姉妹の会話
ディールが静かに言った。
「なあ……全力、見せてくれないか。」
その言葉は、 エリア・アニーの耳に、 確かに届いた。
だが。
それは挑発じゃない。
煽りでもない。
……願望だった。
積み重ねてきた力を。
磨き続けてきた技術を。
誰かにぶつけたい。
全力でぶつかり合いたい。
だが。
そんな相手は、 今まで一人もいなかった。
……もう諦めていた。
でも。
目の前の女なら。
エリア・アニーなら、 届くかもしれない。
ディールは、 本気でそう思っていた。
エリアは、 目を見開いたまま、 ディールを見つめている。
……だが。
動けない。
身体が、 小刻みに震えているだけだった。
ディールは、 小さくため息をついた。
「……はぁ。」
「お前も、同じなのか。」
「……この程度か。」
ピクッ――。
エリアの頬が、 わずかに震える。
呼吸が荒くなる。
そして。
掠れた声で、 絞り出すように言った。
「……私は、負けられない。」
「私は……強くないといけないの。」
「誰よりも強くなって。」
「神官になって。」
「そうすれば……私たちは幸せになれる。」
「だから――」
だが。
ディールが、 その言葉を遮った。
悲しそうな目だった。
どこか、 遠い過去を見ているような。
そんな目だった。
「……強くなった先にあるのは。」
「幸せじゃない。」
「……孤独っていう痛みだけだ。」
エリアの瞳が、 初めて揺れる。
ディールは続けた。
「……俺は。」
「弱く生まれたかった。」
「もっと努力したかった。」
「もっと。」
「誰かと対等に生きたかった。」
傲慢な言葉。
そう聞こえるかもしれない。
だが。
ディールが欲しかったのは、 強さじゃない。
才能でもない。
ただ。
成長を。
努力を。
誰かと分かち合いたかった。
……それだけだった。
エリアの唇が、 小さく震える。
「……私は……。」
エリアが、 手を前へ伸ばす。
その瞬間。
……いない。
ディールの姿が、 視界から消えた。
エリアの瞳が、 大きく見開かれる。
次の瞬間。
目の前に、 しゃがみ込んだディールがいた。
「……もういい。」
「終わりにしよう。」
ゴッ――!!
剣の柄が、 エリアの腹へめり込む。
「がはっ……!」
身体が、 わずかに浮いた。
呼吸が、 止まる。
そして。
ディールが、 静かに剣を構える。
居合の構え。
一切の無駄がない。
そして――
ザンッ――。
一閃。
エリアの身体に、 傷はない。
首も。
腕も。
何一つ斬られていない。
……だが。
腰まであった、 白銀の髪が。
肩までの長さに、 切り揃えられていた。
エリアは、 その場に膝をつく。
そして。
最後まで、 顔を上げることはなかった。
ディールは、 何も言わない。
ただ、 静かに背を向ける。
そして、 ガイウスの前まで歩く。
だが。
顔は上げられなかった。
……笑い方が、 分からなくなっていた。
強さを見せるたび。
皆、 同じ顔をする。
畏怖。
拒絶。
距離。
さっきまで戦っていたエリアも、 きっと同じ顔をしている。
……また、一人か。
ディールは、 そう思って鼻で笑った。
その時だった。
ガイウス・レムが、 いつもの仏頂面のまま言った。
「……ディール。」
「……やっと見れた。」
「お前の本気。」
ディールの肩が、 わずかに止まる。
ガイウスは、 真っ直ぐ続けた。
「いつか、俺と戦え。」
「俺も、 お前の本気と戦いたい。」
ディールの表情が、 一瞬固まった。
……こいつだけは、 変わらない。
そして。
自然と、 口元が緩んだ。
「……ふっ。」
「めんどくせぇ。」
「お前じゃ、 まだ相手にならねぇよ。」
だが。
そこにあったのは、 いつもの余裕の笑みじゃない。
……少しだけ、 安心したような笑顔だった。
ガイウスは、 真顔のまま頷く。
「……そうなのか。」
「じゃあ。」
「これからの俺の成長次第ってことだな。」
「分かった。」
勝手に納得するガイウスを見て。
ディール・フォスターは、 初めて思った。
……こいつと出会えて、 よかったのかもしれない
俺は、こいつが俺に並ぶのを見届けたい
※
リリア・アニーが学園へ行かなくなって、 二日が経っていた。
ほとんど、 部屋から出ていない。
食事も最低限。
窓の外を見ることすら、 減っていた。
何もしたくない。
何も考えたくない。
ただ、 ベッドの上で時間だけが過ぎていく。
そんな時だった。
一階から、 騒がしい声が聞こえてきた。
父と母の声。
そして。
誰かと言い争うような声。
……聞き慣れた声だった。
エリア・アニー。
……姉さん?
何があったのか、 気になった。
でも。
下へ行く勇気は出なかった。
両親と、 どんな顔で会えばいいのか分からない。
逃げるように、 自分の部屋へ戻ろうとした、その時。
トントン――。
ゆっくりと、 階段を上がる音が聞こえた。
……きっと、姉さんだ。
そう思った瞬間。
リリアの身体が、 無意識に強張った。
後ろから、 静かな声が聞こえる。
「……リリア。」
儚くて、 綺麗な声。
聞き慣れた、 姉の声だった。
リリアが、 ゆっくり振り向く。
そして――
言葉を失った。
……エリアの、 腰まであった白銀の髪が。
肩までの長さに、 切られていたからだ。
リリアの目が、 大きく見開かれる。
「……何が、あったの?」
……姉に話しかけたのは、 何年ぶりだろう。
エリアは、 少しだけ目を伏せた。
「……そうね。」
それだけ言って、 少しだけ困ったように笑った。
その表情に、 リリアは息を呑む。
いつも冷たくて。
感情なんて、 一切見せなくて。
誰よりも完璧で。
誰よりも、 神官らしかった姉。
両親が、 “お前もこうなれ”と言い続けた人。
尊敬していた。
でも同時に、 怖かった。
比較されるたびに、 自分が小さく思えた。
気づけば、 姉と話すこともなくなっていた。
幼い頃は、 あんなに一緒にいたのに。
どう話せばいいのか、 分からなくなっていた。
二人の視線が合う。
リリアは、 反射的に目を逸らした。
沈黙。
その静寂を破ったのは、 エリアだった。
「……リリア。」
リリアが、 恐る恐る顔を上げる。
すると。
エリアは、 優しく笑っていた。
……まるで。
幼い頃、 一緒に笑っていた頃みたいに。
「自分がやりたいことを。」
「……やりなさい。」
リリアの目が、 大きく見開かれる。
「……え?」
「……姉さん?」
信じられなかった。
今や国中が期待する、 神官候補の姉が。
誰よりも、 神のために生きてきた姉が。
そんな言葉を、 口にするなんて。
エリアは、 遠くを見るように呟いた。
「……幸せって。」
「何なのかしらね。」
リリアは、 言葉を失った。
なぜ。
姉がそんなことを言うのか。
分からない。
でも――
その言葉だけは。
なぜか、 胸の奥に真っ直ぐ届いた。
リリアは、 小さく笑った。
「……姉さん。」
「その髪、 似合ってるよ。」
一瞬。
エリアが、 少しだけ目を丸くした。
そして。
「……そう。」
「ありがとう。」
数年ぶりの。
姉妹の会話だった。




