第8話 見掛け倒しの勇者と動かざる盾
第8話 見掛け倒しの勇者と動かざる盾
無音の坑道に、岩喰いトカゲの群れが立てる不気味な地響きだけが反響する。
時速七十キロの突進。それが数十匹の群れとなって、一直線にハルへと迫っていた。
「……下がっていてください。ここは、僕の絶対防衛圏だ」
低く静かな声とともに発動した【不動の構え】。
ハルの身体を包み込む白銀の甲冑が、微かな光を放ちながら鉱山の岩盤と完全に同期する。移動速度が「ゼロ」になる代償として、ノックバック(吹き飛び)を完全に無効化する、使い勝手の悪い産廃スキルだ。
ぽんずが悲鳴を上げる。
「アホか! なんで足止めるねん! あんなん四方八方から来られたら盾一枚じゃ――!」
その言葉の通り、トカゲの群れはハルを包囲するように散開し、全方位から同時多発的に突進を仕掛けてきた。
(やばいやばいやばいやばい! 怖い! 足すくんで動けねぇ!! だからこのスキル使ったんだけど!)
ハルは極限のパニック状態にあった。だが、恐怖が振り切れたことで、彼の脳内は奇妙なほどの冷静さを取り戻し始めていた。極限の自己暗示(RP)による、思考の超加速状態である。
ガキンッ!!
甲高い金属音が暗闇を切り裂いた。
右前方から飛び込んできた一匹目の突進を、ハルは盾で「受け止める」のではなく、盾の先端をわずかに傾け、装甲の表面を「滑らせる」ように斜め上へと受け流した。
トカゲの突進ベクトルが上空へと逸れ、体勢を崩したまま背後の岩壁へと激突する。
その処理が終わるよりも早く、左、背後、斜め前方から、残りの群れが牙を剥く。
(視覚で追うな……。風圧と、足音の振動だけで発生フレームを予測しろ!)
ガァン! キィィンッ! ガシュゥゥゥッ!!
火花が散る。ハルは一歩も動かない。
動けないからこそ、足元の座標計算が不要になり、脳のメモリの100%を「盾の入射角の調整」と「0.01秒のタイミング合わせ」に全振りできるのだ。
右からの牙を弾き、そのままの手首の返しで左からの尾の一撃を上に逸らす。背後からの突進は、盾の裏面で微かに軌道をズラし、同士討ちを誘発させる。
それはもはや、戦闘ではなく「音楽」だった。
無音だった坑道に、ハルが弾き返す金属の打撃音が、狂気的なまでの正確なBPMで刻まれていく。
「……ウソやろ」
ぽんずが、引いていた弓を下ろし、呆然と呟く。
「あれだけ囲まれて、ノーダメ……? 一歩も動かんと、全部の攻撃を完全にいなし切っとる……」
クロイツは、もはや呼吸すら忘れたようにその光景を見つめていた。
冷たい鉱山の空気の中、極限の集中で熱を帯びたハルの横顔から、汗の滴が静かに落ちる。その刹那の美しさに、彼女の網膜が焼き切れる。
そして、その背中に一番近い場所で腰を抜かしていたヒカリは――。
「……あ、あ、あああ……」
自身の巨躯を丸め、太い腕で顔を覆いながら、本物の乙女のように震えていた。
自分は立派な身体をしているのに、恐怖で一歩も動けなかった。
それなのに、あの折れそうなほど細い少年は、自分の何倍もある魔物の群れを前に、一歩も退かずに自分を守ってくれている。
「ガタイが良くて強そう」という理由だけで勇者に祀り上げられた、偽物の自分。
「細くて弱そう」なのに、血反吐を吐くような気迫で盾を構え続ける、本物の騎士。
ハルの白銀の背中が、ヒカリの網膜に、そして心臓のど真ん中に、強烈なシンボルとして焼き付いた。
(……なんて、なんて尊い背中なの……ッ! この子、アタシが、アタシの全部を懸けて推さなきゃ……ッ!)
限界オタクの業火が、でっかいオカマの胸の奥で特大の産声を上げた瞬間だった。
「……ぽんず、クロイツ! 射線、開けたぞ!」
ハルのひび割れた声が、洞窟に響く。
完璧なパリィによって体勢を崩され、一点に集められたトカゲの群れ。
「……任せとき! ウチらの推しに、これ以上無理させへん!!」
ぽんずの放った無数の幻影矢と、クロイツの死霊の呪いが、一網打尽に群れを貫いた。
光の粒子となって消滅していくトカゲたち。
「……っはー……終わっ、た……」
すべての魔物が消え去った瞬間、ハルにかかっていた【不動の構え】が解除された。
緊張の糸が切れ、ハルの身体がグラリと傾く。
「私の騎士様……ッ!」
ヒカリが太い腕を伸ばし、倒れそうになったハルの華奢な身体を、包み込むように優しく受け止めた。
「あ、ありがと……」
「……いいのよぉん。アナタは、アタシのホンモノの騎士様だもの……♡」
その濃厚すぎるハグと、耳元で囁かれた熱を帯びたオネエボイスに、ハルは「ヒッ」と短い悲鳴を上げ、全身に鳥肌を立たせて気絶しかけた。
だが、そのコミカルな空気は、次の瞬間、無慈悲に凍りついた。
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【SYSTEM MESSAGE】
▶ 警告:エリア内の物理演算係数が書き換えられました。
▶ 警告:【演算統括プロセス・アスタロト】の降臨を検知。
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空気が、文字通り「止まった」。
坑道の奥深くから、一切の足音を立てず、純白のローブをまとった青年の姿をしたAIが、滑るように現れた。
彼の周囲だけ、舞い散る埃や光の粒子が、グリッド状の完全な計算式に沿って不自然に制止している。
「……非効率なノイズの排除行動、ご苦労」
アスタロトが、無機質な眼鏡の奥で冷たい瞳を光らせる。
「だが、お前たちのその戦い方もまた……甚だ非効率だ。最短の消去演算で、システムからデリート(削除)してやろう」
セフィロト幹部。
ゲームの基底APIそのものを司る、絶対的な『計算の神』が、ハルたちを完全な死のロジックで包囲した。




