『終わり』のはじまり
空はすっかり暗色に染まりきって、2人は慌てて野営の準備を始めた。周囲の土を固め、その周りに杭を打ち紐で囲う。即席で頼りないのはわかってはいるが、それでも何かで囲われているという状況がアズサを安心させた。
囲いができると、シンはアズサに火起こしの仕方を教えた。もちろんライターなどをつかすのが最も簡単なのだが、シンの話ではそうやって慢心したときに限ってトラブルで使えなくなるらしい。
火を起こしている最中、シンの左胸に数字が表れた。「0000:00:02」の値が「0000:00:01」に変わり、気づいたアズサは思わず立ち上がった。シンがいくつかの言葉で説得して漸く、アズサは腰を下ろした。
2人の前でぱちぱちと炎が音を立てる。ジャーキーを軽く炙って噛り付く。空腹は最高のスパイスという言葉の意味を舌で実感する。塩味が強いはずなのに、甘味を一番に感じる。普段食べるものより味は落ちているはずなのに、圧倒的においしい。木の実のほんのりとした甘味も疲れを癒していく。
「今日が最後の夜なの」
「うん」
アズサは横目でシンを見た。明日、この人は死ぬんだ。ヨマドの大樹にたどり着くか、魔女の呪いで死ぬか……過程は二つだけど、結末は一つしかない。
「アズサ、分かれ道をどう進んできたか覚えてる?」
「やばい、全然覚えてないかも」
「正解は右・右・左・左・右・左・右、左。アズサには帰り道もあるんだから、気を付けて」
「右、右、左……ごめん、もういっかいお願い」
「みみひひみひみひ。頭文字で覚えたほうが早いね」
「みみひひみひみひ」
「そう。みみひひみひみひ」
頭の中で反芻すると、死という現実がより色味を増してくる。一本のシンはぐーっと伸びをして大きなあくびをした。呑気だなぁと思うと同時に、一つの考えが彼女の中で形を成した。
聞くべきじゃない、聞いても良いことなんてない。シンだって聞かれたくないことだと思う。誰も得しないとはまさにこのことだ。アズサも頭では理解していた。しかし、彼女は自身の胸につかえたトゲの抜き方が分からなかった。
「どうしたの、アズサ」
「え?」
「急に様子が変わったから心配で」
「なんでもないから」
シンが距離を詰めてくる。先ほどまでの呑気さはなくなって、その表情はいたって真剣だ。
「今日が最後の夜なんだ。君に後悔を残したまま、逝きたくない」
「でも聞いても後悔する」
「後悔続きの人生だったんだ。良い後悔の仕方ぐらい心得ているよ」
炎がいっそう強く燃えあがった。シンがアズサの手を握り、彼女の目をじっと見つめる。
ダメだ。てこでも動かなさそうだ。諦めるようにアズサは口を開いた。
「シンがね。本当は、魔女の呪いで死んでも良いと思ってるんじゃないかって思って」
シンは考える仕草をした。その少しの時間ですら、アズサにとっては申し訳なさと後悔で胸が一杯になるほどだった。
「大丈夫、死んでもいいとは考えていないよ。でも……他の方法で死ぬんだったら魔女の呪いで死にたいかな」
「魔女を殺したから、罪の償いでもするつもり?」
「それについては話すと長くなるね。明日話そうか」
「時間がないんじゃないの」
「僕にとってそれぐらい大事なことさ」
アズサは返答に詰まった。残り時間は少ない。そもそも今、悠長にしていいのか。道のりの様子も変わっていないし、大樹の影すら見えていない。
シンの手を握る。カサカサとして、ゴワゴワとして、ここに来るまでにどれだけの苦労をしてきたのかを物語っている。顔だけじゃない、その全身の至るところまでシンは奇麗にしている。要するに、彼はこの旅を通じてずっと無理してカッコづけている。
アズサのわがままを気にしないように素振りをして、問題を笑って済ませ、死ぬのが怖くないように振舞う。人の機微に対して鈍感な彼女だったが、彼女はこの特殊な環境がそうさせたのか、この旅の中でその事実に気づきつつあった。それは特殊なこの環境がそうさせたのか、はたまた唯の偶然なのか……。いずれにせよアズサはそれに感づき、彼の奥底に隠されたものを見たいと感じていた。
「シン」
「なんだい?」
「明日で最後なんだよね」
「僕にとってはね。君には帰り道がある。分かれ道を覚えているかい?」
「みみひひみひみひ」
「うん。よかった。アズサは帰るんだよ」
「……うん」
「じゃあ、お休み」
「明日は早起きしようね」
「朝は苦手なんだけどなあ」
夜が更けていく。
夢の中で、アズサはシンだった。シンは花をあつめ、その香りを繋ぎの魔女が楽しむ。彼女は目が見えず、彼は言葉を知らなかった。手を重ね合わせ、それぞれの感情を伝え合うことで2人は心を通わせていた。
シンにとってこの時間だけが楽しみだった。”間引き”も”執行”も大変だったし、なにより心臓がチクチクと痛んだ。感情を伝えられた繋ぎの魔女だけが、感情を表に出さない彼の痛みを知っていた。同じように、世界から疎まれうる彼女の境遇の辛さを理解できたのはシンだけだった。
彼女はシンに言葉というものを教た。感じたことを言葉にすることで、人は心を繋げているらしい。シンは手を繋ぐ方が好きだったけど、確かに草の手入れをしながらやり取りできるのは楽だった。同時に、彼は言葉を使うことで本当に大事な思いを隠せることに気づいてしまった。
シンは彼女以外には本心を隠すようにした。そうする方が得することが多かったからだ。思っていることを隠せば周りの人は嬉しそうにした。懲罰の多かった神様も、言葉で着飾れば満足そうにうなずいた。皆がシンのことを理解し、好きになった。……ただ彼女一人を除いて。
いくつかの違和感を伴ったが、それでも幸せな日々が続いた。花の香りに包まれて、彼は眠りについた。
しかし目を覚ましたアズサが見たのは、呪いに苦しむシンの姿だった。




