楽しい訓練
俺とディール・フォスターには、日課がある。
すべての授業が終わったあと。 生徒たちが当たり前のように帰っていく中、俺たちだけは訓練場へ向かう。
訓練場には、横十メートル、縦十メートルほどの石造りの舞台が、縦に七つ並んでいた。
俺はいつも、入口から一番近い舞台を使う。
放課後になると、そこには俺とディールしかいない。
……まあ、当然だ。
このアルメディオ神聖国では、努力しないことが美徳とされている。
生まれながらに神に選ばれた者。 努力せずとも強い者。
そんな存在こそ、美しいとされていた。
俺にはよく分からない。
だが、この国には、努力を恥とする文化が根付いていた。
俺はそんなこと、気にしない。 毎日のように鍛えている。
別に、大きな目標があるわけじゃない。
ただ――自分が強くなっていると実感できるのが、気持ちいいんだ。
……あと、筋肉質の体って良くないか?
理由なんて、それで十分だ。
肩を回す。 脚を伸ばす。 関節の音が小さく鳴る。
そのまま腕立て、スクワット、体幹。 汗が落ち始めた頃、ようやく魔力操作に入る。
基礎である“纏”と“感”を確認する。
そして時間があれば、最後に魔法訓練。
これが俺のルーティンだ。
ちなみにディールは、舞台の端で寝転びながら、欠伸を噛み殺しつつ俺を眺めている。
助言もしない。 手伝いもしない。
ただ、話しかけてくる。
……こいつ、俺以外に話し相手がいないんじゃないか。
……いや。 俺もか。
ディールは俺にとって、他人以上、友達未満ってところだろう。
その友達未満が、大きな欠伸をしながら言った。
「ガイウス」
「なんだ」
「魔法、教えてやろうか」
……眠そうだな。 帰れよ。
そう思いながら、俺は答える。
「まだ肉体訓練が終わってない」
俺には絶対の順番がある。
肉体訓練。 魔力操作。 魔法訓練。
この順番だけは崩さない。
するとディールが、半目のまま言った。
「……お前さ」
「なんだ」
「どうせ魔法訓練まで辿り着かねぇだろ」
「……やってみないと分からない」
だが、現実は厳しい。
いつも魔力操作で時間を使いすぎる。 集中すると、時間が異常に早く過ぎるんだ。
だから、魔法訓練まで辿り着けない。
それが、俺の魔法が一向に上達しない理由でもあった。
……なかなか上手くいかないもんだ。
纏を維持して、足が震え始める。 何度やっても、感の精度が安定しない。
そして二時間が経った。
ようやく魔力操作の訓練が終わる。
時計を見る。
午後八時。
学校が閉まる時間だった。
……また、魔法訓練まで辿り着かなかった。
ディールが鼻で笑う。
「だから言ったろ」
「……ん?」
「うまくいかないもんだな」
「もっと効率よくやれよ、お前」
俺は天井を見上げた。
……なるほど。
これが、神の定めた運命ってやつか。
どうやら神は、俺の努力を邪魔したいらしい。
※
次の日。
授業で訓練場を使うことになった。
実技演習。 そう名付けられた、戦闘訓練だ。
俺は、この授業が好きだ。
理由は単純。 自分が積み上げてきたものを、試せるからだ。
訓練場では、生徒たちが順番に舞台へ上がっていく。
だが――誰にも感情がない。
怒りも、悔しさも、勝ちたいという気迫もない。
まるで作業だ。
炎を放つ者。 水を降らせる者。 風を舞わせる者。
だが誰も、相手を見ていない。
戦っているんじゃない。 見せているだけだ。
そして舞台から降り、教官が助言する。 それを繰り返すだけ。
勝敗なんて、誰も気にしていない。
……正直、意味が分からなかった。
そんなこと、一人でやっているのと変わらない。
対人戦なんだから、相手がいる意味を考えるべきだ。
「ガイウス・レム。上がれ」
名前を呼ばれ、俺は舞台に立つ。
目の前には、一人の男子生徒。
……知らないやつだ。
同じ教室にいるのは分かる。 だが、やっぱり名前は分からない。
この学園の生徒は、ほとんど同じ顔に見える。 みんな、同じ行動しかしないからだ。
名前を覚えているのなんて、ディール・フォスターくらいだ。
でも――舞台に立つと、胸が高鳴る。
緊張。 高揚。
この感覚が、好きだ。
「始めろ」
教官の合図と同時に、男子生徒が魔法を発動する。
手のひらに小さな竜巻をのせ、そのまま放った。
突風が訓練場を駆け抜ける。
風の衝撃が、俺の体を打った。
……またか。
距離を取って、魔法を見せるだけ。 追撃はない。
戦闘訓練なのに、魔法を発動して終わり。
他のやつらと同じだ。
……俺は違う。
訓練だろうが何だろうが――戦うなら、本気だ。
俺は、すべての戦闘に死ぬ覚悟を持っている。
両腕を交差させる。 肘から先に魔力を流す。
収束。 固定。 刃へ変換。
魔力操作の基礎、“纏”の応用技。
――俺の魔力剣だ。
俺が勝手にそう呼んでいるだけだが。
魔法ではない。 魔力操作によって作られた剣。
魔法をほとんど訓練したことがない俺が、辿り着いた形だ。
影では、こう呼ばれているらしい。
未完の剣。
……悪くない名前だ。 センスがある。
俺は足にも魔力を纏う。
そして、よそ見している目の前の少年へ突撃した。
地面へ叩きつけるように魔力を放出する。
ドンッ!!
轟音。
俺の身体が、一気に前へ弾けた。
突風を正面から突破する。
ようやく少年が俺に気づいた。 目を見開き、驚いた声を上げる。
「え……?」
遅い。
俺は交差していた両腕を振り下ろした。
ズバッ!!
制服が裂ける。 頬に赤い線が走る。
少年が尻もちをついた。
訓練場が静まり返る。
そして――教官の怒鳴り声が響いた。
叱るべきだ。 戦闘中によそ見をしていたのだから。
だが、なぜか俺が怒鳴られた。
「ガイウス!!」
「これは実技演習だぞ!!」
よく分からないことを言う教官に、俺は首を振る。
「違う」
静寂。
俺は、倒れた少年を指差した。
「これは、戦闘訓練だ」
「……戦場なら、お前は死んでた」
俺は教えてやった。
こいつが死んで後悔しないように。
それが優しさだと思った。
訓練場が静まり返る中――一人だけ、笑い声が響いた。
聞き慣れた声だ。
「……っ、ははっ」
ディールだけは、いつも笑う。
……俺、真面目にやってるんだが。
なんでだ?
※
教官の顔が紅潮していた。 こめかみに血管が浮いている。 拳が小さく震えていた。
……本気で怒っている。
さっきまで無表情だった顔が、みるみる赤くなっていく。
そして、俺を指差して怒鳴った。
「お前、何をやっている!!」
「これは授業の一環だぞ!!」
「魔法を確認し、神官になるために精度を高める演習だ!!」
「……分かっているのか!?」
「……ん?」
俺は首を傾げた。
すると教官が、さらに怒鳴る。
「それに、あれは何だ!!」
「魔法じゃないだろ!!」
「あぁ」
「魔法じゃない」
俺は自分の腕を見る。 まだ魔力の残滓が残っていた。
「魔力を圧縮して作った剣だ」
一瞬、空気が止まる。
そして。
「……はぁ?」
教官の顔が引きつった。
「今やっているのは魔法の訓練だ!!」
「それになぜ攻撃した!!」
「ん?」
俺はまた首を傾げた。
「戦闘訓練だって言ったはずだが」
「……聞いてなかったのか?」
その瞬間、教官の顔がさらに赤くなる。
気づけば、俺たちの周りには生徒が集まっていた。
そして、好き勝手に叫び始める。
「やっちまえ、ルルム教官!!」
「黙らせろ、その変人!!」
……あぁ。
この人、ルルムっていうのか。
俺は納得して頷いた。
「なるほど」
「今日からルルムって呼ぶ」
「なんだその口の聞き方はぁ!!」
ルルムが怒鳴る。
「俺は教官だぞ!!」
「そして、この国を支える神官の一人だ!!」
「そうか」
俺は素直に頷いた。
「それはすごいな」
「ルルム」
「だから呼び捨てにするなぁ!!」
訓練場がざわつく。
ルルムは肩で息をしていた。
……少し苦しそうだ。
俺は心配になった。
「……落ち着け、ルルム」
「顔、赤いぞ」
「感情を出しすぎるな」
俺は思い出させるように言った。
「いつも、お前たちが俺たちに教えてるだろ」
「感情を抑えろって」
一瞬の静寂。
そして。
「お前のせいだろがぁぁぁ!!」
ルルムが完全にキレた。
……なるほど。
俺は少し納得した。
神官とは、魔法、信仰、そして感情制御。
その全てを極めた者だと聞いていた。
俺はルルムを見る。
「……ルルム」
「まだ未熟なんだな」
「ぐぁああああああ!!」
……何を言ってるか分からない。
多分、感情が溢れすぎて、言葉になっていないんだろう。




