ガイウスの危機
「……おい。」
「どこまで行くんだ。」
校門を出てから、
エリアは今まで一言も話さない。
気づけば、
人の気配もない暗い場所まで来ていた。
夜風だけが吹いている。
白銀の髪が、月明かりに揺れる。
「……そうね。」
「ここらへんでいいかしら。」
「何がだ。」
俺が聞くと、エリアはゆっくり振り返った。
相変わらず、感情の見えない顔だった。
そして。
「……もう、リリアに関わらないでくれる?」
唐突だった。
俺は少しだけ眉をひそめる。
「……なぜだ?」
「その方が、リリアのためだから。」
「……で、いいかしら。」
……リリアのため?
俺は少し考えた。
だが、
エリアは淡々と続ける。
「そうすれば、丸く収まるの。」
「あなたが……邪魔なのよ。」
冷たい声だった。
でも。
校門で会ったときから、
この女はずっと同じ顔をしている。
怒っているのか。
悲しいのか。
何も分からない。
俺は答えた。
「……リリア本人がそう言うならそうしよう。」
「そう。」
エリアが頷く。
「じゃあ、明日から――」
「だが、」
俺は言葉を遮った。
エリアの目が、少しだけ止まる。
「……リリア本人から聞かなきゃ意味がない。」
「俺は、リリアの友だ。」
「お前は友ではない」
「お前の都合なのか。」
「リリアが望んでるのか。」
「それが分からない。」
初めてだった。
エリアの表情が、
ほんの少しだけ曇った。
まるで。
仮面にひびが入ったみたいに。
そして、
小さく呟く。
「……ねぇ。」
「もし、私の都合だって言ったら――」
「どうだっていうの?」
その瞬間だった。
空気が変わる。
……いや。
違う。
空気じゃない。
魔力の圧。
俺の全身の毛穴が、一斉に開いた。
心臓が大きく跳ねる。
本能が叫んでいた。
この場から離れろと
この女とは戦うなと
生まれて初めてだった。
俺の中の警戒信号が、ここまで強く鳴ったのは。
だが。
俺は視線を逸らさなかった。
あまりにも一方的だったからだ
「……お前を知らない。」
「だから、お前の言葉には従わない。」
「それだけの話だ。」
一瞬の沈黙。
そして。
エリアが、少しだけ笑った気がした。
「……ふふ。」
「……そう。」
「じゃあ、死ぬ?」
夜風が止まった気がした。
エリアの周囲の景色が白く染まっていくように見えた
※
「……なんだ。」
パキ。
パキ、パキ――。
異変に気づいたのは、 一瞬だった。
俺の両手が、 徐々に氷に覆われていく。
まるで、 皮膚の上を氷が這うように。
……まずい。
頭で考えたわけじゃない。
身体が、 勝手に動いていた。
俺は咄嗟に足へ魔力を纏う。
そして、 地面を蹴った。
ドンッ――!!
気づけば、 エリア・アニーから 二十メートル近く離れていた。
呼吸が乱れる。
「……はぁ……っ。」
「……はぁ……っ。」
……なんだ今の。
なぜ、 こんなに息が乱れている?
俺はエリアを見る。
エリアは――
動いていなかった。
一歩も。
指一本すら。
瞬きすらしていない。
ただそこに、 立っているだけだった。
なのに。
俺の両手だけが、 凍っていた。
……理解できない。
リリアは言っていた。
魔法とは、 魔力と想像力で具現化するものだと。
さらに。
動き。
呼吸。
視線。
身体と連動させることで、 魔法の精度は上がると。
だから多くの魔導士は、 無意識に身体を使って魔法を組み立てる。
だが――
目の前の女には、 予備動作がなかった。
「……ふぅ。」
「……どんな魔法だ。」
考えても、 答えは出ない。
なら――
いつも通りだ。
分からないなら、 ぶつかって覚える。
俺は、 リリアとの訓練で学んでいた。
氷使いに必要なのは――
貫通力だ。
俺は指先に魔力を集中させる。
圧縮。
さらに圧縮。
極限まで絞り込む。
そして、 短い刃のように出力した。
《魔力剣》より短い。
その代わり、 一点突破に特化した一撃。
……《魔力槍》。
俺は指先を、 エリアの胸へ向ける。
足へ魔力を纏う。
そして――
突撃した。
最速で。
狙いは、 心臓。
その瞬間、 俺は確信していた。
……こいつは、 殺さなきゃいけない。
いや。
この一撃で仕留めなければ――
俺が死ぬ。
理屈じゃない。
本能が、 そう告げていた。
だが――
パキ。
パキパキッ――。
「……なっ。」
届かない。
《魔力槍》の先端が。
エリアに触れる前に、 凍り始めた。
先端から。
指先から。
腕へ。
氷が、 逆流するように這ってくる。
エリアは、 まだ動いていない。
一歩も。
俺のことすら、 まともに見ていない。
冷たい声だけが響く。
「……弱いのね。」
「安心したわ。」
その瞬間、 俺は理解した。
……近づくほど、 冷気が強くなっている。
この女の周囲そのものが、 死の領域なんだ。
……近づいちゃいけなかった。
だが。
気づくのが、 遅すぎた。
足が止まる。
腕が動かない。
指先の感覚が消える。
氷が。
足から。
腕から。
指から。
徐々に、 胴体まで這い上がってくる。
……動かない。
身体が、 完全に止まった。
だが。
視線だけは、 まだ動いた。
エリアの手に、 冷気が集まっていく。
白い靄。
凍てつく魔力。
パキ、パキと音を立てながら――
一本の氷刃が、 形を成していく。
まるで、 氷のつららみたいな鋭い刃。
その切っ先が、 俺の胸へ向いた。
エリアが、 静かに言った。
「……安心して。」
「あなたが死んでも――」
「何も変わらない。」
ゆっくりと。
氷刃が俺の胸へ沈んでいく。
熱い。
なのに身体は凍っている。
口の中に 鉄の味が広がる。
視界が揺れた。
そして――
生まれて初めて俺は思った。
……死ぬ。
※
エリアが手に持った氷のつららを――
ゆっくりと俺の左胸へ突き立てた。
ズブ――。
冷たい感触と共に鋭い痛みが胸を貫く。
氷柱はゆっくりと奥へ進んでいく。
エリア・アニーの表情は変わらない。
冷たいまま。
まるで、 人形みたいに。
「……っ、ぐ……。」
息をするたび口から血が溢れる。
空気を吸うたび 肺の奥まで凍っていく気がした。
視界の端から、 白く染まっていく。
……これは現実なのか。
それとも死ぬ前の幻覚なのか。
今の俺にはもう分からなかった。
ただ――
心臓を貫かれるのを待つことしかできない。
……死ぬ。
俺が、 そう覚悟した時だった。
暗闇の中で。
パチン――。
指を鳴らしたような音が響いた。
その直後。
聞き慣れた男の声が夜に響く。
「――流星剣。」
その瞬間。
エリアの視線が初めて上を向いた。
そして。
初めて、 エリアの表情が曇った。
頭上には――
星みたいに輝く無数の剣。
ディール・フォスターの創造魔法。
全ての刃先が、 下を向いて浮かんでいた。
そして――
ドドドドドドッ――!!
流星のように、 一斉に降り注ぐ。
剣は、 重力を纏いながら加速し。
一直線に、 エリアへ襲いかかった。
パキ。
パキパキッ――。
エリアの結界に触れた剣が、 次々と凍りついていく。
だが――
止まらない。
数が多すぎる。
エリアは初めて、 回避を選んだ。
氷柱を引き抜き、 後方へ飛ぶ。
「がはっ……!」
胸から血が溢れる。
だが。
俺は止まらない。
全身へ魔力を巡らせる。
膨張。
圧縮。
そして――解放。
バキィン!!
身体を覆っていた氷が、 砕け散った。
白い蒸気が、 俺の身体から立ち上る。
俺はすぐに、 エリアから距離を取った。
……なんだ、 今の魔法。
その時。
背後から、 聞き慣れた声がした。
「リリアと話してるのかと思ったが――」
「どうやら、 違うみたいだな。」
振り返らなくても分かった。
……なぜか、 安心した。
「……ディール。」
そこにいたのは、 ディールだった。
俺は息を整えながら言う。
「……あれはリリアの姉。」
「エリアだ。」
ディールは肩を回しながら、 エリアを見る。
そして、 つまらなそうに言った。
「……はぁ。」
「なるほどな。」
「顔はリリアに似てる。」
「そこは合格でもいい。」
「だが――」
口元が、 少しだけ歪む。
「性格込みならマイナスだな。」
「……俺は神官らしいやつが嫌いなんだ。」
……珍しい。
ディールが、本気で嫌そうな顔をしていた。
感情を捨て。
神のためなら。
人を殺すことすら、 正しいと信じている人間。
……ディールが苦手な人間だ
ディールが、 一歩前へ出る。
俺を庇うように。
いつもの余裕の笑みを浮かべながら。
「ガイウス。」
「そこで見てろ。」
「戦い方ってやつを教えてやる。」
そう言って、 ディールは前へ出た。
エリアの周囲では、 雪が舞っていた。
氷の世界。
まるで、 そこだけ別の世界みたいだった。
だが。
それでも。
ディールは笑っていた。
白銀の髪が、 雪風に揺れる。
橙色の髪が、 月明かりに照らされる。
そして――
初めてだった。
学園で、 “最強”と呼ばれる二人が。
真正面から、 向かい合ったのは。




