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はなやぎ館の箱庭  作者: 日三十 皐月
第3章 「箱庭の連想」

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幕間 「慈雨の輝き」




あの日握った小さな手のひらの感触を、今でも覚えてる。



「かのあの弟と、妹よ」



ふにふにで、ぽよぽよで、ぽっかぽか。

おめめはくりくり、ほっぺはぷにぷに。


2人が揃って見つめてきて、じっと見つめ返してたら。

お母さんが「かわいいでしょ?」って、聞いてきたから。


思わず言った。



「いやだ!!!」






ーーーそこから、お母さん奪還作戦がスタートした。



「お母さん!!あもなとなゆたのこと可愛いって言わないで!!」


「かのあ、もう分かったから早く準備しなさい!」



1歳×2と、3歳のかのあ。

どっちが可愛がられてるかなんて周りの反応見ればすぐ分かっちゃうから、この時はもう意地でも可愛いって言わせない作戦だった。


大きな布を被せて隠して、めちゃくちゃキレられたのも覚えてる。



「顔まで隠して!赤ちゃんは自分で布を取ったりできないのよ?!何かあったらどうするの!!」


「お母さん、またかのあより赤ちゃんの方が可愛いって顔して見てたもん!!」


「とにかく、布を被せたりするのは本当にやめて!!」



いつも大声で怒鳴り合い。

こんな風にお母さんと話したいわけじゃないのに。

かのあも可愛いよって、言ってもらいたいだけなのに。



「お母さん!お買い物の時、ベビーカーのお顔かくすやつ全部下までやってて!絶対あけないで!」


「なんでそんなことしなくちゃいけないの!」


「やなの!みんな赤ちゃんの方見るからやなの!!」


「いい加減にしなさい!そんなことしたら2人とも泣き出しちゃうでしょう!お願いだから普通に買い物させて!!」



どうして分かってくれないんだろう。

だって、お母さんはかのあだけのお母さんだったのに。


ちっちゃくてふにふになだけで、かのあより可愛い赤ちゃんなんて。

かのあだって、まだまだちっちゃくてふにふになのに。



「かのあ、もう一回ママのお腹に帰りたい」


「………」


「もう一回生まれて2人より可愛いって言われたい!!」



かのあが赤ちゃんみたいに泣いても、お母さんは知らんぷり。

赤ちゃんが泣いたら抱っこしてあげるのに。


何でかのあは大きくなっちゃうんだろう。ちっちゃかったら、喋れなかったら、良かったのかなぁ。



「ママ、抱っこして!!」


「……」


「ママーーー!!!ママ抱っこしてってばーーーー!!!」



ーーー今なら分かる。


お母さんは2人の赤ちゃんを同時に育ててた。夜中もかのあが寝てる間に一生懸命お世話してて、全然寝れてなかった。

それでもかのあのご飯も作ってくれて、お着替えも出してくれて、トイレのお世話もしてくれてた。


でもかのあは、どんなにお腹空いてたって良かった。お着替えだって、パジャマのままで良かった。トイレはさすがに一緒じゃないと無理だったけど。

そんなお世話とか、ありがたいって思えるほど生きてなかった。


ただ、抱っこしてほしかった。



「ーーーあなた、私もう限界なんだけど。双子育てながら3歳のかのあの面倒見るのがどれだけ大変か、毎晩飲み歩いてるあなたには1ミリも分からない?」


「あぁ…ごめん…何したらいい?」



ある日、お父さんとお母さんが話しているのを廊下でこっそり聞いた。

すっごく冷たい声で話すお母さんの声に、私までどきどきした。



「とりあえず、寝させてほしいんだけど。ここ最近は特に毎日2時間も寝れてないの。頭おかしくなりそう」


「えーと…分かった。じゃぁ、何からしようか…?」


「………」


「………泣いたら、とりあえずご飯食べさせたらいいかな…?」


「何食べるか分かるの?」


「えっと…おかゆ…?何か、一生懸命作ってたような気がする…かな?違う?」


「いつの話してるの?もう離乳食終わってるけど」


「じゃぁ…うーん…?」



煮え切らない返事のまま、お父さんのスマホが鳴る。

通知に乗ったメッセージにピンクのハートの絵文字が書いてあったのが見えて、廊下を飛び出して思わず言葉にしてしまった。



「かわいい!お父さんのスマホ、ピンクのハートついてる!」


「え…っ」


「ピンクのハート…?」



私が大きな声を出しちゃったからか、寝かしつけが終わったはずの和室から泣き声が聞こえ始めた。

いつもなら両方同時に起きたりしないようにすぐに抱っこしにいくのに、お母さんは動かなかった。



「…スマホ見せて」


「いや…かのあの勘違いじゃないかな」


「見せて。私がどれだけあなたの為に無駄な時間を過ごしてたか知りたい。見せて」



温度のない言葉がごろっと転がっていくようで、冷たい眼差しのお母さんを見つめて私も震える。

観念してスマホを差し出したお父さんは、どこか不貞腐れてるようにも見えた。



「あなたが仕事で忙しいだろうからって、頼らずにいたんだけど。何もかも」


「………」


「双子出産してぼろぼろで、寝不足でしにかけてる女なんてあなたにとって何の価値もないわけね」


「悪かったよ…」


「市のサポートを受けるわ。お金がかかるけど、別にいいわよね?あなたの子供を、私が育てていて、あなたがサポートする気がないんだから、他人にお金を払ってお願いしても文句ないわよね」


「あなたの子供って…自分の子供でもあるだろうに…」


「……だから何?」


「いやぁ、別に…。俺の姉さんは働きながら子供3人を1人で育ててたけどなぁと思って。まぁ無理っていうんなら…頼んでもいいんじゃないか?」


「お義姉さんがシングルになったのも働き始めたのも、一番下の子が幼稚園に入ってからよね?お義母さんにかなりサポートしてもらってたみたいだし、子供の年齢も条件も私とは違うけど」


「じゃぁ、同じように自分のお母さんに頼めばいいんじゃないか?それに、俺だってたまに早く帰ったらお風呂入れることもあるし…まるで俺が何もしてないみたいに」


「1か月に1回も入れてくれるかどうか分からないのに。とても人手として数えられないと思うけど」


「そんな言い方ないだろう…俺だって働いて帰って来てるんだから」



いらいらして強く当たり合う2人。

和室で泣き続ける双子。

おしっこに行きたい私。


ーーーお母さん、怒ってる。呼べない…おトイレ…自分で行かなきゃ。


とりあえずトイレに行ってみて、自分で補助便座をつけて、座る。

間に合ったのはいいけど、自分で上手に拭けなくて、トイレットペーパーを何度も千切って落としてしまった。


あわあわしている間に、お父さんがお家から出て行く音が聞こえてきて。

お母さんが双子をあやしに和室に入って行く音も聞こえてきて。


今のうちに片づけなきゃ!と思うけど、おしっこきちんと拭いてないから便座から下りられなくて。


どうしようどうしようと焦っていると、お母さんの焦った声が聞こえてきた。



「かのあ?かのあ?お家にいるなら返事して」


「……ぁ……」



ーーー今返事したら、トイレットペーパー散らかしてるのが見つかって怒られちゃう。



「やだ……かのあ、お父さんに着いていっちゃったの……?かのあ!かのあ!!」



せっかくもう一回寝かしつけ終わったのに、大きな声出させたらまた起こしちゃう。

お返事しなきゃ。でも怒られちゃう。怒られたくない。でも、お母さんが大変になっちゃうから、起こしたくない。



「かのあ!!どこにいるの?お願いお家の中にいて…!かのあ!!」



玄関に靴を確認しに行く足音。

どうしたらいいのか分からなくて怯えていたら、勢いよくトイレの扉が開いた。


びっくりした瞳と目が合って、慌てて言葉を紡ぐ。



「あ、あの、ママ、ごめんなさい…!ま、ママとパパがお話してるときに、かのあ、おトイレ行きたくなっちゃって…でも、行きたいって言えなくて、それでね、1人で行ってね、でもねといれっとぺーぱーがね、じょうずにできなくて…ちらかしちゃった…」


「………」


「あのね、わざとじゃなくってね…!おもちゃにしたんじゃなくってね、あのね…ここまではできたんだけどね、あの…ママ…ちらかして、ごめんなさい…」



ぼたぼた涙を溢しながら必死に伝えると、お母さんの目からも涙がぼたぼた溢れて落ちた。

怒られると思ってた私には、衝撃すぎる光景だった。



「……、ママを困らせたくなくて、1人で行ったの…?」


「え…うん…」



その後泣きながらおトイレのお世話をしてくれてパンツを履かせてくれて、散らかったトイレットぺーパーもそのままにぎゅっと抱きしめられる。

戸惑いながら抱きしめ返すと、久々に満たされたような気分になった。



「……かのあ、えらい?」


「うん…」


「……ママ、かのあね。かのあ……ママのことだいすき…」


「……、」


「あのね、あのね……かのあね…」



ーーーその時、双子がまた泣き出して。

あ、ママが赤ちゃんの方に行っちゃう。って、慌てて強くぎゅっとしてみたけど。お母さんは離れて行かなかった。



「かのあね……ママにね、ずっと…ぎゅってしてほしかったの…」


「……」


「ママ、あのね…かのあね…もう赤ちゃんじゃないけど…もっと、いっぱいかわいいって、言ってほしかったの…それでね、あのね…いつもこまらせて、ごめんなさい…」



ーーーお母さんは、ずっと黙っていたけれど。

最後に、とっても小さな声で応えてくれた。



「…立派なママじゃなくて、ごめんね…」


「そんなことないよ。ママは、世界一素敵なママだよ」


「ーーー…ママなのに、きちんと……愛してあげられなくて、ごめんね……」



ーーー最後にお母さんが言ったその一言が、全てのような気がした。


大きくなるにつれて、お母さんとおばあちゃんの関係がものすごく悪いってことに気が付いて。

お父さんからの協力を得られず、自分の母親からは愛されないまま、3人の子供を孤独に子育てしたお母さんの心を。


いつか愛してあげたくて、癒してあげたくて。








*   *   *   *   *








「おーい、かのあー」



ーーー突然声が聞こえてきて、びっくりして身体がびくっと飛び跳ねた。

その後やってきた、ほっぺの痛みと草の匂い。肘も痛くて、寝そべったまま唸ってみる。



「うおー、ごめんごめん。ゲームしてたんじゃないんかい、まさか寝てると思わなかった」



言われて、眠たい目を擦った先に愛用のポータブルゲーム機が転がっているのが見えた。

眠気が一気に覚醒して、匍匐前進で必死に確保する。



「あばばばばかのあちゃんのカワイイゲーム機がぁ゛ーーーー!!!」


「すまんて。ちなみに結構な勢いでバウンドしてたよ」


「ひょええーーーーーー!!!」



無事確保した後、覚醒した脳みそで辺りを見回して。

ようやく自分が、ハンモックに揺られながらゲームをしてたらいつの間にか寝ちゃってたことを思い出した。



「あう…何か体の節々が痛い…」


「怪我はしてない?」


「ほっぺと肘…」


「あらら」



声を掛けた潮が笑って肘の土を払ってくれて、手を借りて立ち上がる。

スマホのインカメで見ながらほっぺの土も取った後、潮は改めて話し始めた。



「えーと。寝てたとこ悪いんだけどさ、今日って空いてる?ちょっと行きたいところがあるんだけど、一人じゃ行けなくてさ」


「今日?今日はねー深夜にちょっと配信したいくらいかな!どこ行くの?」


「車で40分…いや、ごめん。1時間くらいのとこかな。親戚のところに行きたくて。遠出になるけど」


「えーーーー!!!!!いいよ」


「お前くらいだよ。親戚に会いに1時間かけて行きたいから着いてきてって言われて、一つ返事でいいよって応えるやつ」


「別に深夜まで何もすることないもーーん!おっでっかけ♪おっでっかけ♪」


「底抜けのポジティブで助かるわ。ありがとね。んじゃ準備したら声かけてもろて」


「あー!待ってよー!!」



言うだけ言ってそそくさはなやぎ館に戻っていく潮の背中を追いかけて、準備を始める。

あれもこれもと用意してもたついちゃったけど、中央ホールで待ってた潮は全然怒らなかった。



「お。風が良く吹き抜けて涼しいところだから、半袖だったら上着いるかもよって言おうと思ったけど。丁度良さそうな格好じゃん」


「マジ?!良い感じ?!」


「うん。しかもめっちゃ似合ってるわその服」


「へへー!!あもながね、かのあに似合いそうだからってくれたんだー!お気に入りなの!」


「かわいい姉妹ですなぁ。色も良いじゃん」


「何かね!全然良く分かんないんだけどね!赤蘇芳っていう色らしい!!かわいいでそ!!」


「マジかよ。あもなちゃん細部までプレゼントセンス良すぎでしょ。あのね、正直ほんとに似合ってる」



襟つきのかわいい長袖ワンピースをドレスみたいに持ち上げて、どや顔。

セリーのくれたかわいいリボンのヘアゴムもつけて、いつか那由多が誕プレでくれたバッグも持って、準備は万端。



「普段はカジュアルだけど、今日はやたらおしゃれな感じじゃん」


「えー!!だって、潮の親戚に会うんでしょ?!そりゃちょっと良い格好しなきゃ!」


「あ、そういうこと?身構えさせて悪いね。まぁ、大したあれじゃないんで。気にせずね」



そんなこと言いながら外に出て、潮の車に乗り込む。



早速出発して、歌を唄ったり話したりしながら1時間後。

のどかな風景に囲まれる車道を真っ直ぐに進んだ先で、小さな丘の入口に潮の車はゆっくりと停まった。


その先は車が通れないみたいで、ちょっと歩くよと潮は言った。



「しゅっごーーーい!!憧れの壮大な日本の風景だーーー!!!」


「あのさぁ…ほんとに日本で生まれ育ったんだよね?」


「いやさ!もうずっと部屋の中でゲームして配信してるだけだから、正直一歩外に出たらほぼ海外の民みたいな反応になっちゃうよね?!日本すげーーーってなっちゃうよね?!」


「まぁ…でもちょっと分かるのが悲しいわ。ずっと家で執筆した後に外出たら異世界感じるよ」



辺りを見回してうきうき歩いてると、すぐに家が見えてきた。

古いけど大きくて立派なそこは、おひさまはきらきら輝いているのに、少しだけ暗がりの中にいるように見えて不思議だった。



「ここ?」


「うん。母方のばあちゃんの、実家」


「ほえええええてことはひいおばあちゃんが住んでたってコト?ワンチャンひいひいおばあちゃんも!?」



かのあの言葉に「そうそう」と適当に相槌を打ちながら、潮が玄関を開ける。


靴は一足。

とっても静かな空間で響いた扉の開く音に、慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえた。

どなたですか?と廊下からやってきたのは、60代くらいのおばあさん。


おばあさんは私たちを見て一瞬怪訝そうにしたけど、潮の顔を見てはっとしたように口を開いた。



「あら…もしかして…」


「お世話になってます。ひ孫の潮と申します」


「最後の女の子?」


「はい。今まで管理してくださって、ありがとうございました」


「いいのよ。よく来たね」



敬語だし親戚に会いに行く、と言っていたし、おばあちゃんではないんだろうなぁ。

なんて思いながら、やることもないので潮の傍でぼんやり様子を見守る。


すると2人は挨拶も程々に、家に上がることなく何故か隣の家へと向かった。



「ーーーおばあさまたちはね。色んな思いをね、受け入れて。傷を負いながら、自身の力も忘れ、浄めることもできず…」



ぼそぼそと話すおばあさんの声はかのあの耳にまで良く届かなくて。

隣を歩く潮はただ神妙な面持ちで静かに頷いていた。



「でも、あなたはそうではないみたいね」


「……幸い、誰かの想いに捉われて溜めこんだまま生きられるような忍耐力は持ち合わせませんでしたので」


「あら、そんな言い方をして。やり方を知っているのね。お導きの声が聞こえるんだわ」



隣の家の玄関を開け、誰かに声を掛けるおばあさん。

それから家の中へ入るよう言われて、潮に続いて堂々とお邪魔する。


案内された奥の和室には、おばあちゃんよりさらにおばあちゃんな女性が座っていた。


大おばあちゃんは潮に一つ礼をした後、風呂敷と紙袋を幾つか目の前に置いた。



「…祓っております故。もう、何の効力も持ちますまい」


「分かりました。では、処分をお願いできませんか」


「良かろうでしょう。そのようにしましょう…中は確認しないと申しますか」


「母と私の世界が僅かでも明るくなる時、陰が濃くなることなどないようにしたいのです」


「懸命でしょう…だが、確かに救われた者もいた…それだけはお忘れなきように」


「ええ。私も少なからず。時代に沿い、別の形で同じように誰かを救いたいと望んでいます」


「ええ、ええ…」



分からない話をする2人を見守っていると、大おばあちゃんとおばあちゃんが風呂敷と紙袋を持って部屋を出て行った。

残された潮と私。きょろきょろしている私に、潮は小さな声で言った。



「ーー受容と共感の能力ってのがあってね。その道を究めた者は、声なき者の声が聞こえるんだそうな」


「ふぇ?声なき者…?」


「うん。それは、負の念を持ったままこの世を去った全ての者を癒す。でも同時に、歴史の証人にもなってしまう」


「……証人…」


「そこで何があったのか、何が起きたのか。存在というのは曖昧だから、十人が見たと言えばそこに存在する。でも十人の内一人でも見ていなかった、と言えばその瞬間に曖昧になる…規模が大きくなればなるほど、人々は歴史を求め、証人を求め、正しさを追って文字を認める」



でも、正しさは枠内に収まらない。囲えば迷路になる。

なんて一端にカッコいいこと言っちゃう潮の横顔は真剣で、「うおw」なんて言えなくて。



「そこに負の念が滞る限り、抜け出すことの難しい二元論、正義と悪が存在してしまう」


「正義と悪、かぁ…」


「これを癒すには、負の念を抱えてしまった声なき者の声を聞ける究者が必要になる。でも、それは最大の癒しであると同時に、最大の二極化を引き起こす根源でもあるのね」


「じゃぁ、どうするの?声が聞こえちゃったら、どうするの?」


「どちらが正義でどちらが悪だったかを問うのではなく、その事象についてどのように思ったかを問う。答えを生まないということ。例えば負の念が大きい方に情を向けた善悪を測るのではなく、純粋にどう思ったかを重視して、見聞きした者の内の天秤を問うやり方を取る」


「………あれ?でもそれって…」


「現代の漫画とかアニメとか小説とかゲームの一端が、それに近いよね」



何だか分からないけど、潮の家系の人がそういう人だったのかなーってぼんやり考えて。

その血筋の先で、潮は今小説家として生きてるんだってことなんだと勝手に理解して。


勝手に納得してあほみたいに頷いてると、天井を仰いだ潮がどこか一点を見つめて続けた。



「…分かってくれた、というだけで救われることもあるから」


「そだね」


「辛かったね、と言われるだけで、救われる心もあるから。軽くなる想いもあるから。本来形を変えてどの時代にも必要なんだよ。受容して、共感するという力は」



分からないけど、こういう時の潮はかのあにとって超カッコイイ。

「ふーん」とどっちともとれない返事をしておいて、にやにや潮の横顔を見ていると。


いつもの表情に戻った潮が、「あほづらでこっち見んな」と笑ってきた。



「何で見てないのに分かるのさ!!」


「何でって、かのあちゃんなんて大抵あほづらでしょーが」


「はあ?!そんなことないもん!!多分!!」


「多分…」


「うん…多分…」



しばらくすると、大おばあちゃんとおばあちゃんが戻ってきた。

小さい紙袋だけすっと潮に差し出して、大おばあちゃんは言う。



「…これだけは受け継いでやっておくんなし。後のもんは全て我々で」


「ーーご迷惑をお掛けしました。ありがとうございました」



ーーすると、大おばあちゃんはそのままかのあに向き直った。

びっくりしていると、にっこり笑った柔らかそうなほっぺ。



「お嬢さんも、誰かの色んな想いを抱えてこの世界に来たんなら。それらは全て無かったことにするのではなく、受け入れて、浄められるべきでしょうや」


「……えっと…」


「お嬢さんが一番気にしている人の声を聞かせてしんぜようか」



どこか落ち着く声音で諭されて、少し考える。

でも、しっかりと首を振っといた。



「……大丈夫です!!きっと、自分で、いつか…全部全部愛してあげられる日が来るって、信じてますから!!」


「ああ、ああ…その通り。お強いこと。お嬢さんなら、どこにいても美しく咲けようぞ」


「ここにいる潮が言ってくれたんです。抱えて熱くなっちゃった色んな思いは、いつか宝石になるよって。だから、わたし、いつか来るその日を待てます!!」


「ふーん…私、良いこと言うじゃん」


「自画自賛ぶははははは!!」


「ふははははは!!!」



笑い合うかのあ達を、大おばあちゃんはにっこにこで見守ってくれて。

その後、お暇しようとすると手土産の山菜とお茶まで持たせてくれた。



「良く調理してくれる人がおらっしゃるでしょうや。旬のものを食べて、英気を養ってくださいますよう…」


「ありがとうございます。頂きます」


「わーい!!かのあ、天ぷらなら食べられるんだよねー!揚げてもらおーっと!」


「大地で育まれ、雨に恵まれ、太陽と月の光を存分に浴びたお茶の葉も、お嬢さん方の心身を芯まで癒すでしょうや…」



受け取って、家の外まで手を振りに出てくれた2人に向かって大きく手を振り返す。


車まで戻る道すがら、竹林で笹の葉が風に揺れてるのが見えた。



「さーさーのーはーさーらさらー♪のーきーばーにーゆーれーるー♪」


「あれ、このへんに子どもはほとんどいないと思ってたけど、5才くらいの女の子がいる?」


「かのあちゃんだよーーーーん!!!」



遮るものもなく、かのあのでかい声が響き渡る。

でもそれを「やめて」と言うような誰かも近くにいなくて、生まれたばかりの制限のない自由がそこに在る気がした。



「普段ならうるせぇ!って怒鳴ってるところではあるけど、まぁ此処ならちょっとくらい大声出してもいいか」


「人と人とが関わる中でなら、自由とは各々が守る規範の中に在るべき!自由と調和は共存すべき!どんなに難しくてもね。

てことはつまり、今は潮しかいないからデカい声出すくらいならオッケーってコトで良い!?」


「それどころか、たまには何も気にせず走り回っておいでよ」


「ひゃっほーーーーーー!!!!」



一頻り走り回った後、足が回らなくなって大人しく潮の近くに舞い戻る。

おんぶをねだったけど無視されて、とりあえず気合で潮の車に向かって歩いた。


見慣れたムーンライトブルーの車が草葉の陰から見えてきて、鍵が開いた瞬間に駆け寄って乗り込む。



「ひょえーーーー!!足つっかれたーーーー!!」


「元気じゃんか」


「もう無理!もう動かないからかのあ!かのあの部屋までおぶって連れてってね!」


「はいはい。んじゃシートベルトくらい自分でつけてくださいね」



言われた通りにつけると、行くよーと間延びした声と一緒に車が発進した。

のどかな風景が後ろに向かって遠ざかっていくのを見つめていると、何だか勝手に口が開いて。



「ーーー…今日ね。すっごい懐かしい昔の思い出を、夢に見ちゃってさー」


「まぁ…割と興味ないけど、運転の眠気覚ましにでも聞いてやりますか」



何やかんやでいつも聞いてくれる潮に甘えて、今日見た夢について話し始めることにした。



「まず、おしっこ行きたくてね?」


「おしっこスタートやめて?」


「その時かのあまだちっちゃくて。でもママとパパが喧嘩してたから、おしっこ行きたい!って言えなくてさ。仕方なく自分で行ったんだけど、上手にできなくて…トイレットペーパー散らしてたからやべーーー!!ってなっててさ」


「かのあちゃんさぁ…君、何かいっつもやべー!ってなってない?」


「そんな中で出て行ったパパにかのあが着いて行っちゃったと思って、ママが必死に探してくれててね。どうしようどうしようー!って思ってたら見つかっちゃって」


「いや、どうしようー!じゃないのよ。探してんだから返事しろや」


「お返事もしなかったし、トイレットペーパーも散らしてるしで、絶対怒られると思ったんだけどね。でもね。お母さん、泣いてたの。ぼろぼろーって涙が出てきてて」


「あぁ…マジでこいつ何してんねん…って呆れて言葉も出んかったんかなぁ」


「おぉん!?何だやんのかこの!!って、言いたいんだけど。実際かのあもそうかと思ってたの!!そうかと思ってたんだけど…」



ーー潮の血筋の誰かが生まれ育った地が、遠く離れて行く。

此処から繋いだ命は今はなやぎ館にあって、かのあたちと共に在るんだと思うと。

すごく不思議な気分になった。



「ママを困らせたくなくて、1人で行ったの?って泣きながら抱きしめられて。すっごいあったかかったんだ」


「………」


「でね。最後に…立派なママじゃなくて、ごめんね。ママなのに、きちんと愛してあげられなくてごめんね。って」



遠い昔の、どこにも飛ばせなかった思いを。

潮の隣で、開け放った窓からかつて誰かが自然に抱きしめられながら育った豊かな地へ、手放していく。



「かのあね……今でも思うの。愛を知らないまま、重たい想いを抱えた体のまま、絶対に誰かを愛してあげなくちゃいけない世界で。怒りも悲しみもどこにも出せなくて、苦しみも昇華できない世界で。愛っていうものを無条件に自分の子どもに与えて、それをしないと人間じゃないみたいに扱われる世界で」


「……、」


「お母さんは、よくかのあを育ててくれたなって」


「…かのあ」


「だって、苦しいじゃん。何かあったら母親は子どもを愛して当然!って責められる世界で。でももしその人が、お母さんから愛されて育ってなかったら?矛盾してるじゃん!」


「かのあ」


「何なのさ。きちんと愛してあげられなくてごめんねって。誰に謝ってるの?どこにお母さんの心があるの?」



何だか口が止まらなくなって、段々感情が抑えられなくなってくる。

心の中が荒々しくなってるみたい。


落ち着かせようと名前を呼んでくれた潮だったけれど、落ち着かないかのあを見兼ねてゆっくりと路肩に停車した。



「…自分のお母さんにやられたみたいに、かのあにブランドのバックを買わせて。ひどい言葉を言ってみて。でもかのあの好きな飲み物を用意してくれてて、ブランドもののバックと同じ金額をいつもかのあに渡す為の口座に振り込んでて。どこにお母さんの心があるんだろう?」


「……かのあ。落ち着いて、私の顔を見て」


「お母さんは…!お母さんは、ずっと苦しんでる。愛されなかった自分と、子どもたちを愛さなきゃいけない自分と、それでもお母さんでいなきゃいけない自分で、バラバラになったまま…きっと、ずっと迷子になってるんだ」


「かのあ、見て」



涙が出そうになって俯くと、潮が両肩に優しく手を添えてくれた。

何でこんなに心が揺さぶられるんだろう?かのあの感情はどうしちゃったんだろう。


落ち着きたくて、ゆっくり潮の瞳を見つめると。

潮は、かつてないほど優しい眼差しでかのあを見つめ返した。



「かのあのお母さんの中には。愛されたかった自分と、子どもたちを愛したい自分と、だからこそお母さんでいたい自分がいるんだよ。そこを履き違えちゃいけない」


「…、」


「それから、かのあは自分の気持ちをお母さんに重ね合わせることで隠してる思いを宥めようとしてる。本当はそうじゃないでしょ」


「…う゛ぅ…」


「いいんだよ。かのあは、お母さんに甘えたい時に甘えられなかったかもしれない。抱っこしてって言った時に、抱っこしてもらえなかったかもしれない。それを、『お母さんは辛かったんだから』って、納得しなくていいんだよ」



ぐすぐす勝手に涙が溢れてきて、止まらない。

まるで誰かの感情まで入り込んじゃったみたいで、必死に潮の手を握った。



「かのあ。こんなにも美しい世界で、そんなにも重たい想いに蓋をしたまま生きていくのは勿体ないよ。3歳のかのあは、本当はどうしてほしかったの?」


「ーーー抱っこ、してほしかった…」


「うん」


「あ、赤ちゃんばっかりずるかった…かのあだって、いっぱいかわいいねって言われたかった。やりたいことも全部全部、お姉ちゃんだからだめだよって。やだった。だんごむしがいるよとか、お空が綺麗だよとか、お絵かき上手にできたよとか。いっぱいお母さんにお話聞いてほしかった」


「そうだね」


「もっと、もっと…!すごいねって。だいすきだよって、言われたかった…!」



子どものように泣きじゃくるかのあの声を、美しく澄み渡る青空が吸い込んでいく。

溢れて落ちた涙は、太陽の光に照らされて、静かに溶けていくようだった。





しばらくして落ち着いてくると、潮はまた静かに車を発進させた。


ぶびーーー!!と勢いよく鼻をかんだ後、鼻も心もすっきりしていることに気が付く。



「なんか…前に詩津さんがさ。家庭環境が良くなかったって。でもそれでも、たくさんの人に支えられてお母さんやってるんですって言ってたじゃんか。詩津さんもお母さんも、色んな想いを抱えながら子どもを育てて…すごいなぁって思うんだよねー」


「そうだね」


「かのあもいつか、この思いを自分の子や、誰かに…引き継ぐのかな…」



青信号を待つ潮の横顔をちらっと見つめると、潮は少し考えてから口を開いた。



「…心配しなくても。何十年も生きた人生の先でいつか轍を振り返った時に、そこに美しい思い出がひとつあればいい。この肉体が骨になった後、まるで産土みたいになっていずれ地球の一部になるなら。私はかのあたちと過ごした、愛に溢れた生活と共に眠りたい」


「……潮…」


「そしていつか、その産土を誰かが掘り起こした時。悲しい想いだけじゃなくて、誰かと愛のある時間を過ごした想いもそこに在ってほしい」


「………、」


「いいんだよ。辛い想いも、昇華できない想いもあっていい。それを含めてかのあだ。否定したらばらばらになるそれは、全て内包して初めてかのあになるんだから」


「……う゛ん…」


「だからこそ、後世に引き継ぐ記憶があるなら。陰と陽みたいに、どちらか一方だけが引き継がれたりしないよう。美しい思い出も共に添えなきゃね」



青になって、また進み始めた車。

はなやぎを真っ直ぐ目指す潮の車は、いつも安全運転でかのあを運んでくれる。



「あと、此処は絶対に誰かを愛さなくちゃいけない世界なんじゃなくて。きっと、その人次第で絶対に誰かを愛すことのできる世界なんだよ」


「……ふーん。それって、素敵じゃんか」


「ーーーでしょ。さ、ちょっとは軽くなったんじゃない?」



一番愛を語りそうにない潮が、一番愛とは何かについて語ってくれる。

はなやぎってきっと、潮の愛で溢れてるんだ。


まだ熱い想いを大事に抱えたまま、いつか宝石になる日を待ってるかのあにも。


潮の優しい想いは、太陽や月の光みたいに降り注いでる。

いつの日も、いつかの日も、いつまでも。



「潮!!」


「うるさっ!!」


「いつもありがとねーーー!!!」









*   *   *   *   *   epilogue








(てかこちらこそ、今日は着いてきてくれてありがとね)


(全然!むしろありがとう!!でもさー別に気にしてなかったけどさー。何でかのあと行こうと思ったの?蛍もいたじゃんか?)


(ん?うーん…蛍はね。あいつ意外と優しいから)


(あ゛え゛ええ?!?!どういう意味それ?!!?かのあが優しくないって言ってる?!?!)


(リアクションでかすぎだろ…こちとら運転中だぞ自重しろ…?)


(かのあも優しいケド?!)


(いやね。私が蛍に「親戚の家に行きたいんだけど一人じゃ行けないから着いてきて」なんて言ったら、「何でなんだろう…どんな関係で、何で一人で行きたくないんだろう…どんな理由があるんだろう…」って一生気にしてくれるだろうからさ)


(まぁ確かにそうかも!!)


(で、それに比べてどっかの誰かさんは全くそんなこと気にせずに「いいよ!」って言うわけじゃん?だからかな)


(すっっっごい分かりやすかった!!ありがとう!!!)


(逆に自分がそんな風に誘われてたら、私も同じように気にしちゃうだろうから。アホ面で「いいよ!」って言っちゃうかのあちゃんは正直稀少ですよ)


(えー!だって、そんなに家族とそんな仲良くないみたいな話はわざわざ詳しく聞かなくてももう知ってるわけだしー。何かワケアリでもかのあが着いて行ったら行けるっていうなら、当然着いて行くでしょ!)


(かのあ、お前はほんとに良い奴だよ。バカだけど…)


(バカだけどやめて?!)



(あーあ!なんかセリーたちに会いたくなっちゃったなー!)


(お。丁度今日の夕方顔出すって言ってたし、せっかくだから帰りに何か買いますか。近くに鮮魚店あるし、刺身盛りお願いしてパーリナイしよう)


(パーリナイきちゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!あ、そういえばこの前、蛍が焼き鳥の冷凍ストック買っといたよーって言ってた!!)


(よっしゃ、メッセ送っとくわ)


(今日も良い日だーー!!最高だーーー!!!)











幕間 「慈雨の輝き」 了








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