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神を超えるもの

ディールの雰囲気が変わったことを、 エリア・アニーはすぐに感じ取っていた。

……いや。

変わったのは、 雰囲気だけじゃない。

魔力の圧。

それが――圧倒的に、小さくなっていた。

さっきまでのディールは違った。

《流星剣》のような派手な魔法を使い、 自分の才能を見せつけるように、 溢れるほどの魔力を纏っていた。

だが今は違う。

まるで、 風のない湖面のように。

静かな凪のように。

魔力が、 あまりにも静かだった。

……小さい。

なのに。

怖い。

ディールの表情は、 今まで見たことがないほど真剣だった。

エリアの理性が告げる。

――落ち着きなさい。

だが。

本能が叫んでいた。

――危険。

全身が、 警戒信号を発していた。

エリアは、 普段ほとんど汗をかかない。

魔法の影響もある。

だが、それ以前に、 そういう体質だった。

それなのに。

ディールを見た瞬間。

汗が、 額から頬へ流れ落ちる。

視界が滲むほどに。

……ありえない。

エリアは、 すぐに原因を考えた。

可能性は二つ。

一つは――魔力切れ。

だが、 それはありえない。

むしろディールは、 さっきより疲れていないようにすら見える。

なら答えは一つ。

魔力操作。

極限まで研ぎ澄まされた魔力制御は、 相手に魔力そのものを感じさせなくなる。

今。

エリアが感じ取れるディールの魔力は、 ほんのわずか。

それが意味するものは、 あまりにも明白だった。

……魔力操作の技術で、 自分は負けている。

エリアの喉が、 小さく鳴った。

だが、 まだ終わっていない。

エリアには、 まだ隠し玉がある。

氷と水の複合魔法。

《氷結魔法》。

触れた瞬間に凍りつく、 液体窒素のような超低温の水。

エリアは、 静かに手を前へ向けた。

……次で終わらせる。

そう思った瞬間だった。

……いない。

エリアの瞳が、 大きく見開かれる。

目の前にいたはずの ディール・フォスターが、 消えていた。

「エリア・アニー。」

背後から、 声がした。

「少しでいい。」

「俺は、自分の力を試したい。」

……背後。

エリアの心臓が、 大きく跳ねる。

魔道士は、 目で相手を見るわけじゃない。

《感》。

魔力操作の基礎。

相手の魔力を感じ取り、 位置を把握する技術。

武闘家ではないエリアが、 これほどの戦闘力を持つ理由も、 この《感》の精度にあった。

だが――

今のディールは、 その《感》ですら追えなかった。

振り返る。

そこにいた。

ディールは、 肩に剣を担ぎながら、 十メートル後方に立っていた。

ちょうど、 《氷重結界》の効果が弱まり始める境界線。

結界の中心に近づくほど、 重力も冷気も強くなる。

逆に、 外側へ行くほど弱まる。

十メートル。

そこは、 最も危険を避けながら、 最も相手を観察できる位置。

……教えた覚えはない。

なのに。

ディールは、 まるで最初から知っていたかのように、 そこに立っていた。

しかも。

……魔力が、感じられない。

目の前にいるのに。

存在しているのに。

魔力だけが、 まるで消えている。

その瞬間。

エリア・アニーは、 初めて理解した。

……今のディールは。

計れない。


巨大な氷塊の中で。

ディール・フォスターが思い出していたのは――

父との、 ほんのわずかな記憶だった。

父、 ティル・フォスター。

この国で、 最も尊敬される存在。

神の代弁者。

王すら頭を下げる、 絶対的な権力者。

そんな父は、 ほとんど家にいなかった。

国を背負う男だったからだ。

幼いディールにとって、 父は“家族”というより、 遠い神のような存在だった。

だが。

そんな父と、 数度だけ訓練したことがある。

ディールは、 今でもはっきり覚えていた。

だが意外だった。

教えてくれたのは、 魔法じゃなかった。

魔力操作。

そして――剣術だった。

アルメディオは、 魔法こそ全てとされる国だ。

なのに。

教祖である父は、 魔法ではなく、 剣を教えた。

意味は分からなかった。

でも。

……楽しかった。

剣を振るたびに。

魔力を纏うたびに。

自分が強くなっていくのが、 分かったからだ。

それからディールは、 毎日剣を振った。

父がいない日も。

父がいない日も。

父がいない日も。

何度も。

何百回も。

何千回も。

剣を振り続けた。

魔力操作も磨いた。

《感》。

《纏》。

気づけば、 同年代では誰も追いつけないほど、 強くなっていた。

でも。

ディールが努力した理由は、 強くなるためじゃなかった。

ただ。

父に見てもらいたかった。

父に、 褒めてもらいたかった。

……そして。

ついにその日が来た。

たった一度。

ほんの数分だけ。

父と模擬戦をする機会が与えられた。

剣に魔力を纏う。

斬る。

受ける。

弾く。

撃ち合う。

周囲にいた従者たちが、 息を呑んでいたのを覚えている。

そして。

模擬戦が終わったあと。

父は、 優しく笑って言った。

「ディール。」

「君は、  神に選ばれた天才だね。」

その言葉が、 嬉しかった。

心の底から。

初めて、 認められた気がした。

努力が、 報われた気がした。

……でも。

次の言葉は、 理解できなかった。

「でも。」

「君は天才だから、  きっと孤立する。」

「努力は、  ほどほどにした方がいい。」

「君はもう、  生まれながらに完成しているんだから。」

「そうしないと、  いつか私みたいに孤立する。」

「……そんな君は、  見たくないからね。」

ディールは、 その言葉を忘れなかった。

……だが。

訓練は、 やめなかった。

もっと上へ行きたかった。

もっと強くなりたかった。

成長するのが、 楽しかった。

だから、 努力を続けた。

毎日。

毎日。

毎日。

そして――

父の言葉通りになった。

「あいつは違う。」

「比べるだけ無駄だ。」

「教祖の息子だから。」

「神に選ばれてるから。」

そんな言葉ばかりが、 聞こえるようになった。

誰も、 ディールの努力を見ていなかった。

誰も、 ディール本人を見ていなかった。

見ていたのは。

教祖の息子。

神に選ばれた天才。

ただ、 それだけだった。

……ディール・フォスターという人間を、 誰も見ていなかった。

人は集まる。

でも。

誰一人、 近くにはいなかった。

その頃から、 ディールの中に、 ある感情が芽生え始めた。

――神を超えれば。

――誰か、 俺自身を見てくれるのか?

――父も。

――皆も。

俺を見てくれるのか?

それからだった。

ディールが、 自分のことをこう呼ぶようになったのは。

「俺は――神を超えた存在だ。」

その日から。

誰も、 ディールに近づかなくなった。




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