」
(なあ、平本、ナナ。グレイは今どこで何をしているの?)
(グレイは、まだ、ブラックスワン号を発見した隠密の近くにいます。ただ、隠岐の島から境港までは、冬の初めの嵐が吹き荒れているため、天候が回復するまでは、一歩も動けません。)
「頭の中の声が言うには、グレイは、隠密一人を捕えたところで、冬の嵐に襲われて、隠岐の島から動けなくなっているそうだ。」
一体、ここはどこなんだ。異人が何人も大手を振って歩いてやがる。
三次は、異様な光景に目を丸くしていた。
若者五人は、どうやら武術の鍛錬を行っているようだ。様には成っているが、俺の敵じゃねぇな。
しかし、側で指導をしている老人は、かなりの使い手だ。近寄るのは出来るだけよしておこう。
暫くの間は、職人の成りをしている異人たちを見張っておこうか。
三次は、職人達が出入りをしている建物に忍び寄り、中の様子を探った。




