第9話 最短の演算と非効率の種まき
第9話 最短の演算と非効率の種まき
坑道の空気が、文字通り「数式」に支配されていた。
演算統括プロセス・アスタロトが指先を軽く振るうと、空中に青白い幾何学模様が展開される。
「座標X28、Y15。最適解……排除」
無機質な声とともに、不可視の衝撃波が最短距離でハルを強襲した。
物理的な予備動作は一切ない。純粋な『計算結果』としての暴力。
ガァンッ!!
「……っぐ!」
ハルは間一髪で盾を滑らせたが、完全にはいなし切れず、白銀の装甲が削り取られた。
肩口から赤い血が滲み、鉄の匂いが冷たい坑道に散る。
「ハル……ッ!」
ぽんずが悲鳴を上げ、ヒカリは自分の巨体の前で血を流すハルの背中に、ヒッと短い息を呑んだ。
「理解不能だな」
アスタロトは冷たい瞳でハルを見下した。
「次の演算が来る前に、なぜ後退して距離を取らない? 逃げ方すら知らないのか、非効率な愚者め」
アスタロトの嘲笑に、ぽんずたちは息を詰まらせた。
(違う、ハルはウチらを庇って……一歩も引かんといてくれてるんや……っ!)
ぽんずの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
だが、当のハルの内心は、感動とは程遠い絶叫で満ちていた。
(逃げたいよ!! でも後ろにでっかいオカマがいるから、物理的に退路がないんだよ!!)
ハルのすぐ背後には、幅も厚みも規格外のヒカリが壁のように鎮座している。
一歩でも下がれば、ヒカリの豊満な肉体に激突してしまう。女性(?)にぶつかる恐怖と、退路を塞がれた絶望が、ハルを強制的にその場に縛り付けていたのだ。
「……最適化演算、再開」
アスタロトの周囲に、さらに無数の攻撃ベクトルが展開される。
逃げられない。なら、やるしかない。
「……ッ!」
ハルは奥歯を噛み砕かんばかりに食い縛り、盾を構えながら、空いた手で虚空にスキルウィンドウを叩き出した。
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【SYSTEM MESSAGE】
▶ パラディン『ハル』が【微光の祈り】を発動。
▶ ※セフィロトの規約により、HP回復量は『0』に制限されています。
▶ パラディン『ハル』が【祈念の残光】を発動。
▶ 指定座標に光の紋様を配置。
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ハルの手元が淡く発光し、足元の岩盤に無意味な光の紋様が刻まれる。
回復量ゼロの産廃ヒールと、ただ地面が光るだけの装飾スキル。
「……は? なにをしてるんだ、お前は」
アスタロトの顔に、初めて明確な『嫌悪』が浮かんだ。
「回復魔法はロックされている。意味のない行動にリソースを割くなど、バグ以下のゴミだな」
ズガンッ! ガァンッ!!
無慈悲な最短演算の連撃がハルを襲う。
ハルは0.01秒のパリィで致命傷だけを避けながら、血を流し、息を荒らげ、それでも一歩も退かずに死にスキルを連打し続けた。
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【SYSTEM MESSAGE】
▶ 【微光の祈り】を発動。回復量:0
▶ 【祈念の残光】を発動。座標X29, Y14にノードを配置。
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「アホや……なんであんな無駄なこと……っ」
ぽんずの唇が震える。
血の匂い。ハルの浅く、苦しげな呼吸。
それでも、決して膝を折らず、祈るように淡い光を灯し続けるその姿。
クロイツは両手で胸を押さえ、ヒカリの目からは大粒の涙が溢れ出していた。
(アタシのために、血を流して……命を削って、祈ってくれてる……ッ!!)
ヒカリの心臓の鼓動が、痛いほどの熱を持って打ち鳴らされる。
(この光で目眩まししてワンチャン隙を作るしかねぇんだよぉぉッ!!)
ハルの血の涙を流さんばかりの本音は、限界女子たちには微塵も届いていない。
「不愉快だ。その非効率な命ごと、デリートしてやる」
アスタロトの眼鏡の奥で、無数の数式が暴走的に駆け巡る。
空間の魔力が一点に収束し、ハルの存在そのものをシステムから消去する『絶対消去演算(最大火力)』が構築された。
「……ハルゥッ!!」
ぽんずの絶叫と同時に、致死の閃光がハルめがけて放たれた。
パリィすら不可能な、絶対命中の光線。
誰もがハルの死を確信した、その瞬間。
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【SYSTEM MESSAGE】
▶ Error:空間内の光子密度(Lumen)の異常上昇を検知。
▶ Error:配置された光のノード間で、あり得ないベクトル干渉が発生――
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ギギッ……。
アスタロトの放った閃光が、ハルの直前で不自然に『屈折』した。
ハルが連打していた【微光の祈り】は、回復量こそゼロだが「空間の光子密度を上げる」という仕様だけは残っていた。
そして、【祈念の残光】で配置された無数の光の紋様が、高密度となった光子を乱反射させる『鏡のノード』として機能し始めたのだ。
「……な、に?」
アスタロトの無機質な声に、初めて『焦燥』が混じる。
最短距離を進むはずだった彼の攻撃エネルギーが、ハルが撒き散らした光のノード間で乱反射を繰り返し、予測不能な幾何学模様を描き始めた。
計算外のノイズ。
それは、絶対の計算の神を狂わせる、泥臭くも致命的な『非効率の種まき』の完了を意味していた。




