第2話 0.01秒の金属音と限界化
第2話 0.01秒の金属音と限界化
鼓膜を劈くような高周波のシステムアラート音が、鬱蒼とした森に鳴り響いた。
ぽんずとクロイツは、美少年の華奢な身体が時速六十キロの質量に轢き潰される惨状を想像し、きつく目を閉じていた。
だが――
「……え?」
恐る恐る目を開けたぽんずの網膜に映ったのは、信じられない光景だった。
白銀の甲冑をまとった少年は、一歩も後ろに下がっていなかった。
彼の真横を、暴れ猪の巨体が文字通り「滑り抜け」、後方の巨木に激突して白目を剥いている。
血の匂いも、骨の砕ける音もない。
ただ、擦れ切れた盾の表面から、わずかに白煙が上がっているだけだった。
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【SYSTEM MESSAGE】
▶ パラディン『ハル』による【打ち払い(パリィ・ストローク)】を検知。
▶ 接触角の偏向率:臨界値到達。
▶ 運動エネルギーの99.9%を右方ベクトルへスルー。
▶ 物理演算過負荷:衝撃の分散ベクトルが推奨計算域を超過――
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パキィッ!
空中に展開されていた半透明のシステムウィンドウに、幾筋もの亀裂が走る。
ゲームの物理エンジンそのものが、今起きた「理不尽なまでの完璧な受け流し」の演算処理に耐えきれず、悲鳴を上げたのだ。
「うそ……やろ。あの質量を、盾の角度だけでいなしたんか……?」
ぽんずの乾いた声が漏れる。
衝突の瞬間、ハルは盾で「受け止める」のではなく、0.01秒単位で盾を傾け、猪の突進エネルギーを斜め上へと滑らせていた。魔法でもチートでもない。この世界の基本仕様を極限まで突き詰めた、ただの泥臭い正攻法。
だが、当のハルの内面は、クールな見栄えとは正反対だった。
(やばいやばいやばい! ギリギリすぎだろ! 腕もってかれるかと思った!!)
心臓は警鐘のように激しく跳ね、肺は酸素を求めて痙攣している。
しかし、背後には見栄を張った女子たちがいる。ここで足の震えを見せるわけにはいかない。
ドォンッ……!
巨木に激突したはずの暴れ猪が、血走った目で再び立ち上がり、巨大な牙をハルたちへ向けた。
「ひっ……!」
クロイツが悲鳴を上げ、ぽんずが絶望に後ずさる。
だが、ハルは一歩も退かなかった。
軋む両腕に鞭を打ち、白煙を上げる盾を再び構え直す。
「……誰も、死なせません」
ハルの声は微かに震えていたが、その瞳だけは獣を射貫いて離さなかった。
ハルは極限の自己暗示で震える声帯を無理やり押さえつけ、静かに告げた。
「……射線、開けました。今です!」
ハッとして我に返ったぽんずが、無意識に弓を引き絞る。
「……上等や! ウチらに任せぇ……!」
放たれた幻影の矢が、気絶した猪の急所を的確に貫く。
同時にクロイツの放った死霊の呪いが纏いつき、暴れ猪は断末魔とともに光の粒子となって四散した。
「やった……倒し――」
ぽんずが歓喜の声を上げようとした、その直後。
「……っはー……死ぬ。マジで死ぬかと思ったぁぁ……」
ガシャンッ、と重々しい音を立てて。
あんなに誇り高く立っていた美貌の騎士が、糸が切れたようにその場にへたり込み、地面に大の字に寝転がった。
「えっ……ちょ、大丈夫か!?」
慌てて駆け寄る二人。
「ウチは幻影弓師のぽんず。こっちは暗黒死霊術師のクロイツや。アンタ、ホンマに助かったけど……」
仰向けに倒れたハルの顔は、死の恐怖と極度の緊張から解放され、情けないほどに歪んでいた。
「はぁっ、はぁっ……僕は、ハル。聖騎士、です……っ」
名乗るその掠れた声色。白金の髪は汗で額に張り付き、胸板は酸素を求めて荒く上下している。分厚い鋼鉄の甲冑の隙間から覗く、華奢な首筋。そこを伝い落ちる汗のきらめき。
ぽんずは、心臓の奥底を冷たい手で鷲掴みにされたような、説明のつかない焦燥感に襲われた。
(この子……ウチらのために、こんなボロボロになるまで……!)
「クゥッ……!」
隣では、クロイツが両手で口元を覆い、荒い呼吸を繰り返している。
「圧倒的質量に蹂躙され……重い甲冑を軋ませて泣きそうな顔で名乗る儚い美少年……。ぽんずさん、今、私の網膜には世界で一番美しい名画が映っています……っ!」
「アンタはちょっと黙っとき!」
女子二人の情緒がバグりかけていることなど露知らず、ハルは無事討伐できたことに内心で安堵の涙を流していた。
そして、ふらつく足で立ち上がると、無言でインベントリから「木製の手桶」を取り出した。
「ハル……? なんやそれ」
虚無の瞳のまま、ハルは続けて「ポーション」を取り出し、惜しげもなく手桶に注ぎ込む。
そして、あろうことか、その冷たい水を自身の頭から勢いよく被った。
ばしゃんっ!
「はぁ!?」
「……不浄のまま戦場に立てば、盾の加護が曇ります。ただのルーティンです」
滴る水滴が白金の髪を濡らし、睫毛から零れ落ちる。
まるで映画のワンシーンのような美しい所作で言い放つハル。だが、その本音は『泥まみれで化膿したら恐いし、汚い死体になりたくない』という極限の自意識過剰である。
「……ッッッ!!」
クロイツが限界を迎えてその場に崩れ落ちる。
ぽんずは、信じられないものを見る目でハルを凝視した。
「ちょっ……! ポーション、無駄にすんなボケェ!! 風呂入る暇あったら盾の紐締め直さんかい!!」
静寂の森に、関西弁の怒声が再びこだました。
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【プレイヤー専用外部掲示板スレッド抜粋】
774: 匿名の剣士
【急募】オルナの森でシステムウィンドウ割った奴いるんだが
775: 匿名の魔道士
は? 物理演算エラー? なに食らったの?
776: 匿名の剣士
違う、初心者の森の暴れ猪相手だ。白銀甲冑のパラディンが盾の角度だけで突進いなして、計算式バグらせてた。
777: 匿名の遊び人
パラディン(笑)産廃ジョブ乙。見間違いだろ。
778: 匿名の剣士
ガチだって! スピード落とさずに真横に滑らせてた。あれフレーム単位の入力だぞ!? 中身AIか!?
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